前回に続き、ボリビアのグループ「Ukamau」が遺した、たった1枚のアルバムを巡る話をしたい。
前回は、アルバムジャケットの裏表を嘗め回した後、収録曲の概要を見たところで終わった。
よって、今回はいよいよ各曲紹介へ入りたい。
まず、曲目リストを再掲する。
~Ukamau(1979年ボリビアM&S records盤)~
曲目リスト(曲順、曲名、形式名、作者)
※例えば「A1」は「レコード原盤のA面1曲目」の略記である。以下同様。
A面
A1 Marka ムラ (Huayño) Edwin Rowert
A2 Estado de Sitio 戒厳令 (Marcha Trote) Mikis Theodorakis
A3 Paola パオラ (Canción) Mikis Theodorakis
A4 Patamanta (Huayño) A. en A. D. en D
A5 Sikus del Titikaka チチカカ湖のシクリ (Huayño) A. en A. D. en D
A6 Centinela 見張り番 (Huayño) Rodolfo Dalera
B面
B1 Atocha アトチャ (Yaraví Huayño) A. en A. D. en D
B2 Recuerdo de Kallaguayo カラグアヨの思い出 (Huayño) El Inca
B3 El Eco こだま (Yaraví) El Inca
B4 La Cartita 手紙 (Kaluyo) A. en A. D. en D Arr. Ukamau
B5 Huayra Pata (Pifaneada Huayño) Depto. Folk
――以上、全11曲、収録時間約35分
(2)各曲紹介
なお本記事は、それまで入手・視聴が困難だった本譜が、先日突如YouTube動画にアップロードされ、多くの方々が聴ける状態になったので、書くことにしたものだ。
しかし、ひとつ残念なことにその動画のデフォルトのリストでは、曲順がぐちゃぐちゃになってしまっていたため、本記事では、上記のような原盤の曲目に揃え直してご紹介する。
そのため、いちいち一曲ごとに動画を貼り付けており、うっとおしいかもしれないが、その点ご容赦頂きたい。
※と思ったら、2024年7月22日現在で、デフォルトのリストの曲順がオリジナル通りに直っていた。一応リンクを貼っておく。
A1 Marka ムラ (Huayño) Edwin Rowert
初っ端は、メンバーのエドウィン・ロウェールによるオリジナル曲。
ケーナのソロによる静かで抒情的な出だし、チャランゴ、サンポーニャ、ボンボ、ギターが入り徐々に躍動感が高まり、聴き手のワクワク感も釣られて上がっていく。
ケーナをシークのように掠れさせて吹いたり、オクターブ上げて主メロディーを吹いたり、自由自在で聴いていて実に気持ちイイ。このケーナの音の伸びやかさ・奔放さが、間違いなく全体を通しての本譜の魅力を形成している。
最後には切れの良いサンポーニャが入ってフィニッシュ。
わずか数小節の短いメロディの反復だが、主メロディーの楽器を変えたり、奏法を変えたり、テンポアップさせたり、あの手この手で、最後まで飽きさせない。
うん、これは良いアルバムかも!?と、試聴者に予感させる力のある曲。
まさに上々の出だしで、結論を先に書いてしまうと、後も尻すぼみにならない。
