双子で思い出すのは親友のこと。



一緒に保育所に通っていたミヤちゃんは、一つ先のバス停の近くに住んでいました。保育所へは一緒に路線バスに乗って通いました。



ミヤちゃんは、色が白く、大人びた雰囲気をたたえた大人しい女の子でした。ミヤちゃんは一人っ子でした。ミヤちゃんのおうちに遊びに行くと、お父さんもお母さんもとても喜んでくれました。



ミヤちゃんは早熟でした。

小学校の高学年でラブレターを書いて◯◯君に渡したと言った時はビックリ!  私はどこにそんな男の子がいるのかと思いました。


中学校では、◯◯先輩にチョコを渡したいから着いて来てと言いました。その時もビックリ!!いつそんな先輩を見つけたのかと。


二十歳の成人式が済みしばらくして、結婚するんだと切り出して来た時もビックリ‼️ 私は恋愛のイロハも分からず、結婚のケの字も考えたことがなかったのに...。




そんなミヤちゃんが、「私、実は双子だったんだ」と言ったことがありました。ちょうど模試の勉強をしている時でした。「私には弟がいて、その双子の弟は生まれてすぐ死んだってお母さんが言ってた。私だけが助かったんだって」と。その後、どんな話をしたかもう覚えていません。




ミヤちゃんとは高校は別でした。高校卒業後はそれぞれ進む道が違いました。経理の専門学校に行ったミヤちゃんは21歳で結婚しました。ご主人が婿養子に入ってくれたそうです。

22歳で男の子に恵まれました。

社会人になった私とは時々手紙のやり取りをするくらいでした。そのうち、手紙が来なくなりました。子育てで忙しいのだろうぐらいにしか思っていませんでした。




ある時風の便りで、ミヤちゃんが入院しているらしいということを耳にしました。私は一時的なことだろうと思っていました。




だけどミヤちゃんの入院は長引きました。


 


そして、2年の闘病の後、天に昇っていきました。告別式には参列出来ませんでした。年末に帰省し、ミヤちゃんのお宅にお悔やみに行きました。おばさんはとても喜んでくれました。


「お線香を」とお願いしたら、子どもが線香の真似をすると困るので…と、線香無しで手だけ合わせました。ミヤちゃんそっくりの目鼻立ちのよい男の子が走り回っていました。2歳でした。


おばさんに、自分も結婚すること、遠くに行ってしまうことを伝えると、身体だけは大事にしてちょうだいと、涙を流してお願いされました。




ミヤちゃんは肺がんでした。24歳の誕生日はすぐそこでした。




ミヤちゃんの家族が、その後どうなったか分かりません。私も数年に一度しか帰省が出来ませんでした。一昨年帰省した時には、昔からの家に洗濯物が干してあったので安心しました。




ミヤちゃんとお祭りに行ったり、漫画の貸し借りしたり、部屋で数えきれないほどのお話をしたことは私の中の楽しい思い出です。


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↑今年初めての豆ご飯。母の写真にお供えです。

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