続きは2011.3.12のこと。

日本中が大激変した2011.3.11。
相方がどうなっているのか、
深夜に起きた別の地震に震えあがり眠れぬ夜を過ごし、
翌日、家でじりじりしながら待っていた私。
(離婚しようと思っていたのにね)

結論から言うと、
震災翌日の、19時半頃に、ひょっこり帰宅してきました。

帰宅難民に遭っていた人が、なんで翌日に
あっさり帰ってこれたのか。

これは、相方から聞いた話です。

2011.3.11 14:46 
その時、彼は出張で新宿にいました。
そのわずか数分前、エレベーターに入ったところ
一緒にいた後輩がなぜか
「○○さん、すみません。
ちょっと、たばこ吸わせてくださいよー」
と言ったとか。
相方はえ?といぶかりながらも「しょうがねーなー」と
一度入ったエレベーターを出ました。

その瞬間に、地震が起きたそうです。

虫の知らせ、とはこのことでしょうか。
相方は、閉所恐怖症。パニック発作の経験もあります。
あのまま、エレベーターに閉じ込められていたら、
どうなっていたか・・・。
考えただけでも恐ろしいです。。。

その後は、いわゆる帰宅難民となり、
電車も止まり、宿泊のホテルにも行けず、
後輩と
「しょうがねー。朝まで飲むか!!」と
居酒屋に入って飲んでいたそうです。
ところが
その居酒屋に、徐々におびただしい人が入ってきたそうで。
地方人の二人は、若干の恐怖を感じて
「出るか」
と店を出ました。

出たものの、メインの道路は帰宅難民で膨れ上がり
ますます恐怖を感じた二人は
路地裏に入っていきました。

「どうしますかねー」
「そうだなー」

とか話していたんでしょうか。
しばらく歩いていたら
家の外で、おじいさんとおばあさんが立ちすくんでいました。
声をかけられて、かくかくしかじか。と、事情を話したところ
驚くことが起きました。

「泊まるところがないなら、ウチに泊まっていったら?」

と!!!

野宿でもしようか。と思っていた二人は
びっくりして、一度は断ったそうですが
結局、一晩泊まらせてもらうことにしました。

メインの喧騒がウソのように
新宿の路地裏のそこは、静かだったそうです。

そこで一晩お世話になり、
一宿一飯のお礼ということで、
たまたま
絵本を持っていた相方は

「だいじょうぶ。だいじょうぶ」



を3人の前で読みました。

未曾有の地震で、おじいさんもおばあさんも
恐怖の中だったからか
号泣されていたそうです。

そして、感動の中、お別れの時。
後輩と、その感動を分かち合おうと思っていた彼でしたが、
後輩は

「僕、横浜の姉の所まで歩いていきますので、じゃ!!」
と、あっさり去っていってしまいました(笑)

取り残された相方。
えー。。と思いながら、さて、どうするか。と。

新幹線は止まっている。
じゃ、高速バスはどうだ??と
西口のバスターミナルまで、てくてく。

バスターミナルも、人だかりでした。
もう、これしか帰るすべがなかったため
じっとターミナルで待っていたら

「15時○○分の長野行高速バス出ます!!!!」
と聴こえてきて
条件反射で、彼は、窓口に駆け寄りました。

「乗ります!!!!!!!」

その時点で、残席1 だったそうです。

上信越道は被害がなかったようで、さほどの遅れもないまま
あっさり19時半前に、家に帰ってきました。

あんなに帰宅困難者で都会はあふれているのに。
この人は
あっさりかえって来てしまった。

「そんなことあるの????」

これは。。。。

私の感情が、この瞬間、ガラっと変わりました。

続きは、
次回。

お読みいただきありがとうございます。