A2 Estado de Sitio 戒厳令 (Marcha Trote) Mikis Theodorakis
ある意味、本譜で最も印象に残る演奏かもしれない。
ただ本曲ばかり取り上げると、アルバム全体が色物だと誤解されかねないので、そうではないと予め断っておく。
もともと本曲は、フランス・イタリア合作映画「戒厳令」(コスタ・ガブラス監督、1972年)のサントラから採譜された。
作曲は、前回も言及したミキス・テオドラキスで、元の演奏はロス・カルチャキス。
コスタ・ガブラス監督もミキス・テオドラキスもギリシア人で別作品でもタッグを組んでいるから、ミキス・テオドラキスの起用は良く分かる。
しかし、なにゆえ、ミキス・テオドラキスの曲をカルチャキスが演奏することになったのか?の経緯は、良く分からない。
ただ、1967年の軍事クーデターによるギリシア左翼政権の崩壊と、それに抗議したミキス・テオドラキスの逮捕→釈放→パリへ放逐という流れと、アルゼンチン出身のロス・カルチャキスのフランスでの成功・活躍がほぼ同じ時期であり、フランスで接点ができたということなのだろう、と推測はできる。
なお、同映画のサントラ盤がアップロードされているので、カルチャキスによる元演奏とウカマウの本譜の演奏とを聴き比べることができる。
(リンク先の概要欄にタイムラインがあり、聴きたい曲に飛べるようになっている)
ロス・カルチャキスによる原演奏(上の動画の4曲目「Estado de sitio (1)」および6曲目「Estado de sitio (2)」)は、主旋律こそアンデス楽器(ピンクージョか?)で奏でられているものの、全体としてはギリシャの民俗音楽風のアレンジになっている。
打楽器もリズムもおそらくギリシャの民俗楽器・民俗音楽由来のもので、南米のフォルクローレとは色彩を異にする。
一度でも彼の曲を聴いたことがある人ならば「ああ、ミキス・テオドラキスの曲だ」と分かるアレンジだ。
ここまではいい。ロス・カルチャキス、グッジョブ👍
しかし、本曲を引っ張ってきたUkamauさんは、何をどう考えたのか、本曲をマカロニウエスタン風の曲に魔改造している😱。
それはもう、どこかの原曲至上主義者さんが「こんなのEstado de Sitioじゃね~や!!」とブチ切れるレベルの改変だ。
でもなぜか、私的にこの魔改造は、オッケー👌 あの「Sariri」の改悪への反応との違いが何によるものなのか、自分でもようわからんww(うーーん、たぶん原曲・原演奏への愛の大きさの違いかなあ?)
まず、リズムはシレっと、トローテ Troteに置き換わっている。
そして、タイコ担当・エドガル・プラドの、「お前は何者なの? 鼓童か!?」と問い詰めたくなるほどの、長くて激しくてビートの細かなタイコの連打があり、それが特に本曲の聴きどころだ(曲を聴いた印象は、タイコ🥁に全部持って行かれます)。
知っている人が聴けばすぐ、Los Laikas ロス・ライカス「Camino A San Francisco サンフランシスコへの道」(初出:1974年アルゼンチン盤)を思い起こすだろう。トローテの代表曲だ(トローテはここから始まった、とさえ言っていい、と思う)。
おそらく、いや明らかに、ウカマウは、ミキス・テオドラキスの曲をダシにして「サンフランシスコへの道」をやりたかったのだけではなかろうか?(^_^;)
比較用に御本家様の演奏もここに貼っておきます。
ほらね。でしょー!?
