数年前にあるセミナーに参加した時、数人のグループに分かれそれぞれが

自分の夢を発表し合ったことがありました。その時、私の夢の一つに、人の心が落ち込んだり、暗い気持ちにおおわれてしまったときに、現代人は忙しいので、一瞬で心が浄められ、楽になれる誰もが簡単にできる方法をみつけたいということを発表しました。その時はそんなに簡単に人間の心は変われるわけがないと心の底で思っていたので、そんな夢のようなよい方法があればいいのになぁという気持ちだったことを覚えています

 

 それから数年経った今、五井先生が提唱された「消えゆくすがたで世界平和の祈り」を知り、まさにどんぴしゃでセミナーで願った夢が叶ったことを実感しています

 

 以前の私は、この現実世界は自分の心が創り出している世界だと頭では理解していても、現実の出来事に振り回されて感情をなかなかコントロールできず、私はまだまだダメだと落ち込むことが多くありました

感謝しなければならない、怒ってはいけない、不安になってはいけないとわかっていても出来ない自分を責め裁いていました

ネガティブな感情を悪いとジャッチしてつかめばつかむほどその感情は消えてはくれませんでした

そのような経験を繰り返し、今ではエゴからでてきた本来の自分ではない様々な感情はその都度ただ手放していけばいいことを身にしみて学びました

手放しの方法は色々あり、人によって自分に合うものは違うと思いますが、私自身は五井先生が説かれた「消えゆくすがたで世界平和の祈り」が簡単に出来、いちばん魂が共鳴して心が落ち着くので日々行っています。簡単だけれども神様の深い愛を感じられる素晴らしい祈りに出逢えたことを心から感謝しています

 

 

 五井昌久先生著『愛・平和・祈り』より

 

  「神の御心に還る方法」

 その方法が祈りであります。その祈りの具体的方法が世界平和の祈りなのであります。あいつは嫌なやつだと思った時、その想いを世界平和の祈りに変えるのです。憎悪の感情、妬みの感情、不安の感情が起った時、ちょっと意思を強めて、世界平和の祈りに想念をむけかえるのです。自己が失敗をしてしまった時、他人が失敗をしてしまった時、自分の心を傷つけ、他人の失敗を咎める想いを世界平和の祈りに向き変えてしまうのです。日常坐臥、あらゆる時間、わたしたちは世界平和の祈りの中に自己の想念を置くのです。私たちの正しい生き方は、世界平和の祈りの中から、さわりなく、誤りなく自然法爾的に日常生活の行動となってゆくのです。

 この方法はロケットが高度をあげて成層圏まで行けば、その速度が急速に増加する原理のようなもので、神という大光明、大智慧の中に自己の想念を投入してしまえば、神の大光明、大智慧の活動が、自己の肉体をパイプとして、自己の生活を光明化するとともに、周囲の環境、大きく言えば世界を自ずと光明化してくのであります。

 

 

 

 

 

 今日は白光真宏会を開かれた五井先生の教えに深い感銘を受けたお話です。

私は30年くらいある宗教団体に所属していましたが、3年くらい前に大きな心の変化がおとずれ、その教えに違和感を感じ退会しました。長年組織活動をしていましたので、今後はもう何であれ特定の組織に所属することは一切やめようという考えを持つにいたっています。

ですから、白光会の信徒ではありませんし、今後も入信する気持ちはありません。

 

 五井先生の教えを知ったきっかけは、知人から先生のご著書「責めてはいけません」の一部分のコピーをもらい、その内容に非常に感銘を受けたのです。

それから、五井先生のご著書を10数冊取り寄せ、日々繰り返し読ませていただいています。

 何よりも心惹かれるのは、人間という存在への深い洞察と悩み苦しんでいる人間に対する仏様のような慈愛をご文章からひしひしと感じ、これは人間が魂の目醒めを得て、本当の幸福を得られる素晴らしい愛の教えだと確信しています。

 宗教をやめて、この3年間はスピリチュアルに興味を持ち、SNSで色んな方の配信を見たり、セミナーにも参加し学んできましたが、今の私には五井先生の説かれていることが一番魂に響き、教えの根本である「世界平和の祈り」を日々行うことで自分のエゴやカルマが浄化され、どんどん心が軽やかになり安心感が増していることを実感しています。

 

 次回のブログでは五井先生のご著書で感銘を受けたところなどをご紹介していきたいと思っています。

 

 

 

 先日、妹夫婦らにヘルプを頼んで、畑のさつま芋と里いもの収穫を行った

サツマイモも里芋も植えた後は何もせずほっとらかしだった

最初はたった一個だった小さな里芋がいつの間にか、20個以上の芋をつけていた

サツマイモも最初は一本の細い苗を畑にさしただけだったのが、大きな立派な芋がたくさんついていた

人間はほとんど何もしていないのに、自然の太陽や雨や大地がいつの間にか大きく育ててくれていたのだ

その光景を見た時、あらゆるところに神様の無限の愛が満ち溢れていることを感じた目には見えないけれどすでに無限の愛も智慧も喜びも安らぎも豊かさもすべての善きものが与えられていることを

 

それなのに何故私たちは足りない、足りないと何かを得ようと外に外にと走り回っているのだろう

何故神様の愛を、大自然の愛を感じられなくなってしまったのだろう

 

それは、私たちの魂の上にほこりのように、恐れ・不安・怒り・悲しみ・痛みなどのネガティブ想念が幾重にも積み重なり光そのものの本当自分を忘れてしまったから

 

そのほこりを祓い浄めることが、今の私たちに一番必要なことではないだろうか