日本最大の国難を回避するため大和魂を | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

仏陀の教えはインドで生まれ、
そしてアジアに広まって文明の興隆をもたらし、
そしてアジアの柱となった。


イエスの教えはイスラエルで生まれ、
そしてヨーロッパに広まって文明の興隆をもたらし、
そしてヨーロッパの柱となった。


儒教は中華文明の礎を築き、
東アジアの柱となり、

神道は日本独自の文化を築き、
そして国家の柱となったのである。


すなわち
「文明や文化の興隆の原点には、
 必ず宗教があり、
 宗教とは国家や文明の柱である」
ということである。


何も知らずに生まれてきて、
時には狼にさえなってしまう我々人間は、
歴史が流れ去ると共に、
ゼロから道徳や倫理や法律を築き上げたのでは実はない。


人類はこれまで、
戦争、略奪、差別、独裁、
そして核兵器の投下といった多くの過ちを繰り返してきたが、
そうした経験と宗教を基に、
実は道徳や倫理や法律を築き上げてきたのが歴史の真相である。


宗教を軸にして、
道徳や倫理や法律を築き上げてきたことによって、
やがて世の中には調和が生まれて、
そしてその世の中において、
科学が発展することによって、
少しずつ時代が進歩してきたのだ。


むしろ逆に、
宗教が無ければ狼にさえなってしまう我々であるから、
幾千年、幾万年と月日が過ぎ去ろうとも、
善悪も無く、
道徳も築かれず、
人権や法律も作られなかったことだろう。


もしそうであれば、
世の中の調和も無く、
科学の発展も無く、
そして時代の進歩もまた無かったことだろう。


だから現代にも、
文明の無い未開の土地に行くと、
まるでエデンの園のアダムとイブのように、
人々は裸でいることに、
何ら恥じらいの心を持たずに生活していることがあるが、
そうした未開の土地と先進地域との決定的な違い、
それは一人一人の智慧の違いであり、
悟りの違いであり、
つまりは悟りを授ける宗教が在るか無いかの違いである。


だからこそ宗教とは、
人間教育の原点であると共に、
実は文明興隆の原点であり、
そして国家や文明の柱でもあるのだ。


そして宗教というものが、
教育と文明の原点であり、
人類にとってとても大切なものであるからこそ、
2500年前に生まれた仏陀、
あるいは2000年前に生まれたイエスに対して、
今でも人類は「尊敬」の二文字を付してやまないわけだ。


正しい宗教とは、
そのレベルの差、カラーの差はそれぞれあれども、
「人間として生まれたのであるならば、
 如何に考えるべきであるか、
 如何に行動するべきであるか、
 如何に生きるべきであるか」
ということを教えて、
人間の心を養い育てる以上、
最高の善である。


しかしながら間違った宗教とは、
人の心を蝕み、病ませ、
そして狂った人生を生き抜かせ、
他人や社会にまで迷惑をかけてしまうばかりか、
最高の善である正しい宗教をも妨害するために、
実は最高の悪である。


最高の善にも、
最高の悪にもなりうるもの、
それが宗教である。


そして狼になりかねない私たち人間が、
狼になることなく、
ある程度は善悪を学んで人間として生きているということは、
正しい宗教から何らかの恩恵を受けている証拠に他ならない。


あるいは原始人のように裸で生きることなく、
洋服を着たり、
暖かい家に住んだり、
科学製品に囲まれて、
文明の中で生きているるということは、
宗教から何らかの恩恵を受けている証拠である。


それはすなわち、
「たとえどんなに宗教が嫌いであろうとも、
 私たちの中で宗教の恩恵を受けていない者はいない」
ということだ。


日本に生きる人間で、
神道の恩恵を受けていない者はいないし、


東アジアに生きている人間で、
儒教の恩恵を受けていない者はいないし、


アラブに生きる人間で、
イスラム教の恩恵を受けていない者はいないし、


ヨーロッパに生きる人間で、
キリスト教の恩恵を受けていない者はいないし、


アジアに生きる人間で、
仏教の恩恵を受けていない者はいない、

というのが人類史の真相である。


だから私たち日本人は、
冠婚葬祭やお寺や神社の観光、
あるいは間違った新興宗教が社会的事件を起こしてニュースになるだけで、
宗教にも触れているように思えるが、
しかし実際には全ての日本人が、
すでに宗教から多大な恩恵を受けているわけである。


しかしこれは日本人のみならず、
これは人類全体に言えることだが、
今、我々人間は、
宗教から学び、
ほんの少し道徳や倫理や法律を築き上げたことによって、
宗教の恩恵を忘れて、
まるで「人間は生まれながらにして善悪を知っている」と錯覚し、
「宗教など不必要である」と自惚れていると言えるだろう。


極めて重大な真実を述べさせて頂くが、

「宗教から恩恵を受けていない者はいないが、
 しかし宗教の恩恵を忘れている者は多い」、

それは変え難い真実である。


このために、
神仏に対する信仰も乏しくなり、
その結果、
この日本において大和魂を眠らせている事態となり、
中国の脅威が沖縄から徐々に迫っているにも関わらず、
多くの日本国民が、
自分たちが本来は獅子であることを忘れて、
のんびりと草を食(は)む羊のごとく戯れているのだろう。


なぜならすでに述べたように、
大和魂の根本は神仏に対する信仰心であり、
そして信仰というものは、
宗教の中に存在している以上、
宗教の意味を忘れたままで、
この国に大和魂が復活を遂げることなどありえないからだ。


今、日本国民が一丸となってやらねばならないこと、
それは芸能人を追い掛け回すことでもなければ、
スポーツ選手のプレーに目を奪われることでもなく、
ましてファッションやグルメの情報を捜し求めるのでもなく、
「宗教とは、
 冠婚葬祭の専門業でもなければ、
 観光事業の専門業でもなく、
 宗教とは確かに、
 人間教育の原点であり、
 文明興隆の原点であり、
 宗教の恩恵を受けていない日本人は一人もいない」
という真実を思い出し、
そして宗教の意味を再確認することである。


なぜならそれでこそ、

本物の大和魂が蘇っていくからである。


なぜならそれでこそ、

この日本が中国共産党の脅威を打破し、

日本最大の国難を回避していくことができるからである。