ミキス・テオドラキスの原曲のギリシャの打楽器の音にインスパイアされたのか、御本家であるライカス「サンフランシスコへの道」比で10倍くらい、Ukamauがドンドコをマシマシしているww
まさに若さゆえの暴走パワープレーであるが、そこにオリジナリティが感じられるといったら、贔屓の引き倒しだろうか。
A3 Paola パオラ (Canción) Mikis Theodorakis
続いて、A2と同じ映画のサントラから。
こちらは打って変わって抒情的でしっとりした曲。
前の曲で、やりたかったことをやりたい放題やって満足したのか、この曲は原曲からあんまり魔改造されていない。
カルチャキスの原演奏から、マンドリンを引いて、サンポーニャを入れたくらいか。
A4 Patamanta (Huayño) A. en A. D. en D
ここでようやく、アンデス伝承曲が登場する。
アタックの強いエドウィンのサンポーニャが炸裂。音が割れんばかり。
現代フォロクローレのコンフント演奏で、これだけ強くサンポーニャを吹くと、他のメンバーたちから怒られるレベルの爆音で、それが許容されているところに、時代を感じさせる。
いやー、(時代も、演奏者も)「若い」って素晴らしいですねえ…。
ちなみに、本譜の2年後に、エドウィン・ロウェールがボリビアの踊れない系名コンフント筆頭であるルミリャフタ Rumillajta のファーストアルバムにおいて、1人ビエントス奏者を務めた時には、ここまでアタックの強いサンポーニャの吹き方はしていなかった。やはり、グループのカラーやアルバムのコンセプトを考えて、演奏スタイルを変えていた。
その意味で本譜では、力強く自由奔放な(それでいてどこか静かでもある)ビエントスを存分に聴かせることがアルバムのコンセプトの1つだったのかもしれない。
また、ビエントス以外に耳を傾けると、ボンボ以外にクラベス(アフロキューバン音楽で使われる拍子木みたいなリズム楽器)やカバサ(同じく、スリスリしてリズムを刻む楽器)が入ってくるのが分かる。
ボリビア・フォルクローレ音楽としてはやや異色だが、よいアクセントになっている。
ちなみに、Ukamauには、実は他にいくつか同名異グループがあるが、その中でも、ドイツで活動していたUkamau(ルパイRuphayの主力メンバーだったエリー・コルテス・グティエレス Hery Cortez Gutierrez が1976年にルパイを脱退した後、1978年に、奥さんや息子2名他と立ち上げたグループ)も、たまたま同じ曲を演奏しているので、参考音源として貼っておく。
まあ、これくらいが普通な感じでしょう。
A5 Sikus del Titikaka チチカカ湖のシクリ (Huayño) A. en A. D. en D
サンポーニャの多重録音(マルタ、サンカ)と、ボンボにエッグシェーカーのみの演奏で、チチカカ湖畔のシクリアーダ感を出している。
私はアウトクトナに関しては、一般の人より多少は聴いている程度でマニアには程遠いので、採譜地がどこかまでは分からなかった。
すみませんm(__)m
A6 Centinela 見張り番 (Huayño) Rodolfo Dalera
最近、私の脳内ジュークボックスから飛び出して、頭から離れない曲。
あまり他に類を見ない、突拍子もないエドウィンのケーナソロのイントロからわずかに遅れてギターが加わり、息つく間もなく、本メロへ、なだれ込み、チャランゴ、ボンボ、タバサが加わる。ここでもバックでのエドガルの躍動感あふれるタイコドコドコが印象的。
「見張り番」が、「何か」を検知して、警笛をならしたり、あれこれせわしなく動き回るのを音で描写しているのだろうか、そう思って聴くとユーモラスである。
また聴きようによっては、ケーナの伸びやかな高音と自在な吹き回しから、胸がすくような解放感も感じる。
たった2分足らずの曲だが、聴きごたえ抜群だ。
本曲は、もともとはロス・カルチャキス(ここでも、だ)のビエントス奏者で(1971-1974)、後に自分のグループロス・チャスキス Los Chaskis を立ち上げたロドルフォ・ダレーラ Rodolfo Darela が作った曲である。
参考までに、まずロス・チャスキスの演奏(1972年フランス盤)を示す。
お聴きになって、すぐお分かりの通り、イントロが異なる。
そして原演奏では、ずいぶんと可愛らしい音色で主メロディーが奏でられている。
ケーナではない笛、(曲中では「フラウタ」と言う言葉が聞こえてくるが)おそらくピンクージョが用いられ、二重奏になっている。
