北茨城市の「十石堀」は、江戸時代の1669年に開削された、今も現役の農業用水路です。

2019年には、「世界かんがい施設遺産」にも登録されています。

ちなみに、先月アフガニスタンで亡くなられた中村哲さんが、灌漑施設整備のヒントを得た福岡県朝倉市の「山田堰」も、この登録を受けています。

 

固い花崗岩を掘削して整備された水路は、今も現役です。

 

県央農林事務所の方の案内で、十石堀を視察し、維持管理協議会の代表とお話する機会を頂きました。

この協議会は、3地区・約120戸の受益農家の代表で組織され、十石堀の維持管理を自分たちで担っています。

行政からの支援を得ながら、住民が主体的に水門開閉や水路の浚渫などの管理を行い、350年もほぼそのままの姿で維持されてきたことは、本当に驚きです。

 

十石堀の中央部は、親水公園として整備されています

 

台風や大雨の際には、住民代表が片道約2kmの山道を歩いて、水門を締めます。

 

 

また、2007年には、東アフリカ・マラウイからの灌漑技師たちが、研修で十石堀を視察しています。

実は、私は2010年から2年間、JICAマラウイ事務所の企画調査員という立場で、灌漑プロジェクトの立上げやフォローアップに従事していました。

 

天水によるマラウイのメイズ畑

 

マラウイは農業国で、トウモロコシ(メイズ)が主産業ですが、灌漑施設はほとんどの地域に無く、天候次第の天水に頼っています。

そうした中、地元の木や石などの資源を使った小規模灌漑を、JICA技術協力として導入・普及して、マラウイ全国に広がりました。

コンクリートによる灌漑施設の多くは、すぐに崩壊して放置されてしまいますが、この小規模灌漑は、農民が協力して手入れや補修をすることで持続的に整備され、マラウイの現状に見合った技術です。

 

 

マラウイの農民が地元の木を使って整備した水路橋と堰

 

必ずしも十石堀の視察だけが、マラウイでの成果に影響したわけではないかもしれませんが、実際に日本で地元の資源を使った灌漑があり、地域の人々によって350年も維持管理がされていたことを目の当たりにして、相当の印象を抱いたに違いありません。

この十石堀の「世界かんがい施設遺産」の登録にあたっては、行政(県職員)が古文書を調べて開削の経緯を検証した他、これまで知られていなかった上流部の「掘割」を現地調査で見つけるなどして、協議会をサポートしてきました

このような、地域と行政が協働して、地元の歴史や文化の価値を見出し、地域の人々の誇りと自信を醸成してきた姿は、今後、地域おこしを目指していく上でのお手本になりそうです。

 

十石堀の詳細は、こちら↓でも、見られます。

また、常陽芸文の2020/9月号に、特集記事があります。