引き寄せの法則を使って、幸せになろう
って言われたら、
今は「う~ん…」ってなる。
そもそも、法則って
意図しようが、意図しまいが
使おうが、使わまいが
万物に働く作用のことだと思うので
使えてる、使えてないという視点自体が
誰にとって?何をもって?
と思ふ。
もし、私という存在に出来ることが
あるとするならば、
目の前の現象を、観象するくらいのもので、
そこにどういった意味付けをするかで
一喜一憂するくらいしかない。
引き寄せるというと、
自分を核として、何か寄せ集め
手にしていくイメージだけど、
世界と切り離された「私」という意識から
さらに小さな肉体という「私」を
本当の私と信じている状態の
望む現実というものは
言葉以上に、制限が多く
一見不自由で、
そのに観るものは、
物質的な象徴として現れる
一時的なしるしでしかない。
私とは、何ですか?
感覚と思考を観象しているのは
誰ですか?
肉体、感覚、思考をもって
私と信じたのは、何故ですか?
本当に引き寄せようとしているのは
その背後に働く、
手放すという意識の拡大なのかも
知れない。
見たいと願うと
見えないを与えられる。
見えないにしか、
見たいを叶える力がないのだから。
幸せを望めば、
もれなく不幸が与えられる。
幸せになるを叶えることが出来るのは、
不幸という状態だけなのだから。
一見不幸は、
幸せのはじまり。
鏡映しのような
一見真逆の世界を楽しもう
小さな小さな私という世界は、
より大きな私という世界に内包されてる。
どっちか、ではなく
どちらも
不幸のままで、幸せになってもよいのだ。
理由なんて、必要ない
心の片隅に、
すべてを内包する意識をおく。
常に、すべてが相まって
益へと導かれる意識の中で
私という世界を
生きてる夢を観てる。
わからない
わかりようもない
理解の及ぶものは、
いつまでも抱えておかず
手放せばいいと思う。
集まっては、手放して
集まっては、手放して
結んで、開いて
拡大する意識
片方だけ、大切にしてない?
片寄りの法則を生きてることに
気付くときが来てる。