これは、ある意味、ロス・チャスキスの得意技というか常套手段で、高音で指使いが細かい曲になると、ケーナからピンクージョにバトンタッチするのだ。
このケーナとピンクージョの使い分けは、リーダーのエクトル・ミランダ Hector Miranda がピンクージョを得意としていた(逆に言えばケーナはあんまり…)ことに、関係しているのだろう、と私は邪推している。
ただそれは非難されることではない、要は自分の能力を冷静に捉えたうえで、プラグマティックに楽器の使い分けをして、ベストのパフォーマンスを目指している、というだけの話だ。さらに加えて言えば「インカの大地の笛たち」「インディオの笛たち」といった彼らのアルバムタイトルからも察せられるように、なるべく多くの種類の笛を登場させてそれを自分たちのウリにしよう、という彼らのマーケティング戦略も見え隠れする。
また、カルチャキスの演奏では、ボンボは控えめ、むしろチャランゴがピンクージョについで目立ち、そこへギターが随所でアクセントをつけている。
そして、こちらは原作者のロドルフォ・ダレーラ自身のグループ、ロス・チャスキスによる演奏(1975年メキシコ盤)
原作者が自らのグループで手掛けているので、これが本来の作曲意図に基づいた演奏と思われる。これはこれで結構だ。
主メロディー担当は、(たぶん)ケーナに戻っている。
テンポは緩やかで、どこか牧歌的な雰囲気さえ漂う。ハンドベルのリンリンという音が可愛らしい。しかし、私のように、Ukamauで本曲を知った者からすると、同じ曲だとはにわかに信じられないくらいだw
以上、Ukamauが元ネタにしたと思われるカルチャキスの原演奏と、原作者の演奏も併せて聴くと、いかにUkamauが、若さとテクニックとパワーに物言わせて、本曲を魔改造し、我が物にしたかが、良く分かるだろう。
B1 Atocha アトチャ (Yaraví Huayño) A. en A. D. en D
レコードをひっくり返して、B面へ移る。休憩をはさんで第二部スタート、ということで、B面1曲目は、抒情的な曲から入る。
ケーナのイントロから、サンポーニャ(本曲では多重録音で奏法をコンテスタードにして、素朴さを押し出している)。ゆっくりしたテンポで主メロディーを奏でた後、一転ボンボに乗って、ヤラビからワイニョへとリズムが切り替わり、曲が走り出す。
Atochaは、おそらくボリビアの地名(ポトシ県南チチャ郡の郡都)。
本曲は、むしろ別の曲名「キアカの娘」として本譜リリース前から広く世間に知られ、演奏されている。
例えば、ロス・カルチャキスは1972年発売フランス盤に「Quiaqueñita キアカの娘」を収録している。
原盤から引用してもいいのだが、せっかくなので動くカルチャキスを見て頂きたいので、1992年のスペインのテレビ局の音楽番組からの切り出しをシェアしておく。
その他、Ukamauの本曲に関する主要な先行演奏例として、
ロス・チャスキス Los Chskis
(1975年音盤初出、曲名「キアカの娘 Quiaqueñita」)や、
リラ・インカイカ Lyra Incaica
(1975年音盤初出、曲名「ビジャソンの娘 La Villazoneña」)
※下の添付動画の11:00あたりから開始
――等がある。
ちなみに、キアカもビジャソンもアトチャもボリビアとアルゼンチンの国境付近の街だ。
キアカはアルゼンチン側の国境の街で、ビジャソンはキアカと向かい合わせのボリビア側の国境の街。
「キアカの娘」を曲名に採用しているロス・カルチャキスとロス・チャスキスは、いずれもリーダーがアルゼンチン出身。
「ビジャソンの娘」や「アトチャ」を曲名に採用しているリラ・インカイカとウカマウは、ボリビアのグループ。
――皆さん、祖国愛に基づく我田引水が、ちょっと強すぎやしませんか?ww
しかも、ボリビアで先行するリラ・インカイカが「ビジャソンの娘」とした曲を、わざわざ後追いのウカマウが「アトチャ」と変更した理由もよく分からん。マネしたと思われたくなかったから? あるいは権利関連を回避するため? それくらいしか理由が思いつかない。
B2 Recuerdo de Kallaguayo カラグアヨの思い出 (Huayño) El Inca
こちらは、ロス・インカスのホルヘ・ミルチベルグの作品。
オリジナルでは「Calahuayo カラワヨ」となっており、他グループもだいたいこの表記を踏襲している。
「Kallaguayo」の表記は珍しい。
たくさんのグループが本曲を演奏しているが、私はUkamauのバージョンが一番好きだ。
ケーナとチャランゴによる前奏が変わっている。
