平成24年9月第2週モーニングセミナー | 三鷹市倫理法人会 モーニングセミナー記録

平成24年9月第2週モーニングセミナー

第566回
日 時 9月13日 AM6時30分
場 所 三鷹商工会館3F
講 師 禅宗曹洞宗 観音院 住職
     来馬 正行(くるま しょうぎょう) 様
テーマ 諸行無常とは

三鷹市倫理法人会 モーニングセミナー記録-20120913来馬正行様 

 諸行無常についてお話しする。
「無常」については鎌倉期に活躍した道元(※)が<正法眼蔵随聞記>(しょうぼうげんぞうずいもんき)のなかで詳しく述べている。 ※【1200~1253:偉大な仏者】
 仏教の正しい教えを人と人が触れ合うなかで人格から人格に伝えていく。これが仏教の本義である。この条件が満たされなければそれは『画餅飢えをみたさず』となる。(おいしい餅を食べても栄養にならず、それは絵に描いた餅に過ぎないということ)。
 道元は追求した。概念的な仏教は学びつくされた、本当のもちはどこにあるのか。かれは宇治に仏法の道場(宇治の平等院)を作り、これを実践道場として禅の教えを広め、この活動を通じて仏教の本来のあり方であるその本義に迫った。
 数年間にわたる道元の教えを実践したのが道元の高弟である懐弉(えじょう)という人。実践したものをその都度筆録したのが6巻から構成される<正法眼蔵随聞記>である。
 仏法=無常の原点。現実のあり方。
平常心是道 太陽が上がってくるといってこれを停めることなんてできっこない。事実を表す言葉が 法。 宇宙は無限大、これをこうとらえるのは正直な姿、倫理の基本である。ペットは着替えする必要がない。人間は面倒でもそれをやる。宗教心だってペットは必要ない。
 諸行とはすべての行い。生活全般のこと。我々は(生きているというよりは)生かされている。
 自我:人間だけが持つ意識。自我というものがあるから人は生存できる。半面、自分を中心とする感覚が芽生え、それゆえに苦悩がある。苦悩は利益を求める心に淵源がある。(利益がなければ経済発展なし、経済発展と利益は密接不可分に結びつく)。
 この利益は仏教ではご利益(りやく)としてとらえられる。<ごりやく>は人生を支える諸行と結びつき、諸行は無常という真理のなかで行われる。
 無常というものを学ぼう。
生老病死。生:生まれたという事実。
老:人は年を取っていく。これはとめようがない。病:四六時中体は変化、病院は広くあまねく存在する 死:決定的なもの、いずれ来る。
 何人であっても、生は死のほうに進んでいる。このはっきりした事実を無常という。このことをきちんとわきまえて人生を送らなければならない。その人生こそ尊い。
 人間は観念的に考える傾向がある。霊とは人間が想像し考えたもの。たたり。これも忌み嫌う人間の勝手な考え、仏教にはそんなものはない。本当はないのに妄想をふくらませて正直に見ないのが人間の業。もっと目を開けて真実をみよ。
 哲学は思考の産物である。優れたものであるがこれだって限界がある。人間が思考したものだから。
 今日も朝を迎えられた。生きていると思う。だが夕方には命がないということだってありうる。これが無常。山の中で暮らすのもいい。比較しないですむからだ。名誉地位・財産といったものから解き放たれる。
 「敏感な人は鈍感に、鈍感な人は敏感にいけばいい」(道元禅師)
 今を大切に。人生は1回こっきり。私たちの体 命というものの存在を大切にする人生に切り替えたい。

三鷹市倫理法人会 モーニングセミナー記録-20120913来馬正行様

http://www.mitaka-rinri.net/web/doc/2012.0913MS.pdf