わたしはたぶん

闇が好きなんだ

好きで好きで仕方ないんだ

これ以上にないくらい大好きなんだ

もう愛しすぎていて

これ以上に興味が持てるもの

などないくらいに

大好きなんだ

好きを極めると

こういうことになる

ほんと闇大好き

今ですね残金がほんと0円なんですよ
マジで自分の人生上はじめてのこと

今まではなんだかんだ
お金が少し残ってたり
借金したりしてつくれる余裕みたいなものが
あったんですが

いまはほんとに0!

ほんと人生初経験です

昨日区役所に行って相談

そして自立支援施設みたいなのに
24日に入ることになりました。

そこでは衣食住の環境は
整えてくれるみたいで

ほんと日本は恵まれてるなぁ
と思った次第です

なんかお金を無くすことに
ずっと怯えそれでお金のトラブルで
人間関係が破綻するのかって
なんか勿体ないなって純粋に思いました。

だってお金なくても普通に生けていけるんだもん

なのにお金なくなったらもう
人生の終わりだみたいな幻想に囚われて

どんどん状況が悪くなる

なんかね ほんと底まで落ちてみると
そういうのがほんとちょっとアホらしくなって
くるよ

お金なくても生きていけるから
まぁ 見栄とかプライドとか
そういうのがやっぱり関係するんだけど

でも大丈夫だよ
お金なくなっても

生けていける

そして自分の場合は
自分を心配してくれる人が
なぜかたくさんいる

だからお金に囚われると
ほんと本質見失う

ほんとに人との繋がりが財産だよ
それが豊かさ
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【ゆうすけを助けるためのだけのコミュニティ開設】


どうもこんにちは

ゆうすけです


とうとういま一緒に住んでいる子が

引っ越すのでいま住んでいる

ところを出ていくことになりました。


ほんと7月から僕と一緒に

いてくれて感謝です


というわけで

これから次に住まう場所が

なくなったので一緒に

住んでもいいよという方いましたら

お声掛け頂けると助かります


今日実は区役所に行って

これから住む家がなくなるなどを

申し伝え、自立支援収容所みたいな

ところを紹介して頂いたのですが


もうたぶんいまの状態で

普通に働くというのは

どうしてもムリと僕のなかで

判断しています


自分の中でいま最も確かめたいこと

それは


「存在の価値」


存在していること

そのものに価値はもうすでに

備わっている


「なにかをするから価値がある」


というのがいままでの一般的な

価値観だと思うのですが


自分の中でおそらく

もっと根源的な


「存在していることの価値」


言い換えると


「命の価値」


この価値を実感として

体験してみたいっていう

気持ちが強いのです


どうしても

いまの社会ですと


「存在していることの価値」

「命の価値」


というのは実感し辛く

ややもすると


命の価値〈お金の価値


になりやすいです


というかほとんどの場合

そうなってしまっていると

思います


でもそうなると


「働かざるもの食うべからず」


みたいな価値感が出来上がり


「なにもしない人は悪」


というそういう価値観が

出来上がります


どうしてもそれって疑問なんですよね

っていうか自分のなかで違和感そして恐ろしい


だからみんななにもしないと

いうことにすごく恐怖し


常に常に価値を生み出していないと

不安で不安で仕方ないといった

症状になると思います。


ちょっと疲れちゃったんですよね

この価値感を持ったまま生きていくのに


なので今回


「自らの存在(命)の価値」


を実感したく


『ゆうすけを助けるためだけのコミュニティ』


を開設したいと思います。


「生きているだけでいい」


一体それがどういう状態のことなのか

ずっとそれが僕は知りたかったこと

なんだなと気づきました


既存の価値感から言ったら


「なに言ってんだこいつ」


でしょうが


でもやはりやってみたい

どうしてもこれをやらないと


ずっと心残りのままに

終わってしまうので


やってみることにします


「ゆうすけを助けるためだけのコミュニティ」


に参加したい方は


【超いいね】ボタンを

押して頂ければ


Facebookメッセンジャーグループ

にご招待します


こちらのメッセンジャーグループ

に入られた方どうしで

いろいろ交流を重ねられても

全然結構です


むしろこれをきっかけに

皆さん仲良くなって下さいね


いろいろな人が繋がって

頂けると僕もこの上なく嬉しいです


なんか凄い緊張しますが

たぶんいちばんやってみたかった

ことだと思いますね


「生きているだけでいい」


っていうのを実証するのって


とは言ってもその中で

気づくことがあれば

発信はしていきたいと思ってますので

悪しからず

今までずっと何者でもないものになるのが

怖かったみたいだ。

 

なんの実績もない

なんの肩書きもない

なんでもない

ただ普通の

なにもないおっさん

 

そんな存在になるのが

心底怖かったみたいだ

 

そんな存在になるのが

怖いから

何者にかなろうと

必死で足掻いていたみたいだ

 

そんなことしたって

自分の心なんか

満たされるはずもないのに

 

ずっとなんでもない存在に

なるのが怖かった

 

そんな存在

いても居なくても

どちらでもいいような

そんな気がしたから

 

価値なんてほとんど

ないなと思っていたから

 

そんな存在

生きてても

生きて居なくても

どちらでも

 

いいと思っていたから

 

でもなんでも

ない存在に絶対に

なりたくない

と気づけた

 

ずっとずっと

動機が存在証明

だけだったようだ

 

 