チャランゴとカバサで主メロディーを奏でたあと、伸びやかにケーナが同じ旋律を唄いあげる。
アルバムでは全般的に背後に控えていた、レネ・カラスコのチャランゴが本曲では全面に出てきて、エドウィンのケーナと対話しており、それが聴きどころ。
オリジナルのロス・インカスの演奏と聴き比べてみよう。
うん、初期インカスらしい。ケーナは素朴だが、名手、ホルヘ・ミルチベルグのチャランゴが際立っている。
「エル・インカ」を自称し、音楽ビジネス上はケレン味も色気もたっぷりだった時代のホルヘ・ミルチベルグの作品だが、曲自体は叙情豊かな名曲だ。
そういうケレンを徐々に辞めて1974年の「Urubamba」発表以降は、第二期ロス・インカスと言ってもよく、音楽性も初期からガラリと変わった。そのことについては、次の「こだま」で実際に耳で確かめてみよう。
B3 El Eco こだま (Yaraví) El Inca
こちらも、ロス・インカスのホルヘ・ミルチベルグの作品。アルゼンチンのビダーラVidala形式による超名曲。
やはり、ゆうに三桁を超すグループが本曲を手掛けているが、私は本曲もUkamauのバージョンが一番好きだ。
高く伸びやかなケーナの音と、サンポーニャの低音の対比の妙。
リズム楽器も効いている。
比較対象として、原作者のホルヘ・ミルチベルグ自身による演奏例を二つ挙げたい。
まずは、1974年に米国で組まれたスーパー・ユニット「Urubamba」での演奏。
本譜は当時世界的にヒットし、今なおどこでも聴けるので、「埋もれて」はいない、たんなる超・名盤である。
説明不要かと思うが、ウニャ・ラモスとホルヘ・ミルチベルグの二大名手が共演した最初で最後の録音。
そしてこちらは、ホルヘ・ミルチベルグのほぼ最晩年のロス・インカスでの演奏。
1974年以降に音楽性を一新したロス・インカス。
自身の出世作にして世界的・歴史的ヒット作「コンドルは飛んで行く」を自ら刷新して新バージョンを創造したり、コンサートでの演奏スタイルも、演奏者が座って、楽器を載せた円卓を取り囲む形式にしたり、様々な革新を実行した。
本動画は決して彼らの演奏のベストテイクとは言えないが、その1974年以降にインカスが作り出した新たなオリジナリティの一端が目と耳で伺えるので、敢えてここに取り上げた。
で、振り返ってUkamauによる「El Eco」だが、聴き比べると、エドウィン・ロウェールのビエントスの凄さが改めて実感できる。それも、単なるテクニックのひけらかし、腕自慢ではなく、ちゃんと原曲の秘めた美しさを最大限引き出す方向に作用している。迫力と叙情が両立した稀有な演奏。余りの素晴らしさにお口をポカーンとさせているうちに、フェードアウトして曲は終わる。
B4 La Cartita 手紙 (Kaluyo) A. en A. D. en D Arr. Ukamau
ここで、ボリビアのバジェグランデ地方特有のリズム形式であるカルージョKaluyoによる歌物の有名曲が入ってくる。
歌詞は、
「昨日きみに手紙を送ったんだ。
その手紙の中には一輪の花を
花の中には一粒のダイヤモンドを
ダイヤモンドの中には私の愛を」
という感じ。
とても初心でロマンティックな唄だ。
eメールどころかショートメッセージで済ませてしまう、インターネットの現代では、もはや絶対に生まれない名曲だ。
さてUkamauの演奏に戻ると、唄は柔らかく甘い声でうたわれるが、本来のカルージョのけだるい感じが出ているが、エドガル・プラドのドンドコ・ボンボが、この曲に妙な躍動感を付しており、それが歌詞と相まって、好きなコにラブレター💌を書いて送ったコの胸のときめきと鼓動を表しているようにも聞こえ、それが面白くもある。
私は、この曲を中学生の時に初めて聴いて、なんかいいなあーと心に刻み込まれ、そこから約30年後に、見事Kaluyo病を発症して、バジェグランデのけだるいカルージョ無しには生きていけない身体にさせられてしまった。罪深い曲である。
それでは、本場バジェグランデでの演奏例として、こちらをどうぞ。
バジェグランデのギター奏者で歌手兼作曲家(「Que cosas las que me pasan」の作者として地元では有名)であるルーチョ(ルシオ)カルドナ Lucho (Lucio) Cardona と、その娘で全国区の歌手である(当時のエボ・モラエス大統領と同じステージに立って歌ったこともある)エレオノーラ・カルドナ Eleonora Cardona による演奏&歌唱。
おそらくは、大きなコンサートではなく、ホームパーティのようなリラックスした場での演奏だと思われる。
どうです、なんともいいでしょう?
