ιδέαという言葉から色んな扉が開き始めた。


バッハの「平均律クラヴィーア曲集」

そのタイトルにある"平均律"と訳された"Wohltemperierte"という語の意味するものを求めて随分長い旅をしている。


原語はもちろん「平均律」という訳語にも誘導されて、どのような調律を指すのか?というところで思考停止していたのかもしれない。


クラヴィーアとは鍵盤楽器を指し、バッハの時代は普通チェンバロのことを指したと言われたりもする。


しかし、「ゴルトベルク変奏曲」の表題には「二段鍵盤のチェンバロのため」と限定した書き方がされている。


つまり、クラヴィーアをそのままチェンバロと解釈するのはバッハの意図に沿うのかどうか。


最近、毎月受けているバッハ講義や書物の中でプラトンの中心思想であるιδέα(イデア)について触れる機会が不思議なくらい続いた。


目に見える現象世界のさまざまな不完全な事象の背後に、それらを存在させている原因となる完全な実在、このイデアなるものをプラトンは直観した。


プラトンの語るイデアは希望的観測とか架空な観念ではなく、これこそが実在という確信があったに違いない。


ある時ふと、私の中で思い巡らしていた

"ιδέα"と"Wohltemperierte Clavier"が繋がった!


"Wohltemperierte Clavier"とはバッハが直観したイデアの世界に存在する鍵盤楽器のことではないか?


ここから先はバッハの生きた時代背景を踏まえてのファンタジー。


1700年にピアノ(フォルテピアノ)がフィレンツェの楽器製作者クリストフォリによって発明された。

ドイツではドレスデンの楽器製作者であるジルバーマンがクリストフォリの楽器を研究して、フォルテピアノの開発に取り組んだ。1730年代に彼と知り合ったバッハはジルバーマンのフォルテピアノの製作に関わり、さまざまな助言を与えている。


「楽器の音を作り出すこと、演奏の機械工学と人間工学、音律をめぐる厄介な問題にこれほど気を遣い、これほど多くの時間を費やした作曲家は彼をおいて他にない」。

クリストフ・ヴォルフはバッハについてこう記している。


バッハがフォルテピアノに初めて出会ったのはいつなのだろう。

バッハのイデアの世界にあった鍵盤楽器が、ジルバーマンとの出会いによって徐々に現実の世界に形となってゆく。そのプロセスはバッハにとって如何なるものだったのだろう!


バッハのイデアの世界の鍵盤楽器はある意味、ピアノなのかもしれない。けれど、それはいまだ誰も触れたことのないピアノなのかもしれない。