この投稿を読んでくださっている方々、お久しぶりです✨からです☺️
さて、昨日の22日は土曜日、川上先生の個人セッションを受けて参りました。
2時間ぶっ通しで泣いてました。はい。。
▫️「ねばならない」に囚われている
無意識に自分を追い込んでいるんですよね。
タマとられるわけではないのにそうされるくらいの勢いで何かに怯えている
↓
怒られたくない
嫌われたくない
パニック障害だって、必死でそう見えないように隠していたのである。
「障がい者に見えないね」
そりゃそうだ自分が自分に嘘をついて取り繕っていたのだから。
本当は、
〜指示が注意に聞こえる〜
〜注意は叱られているように感じる〜
〜叱られている時はブチギレられているように感じ〜
頭ではわかっていても、息苦しくなり、心臓がバクバクになり、気が狂いそうになるくらい苦しいのにそれを隠し、(いや、隠しきれてないが)
いつも泣いている
(思えば泣くのも上手くなりました。周りの人間に気づかれないようになりました。)
紐解けば解くほど、幼少期に愛されず毎日毎日しばかれ続けたトラウマは根深いなぁ。
そんな自分を認めるし愛するよ。
▫️ボロボロの我が肝臓ちゃん
結論から言うと、病気は、無理がたたってなるもの。
それ以上に、病気は自分が作り出しているから、「病気になった方が都合がいいからなっている」
ストレス性の気管支炎だって、誰かに構ってほしいからなってるんだと思ってたもん(・∀・)
だから絶対何ともないと思ってて、職場の人に「絶対病院行った方がいいよ」って言われるまで放置
しかし、治療の観点で「肺虚肝実」
肺に何も写ってなくても、肝臓が‥紹介状書かれて病院へ行けと言われるくらいになっていた。
事故った時も、奇しくも損傷を受けてるのは、右上半身肝臓周りばかり。
エネルギーも滞りは確かにそこにあったのだ。
ずっと私の体は限界だよと発信してくれていたのに、それに気づかなかったんだなぁ。
自分の体への申し訳なさに号泣
「自分を大切にすること。愛すること。」
今まで、それが出来てないのは分かっていて、それが、自分の心に聞いて「やりたいことをやる」ことだけだと思い込んでいたんすね。
自分の体を抱きしめて、運命を共にすることを誓った。
言葉だけじゃなく、完全に腑に落ちた瞬間だった。
たとえ通院休暇を上司に言い出せなくても、もう関係ない。
(検査結果ないないにしようとしてたのが結局バレて注意されましたしね)
自分の体を大事にする。
たとえ手術になっても一緒に立ち向かおう。
愛してるよ。
いつも私と共にいて、いろんなことを自分に教えてくれてありがとうね。
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全てがこのタイミング。
セッションって、本当に「そのタイミング」じゃなければ刺さらないし腑に落ちないし不思議ですね。
肝臓に至っては、怒りを司る臓器ですが、怒りの感情は湧いてなくて、
それすら気づいておらず体の奥に押し込めているとしたら‥
うーん我ながら闇が深い。だがこれはまだ「タイミングではない」ということでしょう。
終わることのない旅ではありますが、これからも継続して「氣づき」を財産にしていこうと思います。