ワイニョが訛りまくったようなカルージョ独特の後を引くグルーブ感がたまらない~。
歌詞は、手紙を「送った」が「書いた」に、「花」が「バラ」になったり等々変わっているが、伝承曲なので、めちゃくちゃ色んなバリエーションがある。
エレオノーラ・カルドナは、普段コンサートやMPVでは、お色気たっぷりのセクシー姐さんだが(ご興味を持った方は、上の動画の本人公式チャンネルから他の動画を観てみてくださいw)、お父さんの前ではちゃんと娘しているのが、なんだか微笑ましい。
B5 Huayra Pata (Pifaneada Huayño) Depto. Folk
ピファノ(アウトクトナで使われる横笛)の合奏。
ボンボにワンカラも入って、おそらくはチチカカ湖周辺のピファノの合奏の雰囲気を出している。
A面・B面とも、笛メインの演奏を持ってきて、笛の余韻で終わらせている。
全11曲、あっという間。いやーエエもん、聴かせてもらいましたわーいう、良い余韻が残る。
4.まとめ
(1)全体的に、メンバーが後に興すMallku de Los Andes や Rumillajtaと確かに共通するテイストはあるが、それだけに留まらず、Ukamauというグループ独自の(他に代えがたい)サウンドと世界観があり、それが心地よい。
正直、もう1枚、このグループのアルバムをぜひ聴きたかった。
(2)概ねどの曲でも、エドウィン・ロウェールの笛を全面に立てて、エドガル・プラドのタイコが曲に躍動感をもたらし、レネのチャランゴと、フェルナンドのギターは敢えて音の風景の後ろに一歩退いて控えるようなつくりになっている。
笛がメロディを奏で、タイコがリズムを刻み、弦はサポートに徹することで、音に奥行きが生まれ、また整理されて落ち着いた感じをもたらす。聴いた印象としては、意外とうるさくなく、むしろ静謐な音世界を味わえる。繰り返し聴いても「耳もたれ」しにくい好アルバムである。
(3)ロス・カルチャキス及びロス・インカスに大きく依拠してインスパイアされているものの、元曲・元演奏の魔改造に見事成功している。当時の新興ボリビアフォルクローレグループが、いかに先行演奏家の影響を受けたうえで、オリジナリティを作り出したのかが、原曲を探索して聴き比べすると良く実感できる。
結論
今からでも、もう少し多くの人にぜひ一度は聴いて頂きたい。長い間埋もれ過ぎた名盤だ(埋もれた主な理由は、①版元のM&S recordsの不甲斐なさ、②踊れない/踊りにくい演奏だから、の2つだろう。しかしアルバムとして音を愉しむ分には、それらは何のマイナスポイントにもならない)。
みなさま、騙されたと思って、ぜひ一度は聴いてみて下され~m(__)m■