ふと考えてみれば、「それ」は常に私の中にいた。
「中」と言うべきか?
「隣」?「周り」?
以前にカウンセリングの学びの課程でバウムテストを体験した時、私の描いた「木」はとても生命力にあふれていた。
同じ受講生が
「3人入っている。」と
「私の中に3人入っている。」と言うこと?
講師の先生も私のバウムを一瞥すると 不思議な顔つきをした。
先生はとても知的な人で、女性としては保守的な感じがする方だった。国際的な場面で活躍した報告もされ、アメリカ留学経験があるハイレベルな方だった。
仲間やカウンセリングのワークショップで出会った人が
「千葉さん、○○先生に似ているね」
と言うことが数回あった。
先生は美人だから、似ているはずもない。
恐縮したが、何かの共通点のにおいは感じていた。
その先生は私たちのグループが卒業するときに
「私がやろうとしてできなかった(心理学的コミュニケーションの?)分野を
千葉さんならできるかもしれないですね。」とアルカイックスマイルで笑った。
その円陣の中、「私はその道を進みます」と決意表明して、卒業した。
別に私は多重人格者ではない。
でも、3人は入っている。
何者かは検討はついている。3人のうちの一人が「私自身」であれば
いや、実際のところ人々が「私自身」と思っている「人」は
果たしてそんなものは存在するのだろうか?
3人のうちの「私自身(仮)」の以外の1人は「強烈に」分かっている。
多分その彼の存在は「千葉家の謎」を解く鍵になることは間違いない。
誰もが知っている「彼」だから
きっと分かりやすい そして力強い
