震災後、3号機が爆発した時の田舎にいる弟からのメールだ。
弟は風向きと時間とガソリン切れとの闘いの中、親は勿論だが近しい親類宅も廻ってくれていた。
携帯は通話が出来る状態ではなくメールがなんとかって状況だった。
当時、母親は東北大学病院に入院していて田舎の家には親父が一人だったんだよね。
今、読み返すと泣くねー。
俺もやっとこんな事が出来る様になってきた。
で以下そのメール。
おやじ連れて来た
岩井さんも車ごと(ガソリン半分あったので、いざという時こっちで使い道ある)清美の運転で連れて来た。
おふくろからもタイミングよく、俺の携帯に電話があり「よろしく頼むな」と言われた、無論無事だ。
東北大学病院では、入院患者の家族をかくまうスペースがあるらしいが、食料調達が困難と思われるし…ガソリンが余りない。
行けなくはないが、賭はできない。
鹿山さんが…
原町に残るって…
ポータブルトイレ持って避難所に九十ばっぱ連れて行って何できると静子おばちゃん…。
ほんでなにで逃げんの放射能でにげるんだべ、発病すんの5年先だし…
私らは先が短い組だから…
ゆかりも病気でほうだから…
外に出ない様にして残るから大丈夫…
誘ってくれてありがとう。
だって…。
さーっぱりわかんねえ、根ん拠がねえぇ
にぃほんーのぉげんーぱつぅは安ん全んでぇす
忌野清志郎のサマータイムブルース
記者会見の席で奴らに思いっきり喰らわしてやりてーね!!
以上です。
ありがとう弟。
あいつら殴っていいよ。