浜松市を中心に活動している
家庭教師のmit.です![]()
前回のお話はこちら🔽
そんな生活が続いていた頃、
今度は
の様子が変わりました。
は幼稚園でサッカーを始め、
小学生では少年団に所属し、
中学もサッカー部と、
サッカー一筋でした![]()
夏休みの間も午前中は毎日部活があり、
高い定期を買うのが勿体ないので
毎日送迎していました![]()
後期に入ってすぐの9月、
初めての公式戦の県大会がありました。
先輩が少ないのもありましたが、
はスタメンに入っていました。
ですがその試合で、0対11という、
私も今まで見たことのない点差で
負けてしまいました![]()
中学時代
が1・2年生の時は
守備重視の顧問の方針でFWの
は
全く試合に出してもらえませんでした。
3年生になって顧問が異動で変わり、
ようやく試合に出られるようになり、
顧問や後輩達からも
「○中の得点王
」
と言われるような活躍ができました。
それだけに、
高校でのサッカーにも
大きな期待を持っていたはずです。
その分、
0対11という結果は
相当なダメージだったようでした![]()
もともとその高校のサッカー部が
特別強いわけではないことは分かっていました。
それでも
は、
サッカー以外の目的もあって
その学校を選びました。
ですが幼稚園の頃から
サッカーを続けてきた
にとって、
その試合でこれから先のことが
見えてしまったのかもしれません。
9月下旬頃から
朝起こしても呼びかけても全く動こうとせず
仕方ないので学校へ休む連絡をすることが続き、
が不登校中だったのもあり
「
お前もか
」
と心の中で叫びました![]()
の高校は自宅からも、
浜松駅からも大分距離がありました。
電車で通う場合、
朝6時05分頃の磐田駅発の電車に乗らないと、
浜松駅から学校へのバスに間に合いません。
帰りも部活が終わってからは
浜松駅行きのバスが一時間に一本しかなく、
帰宅は21時近くになりました。
土曜日も午前中は授業があり、
検定試験で日曜日も登校することもありました。
検定試験が続き二週間以上休みなしで
毎日学校だった時期もありました![]()
私は夜は塾の仕事があったため、
朝早くのお弁当の準備も慌ただしく、
電車よりも車で送った方が
時間の短縮になることもあり、
朝少しでも私がゆっくりできるよう
途中からは毎朝車で送迎していました。
でもあまりにも大変で、
来年度は学校の近くに引っ越そうかと
すら思い始めていたくらいです。
そんな環境の負担が積み重なっていた中で、
あの試合がひとつの引き金に
なってしまったのかもしれません。
10月の間に通信制高校への転校に向けて動き、
11月からの編入が決まりました。
動かなくなった
には
「もう通信制高校に転校すればいいから。
でもバイトはしてね。」
と話しました。
通信制高校の中でも、
フットサルサークルがある学校を見つけました。
はフットサルの経験もあったため、
学校見学に行き、後日体験として練習にも
参加させてもらいました。
私が働いていた通信制高校の分校にも
フットサルサークルはありました。
ですが見学に行った学校の方が、
レベルが高いと感じました![]()
も楽しそうに体験に参加し、
先輩からも「上手いね」と
声をかけてもらっていました。
その様子を見て、
ここなら続けられるかもしれないと思いました。
そして
は、
その通信制高校へ転校することに決めました![]()
転校を決めたことを担任の先生に連絡すると、
一度本人と話したいと家まで来てくれました。
そこで
が先生に話した理由は、
二つありました。
サッカー部の練習が
初心者向けで物足りないこと。
そして、
特進クラスに入ったが、
クラスの静かな雰囲気と
自分以外のサッカー部員がいなくて
楽しくないこと。
特進クラスに入ったのは、
入試の結果を受けて学校側から提案され、
それなら是非と入りました。
ただ、何より大きかったのは、
あの県大会での大敗だったと思います。
中学では試合に出してもらえずベンチで2年間、
3年になり出れたのは引退までの5カ月間。
ようやく掴んだ活躍の場だっただけに、
いきなり0対11という結果は
相当なダメージで自信喪失につながって
しまったのではないかと思います。
手続きとしては転入ではなく、
一度退学してからの編入という形になりました。
担任の先生から
「そういうことになっているので」
と言われ、よく分からないまま
従うしかありませんでした。
通信制高校の方では、
前期までの単位は引き継げたため、
他の子たちと同じように
3年で卒業できるということでした。
キャンパス長からは、
「単位取得は我々に任せてください
」
とおっしゃっていただき、
安心して再スタートを切ることができました。
また、
このキャンパスのスクールカウンセラーが、
の場面緘黙の心理相談を
小学生の頃から担当してくださっていた
臨床心理士の先生だったことも
私にとって安心材料の一つでした。
※場面緘黙についてはまた別の記事でお話します
編入後すぐにスクーリングがあり、
茨城県にある本校へ
4泊5日ほど行くことになりました![]()
引きこもり気味になっていた
が
軽やかに外に出て行って、
私としてはその間
が家にいないことで
気持ちが楽になったのを覚えています。
その後は、
コロナ禍で活動の制限はありましたが、
は卒業までフットサルサークルを
楽しんでいました![]()
の話は一旦ここで区切ります。
次回は
の続きになります![]()