どうもお久しぶりです
ゆうすけです。
だいぶ久しぶりなんですが
久しぶりにブログを
書き直そうと思いまして
筆をとりました。
今日から仕事はもうできないので
働かないで生きていこうと
決めました。
その間の出来事を綴ろうと
思いブログを再開しました。
みなさんどうぞよろしく
お願いしますね(^^)
「お金」というものを人間が発明してから

人は皆お金を得る為にいろいろなことをしてきた

そうしないと生活ができないからだ。

ある人は海へ出て行き魚を釣り

それを人に提供しその対価として

お金を受け取った。

ある人は作物を栽培し自分たちで食べるより

多くのものをつくりそれを人に売ってお金を手に入れた。

現代の社会でもやっていることはみなおんなじ

ただその提供するものが形を変えただけだ

ある人はプロの野球選手になって野球をする姿を

人に魅せることによってお金を得る

ある人はテレビに出ておかしなことや面白いこと

を言ったりやったりしてその対価として報酬を得る

現代の提供するサービスやモノというのは驚くほど多種多様で多岐にわたり

お金を得る方法も様々で数えきれないくらいのものがある。

がしかし、本当にそれらの「サービスやモノ」というのは

すべて私たちの生活に「必要不可欠」なものなのだろうか?

日々テレビやネットなどを目にしていると私たちの目には様々な広告やら

コマーシャルやらが自分の意思に関係なく否応なしに飛び込んでくる。

「今のあなたにはあれが足りない、これが不足している。」

見る人に何か「不足感」を感じさせて

その「穴」に商品を埋め込むような形で相手にものを買わせる

この相手に「不足感」を感じさせて商売を行うというのに

最近ものすごい不信感を抱くようになった

それはあたかも相手の心に切り込みを入れぽっかりと空いた穴に

次々とモノやサービスを流し込むようだ。

そうして売る側の意図に翻弄された消費者は

自分の本来の姿を忘れどんどんといびつな形に膨れ上がってゆく。

姿ばかりは大きくなるが中身はそれに比例して密度が低くなる

結局心の穴は塞がらずそればかりか逆に大きくなるばかり

そうやって相手によって信じ込まされた「架空」の心の穴に

要りもしないサービスやモノが次々と流し込まれてゆき

どんどん「自分」というものが肥大してゆく

しかもその中身は空っぽですぐにでも壊れてしまうような

脆いもの

人々は皆この「不足感」という最大にして実際は全く

実態の伴わない武器を振りかざしあって

お互いに傷つけあっている

人というのは本来そのものの姿がいちばん魅力的であり

最も価値のある姿だ

その最も価値のある姿に不足感を感じさせなければ

ならない理由というものなんだろう?

それはおそらく「お金」の存在だ

皆お金を得る為に相手に不足感を感じさせて

消費者をカモにしているのに過ぎないのだ

今の世の中が間違っているとはそんな御大層な

ことは言えないけれどどう考えても

これが理にかなったものだとは思えない。

こういった情報にもみくちゃにされていると

何か自分は足りてない存在なんじゃないかと疑いだす

でもそれは周りのそれも実際に会ったこともないような

マスコミやメディアによる勝手なしかも事実の伴わない

嘘の情報を真に受けた人々によって翻弄されているだけなのだ

本当に必要不可欠なものは実は

「すでに」

この世に生を受けた時から備わっているものだ

それは自分の存在に

「すでに」

充分な価値があるということ

存在自体に充分な価値があるということだ

本当は必要なものなど実は最初から何も無かったのだ

だってこの世に生を受けたこと自体に価値があるから

生まれたての赤ちゃんや小さなこども

それやその辺を散歩している犬や猫を

見ていれば答えは自ずと分かるだろう。

人や動物、世界の片隅にいたるその他もろもろまで

何も不足などというものはなく

最初から充分に「足りている」存在だったのだ。



























最近自分で考えるということを意識して生活している。
今までは何かあると書店に行っては自己啓発の類いの本や
インターネットで気になる単語で調べあげて自分と同じような
悩みを持った人がいないか探したりしていた。
でも結局は自己啓発に本やインターネットに書いてある
解決方法はそれを書いた人の答えであってその答えが
自分にも全くぴったり当てはまるということは
絶対としてあり得ない。
これは人間の顔や身体や経験がひとりとして同じ人がいないように
その人の解決方法はその人にしか当てはまらなく
しかもその人のなかでも刻一刻とその解決の方法も変化
しているということを考えれば「これこそが答えだ!」
というものはこの世界にはひとつとして
存在しない。

何かがある度に自分の外側ばかりに答えを求めようとするなら
一度立ち止まってみて自分の心の中にその答えが隠れていないか
探ってみるといい。
自分の抱えている悩みの種は結局自分の手で摘み取る
しかなく自分の心の中にいつでも見つけてもらうのを待っているのだ。

人の悩みは人それぞれ全く同じものはなく
解決の方法も人それぞれ。

ただその人それぞれの悩みの種は
この世界でたったひとつの
「オリジナル」の
悩みの種なのだ。

この「オリジナル」の
悩みの種こそがその人自身の個性であり
その人が今後生きていく中で
最も価値のある「武器」
になっていく。
最終的に最後まで自分に付き合えるのは自分だけなんだよな。
死ぬときになって自分の面倒を最後まで見てくれるのは



たった一人自分だけ。



そのたった一人
の自分を大切にして
あげられないことが
なんと悲しいことか・・・

そうやって
人の人生を生きてしまうことが
なんと悲しいことか・・・