ひとりごとを聞いてね。

お久しぶりです。

今年こそは日記を書いていこうと

元旦を迎えたが

はや3月になった。

 

昨年は11月の娘のフォトウエディングのために

洋裁教室に通いドレスを完成させた。

 

娘のフォトウエディングに

95歳の伯母を連れて行った。

認知症がひどくなっていたため

メモを書いておいていたけど

当日も迎えに行く時間より2時間前から電話があり

運転中も何度も電話音

私が電話に出ないもんだから

近所の友人から電話がかかってきた。

10時に家を出て1時間ちょっと車にのり

曇りではあったが時々晴れていた植物園、神社でのフォトウエディング

帰宅は19時

翌日に疲れていないか心配したけど

いつもと同じでけろっとしていた。

 

この時の写真が伯母の遺影となった。

 

ヘルパーさんや

姪の私、甥、子(養子縁組した甥)の三人で

一人暮らしが継続できるよう援助してきた。

何かあるとすぐに電話がかかってきていた。

夜間の電話もよくあったが、

どうでもいいようなことばかり

あの日は、何回もなっていたけど

いつもより頻回だったので

電話にでた。

 

「息ができん、注射打ってくれ」と

慌てて見に行き救急車を呼んだ。

「朝まで待たなくてよかったです」と救急隊

朝方帰ってきて、午後に面会に行き先生から

心不全と誤嚥性肺炎で治療しますと説明を受けた。

翌日、病院から電話、急変したと。

あっという間に天に逝った。

子と私の娘に看取られて

 

1月22日は父の命日

伯母が入院したのが22日

なくなったのが23日22時22分

 

35日の法要も終わり

伯母のいない生活にもなれてきた。

内科の定期検診日

やばい、やばいと思って行った

血液検査最悪

糖尿病と言われて、体重も減らさず

増えていないことをいいことに

(毎年の健康診断には、前年の体重より少し減らすことはしていた)

食事制限や運動をしてこなかった

東京から帰ってきて

食べ過ぎていることはわかっていた

秋から歩こうと思って歩いたときは

セーフの結果だった

 

高血圧で、頭痛に悩まされ、降圧剤は40歳ごろから内服している

50過ぎにタンパク尿、血尿が出て腎臓内科に行った

IgA腎症と言われた

腎臓内科から糖尿病の薬も飲んだほうがいいですよと言われ内服開始した

(それまでは、内服せずHbA1C値だけチェックしていた)

 

IgA腎症と言われタンパク質制限を言われたけど

2~3か月しか食事制限はできてなかった

 

あれから約15年の日々

そんなに体調の変化もなく

退職したと同時に東京にでた

歩く生活、糖尿のデータはそれなりに落ち着いていた

東京から帰ってきて一気にデータが悪くなってきた

先生からも、「東京では歩いていたからね」

薬も増えた

 

去年の春先から左腕があがらない

秋口から痛み止めを飲んだら血液データが悪くなったので

飲むのをやめたら、ますます腕はあがらない、痛みはましている

年末ごろより、股関節が痛くなってきた。

(定年前に腰部に滑り症があると言われた)

あまりにも可動域が左右差があるため、肩を見てもらった先生に相談したら

「歩くのに支障がないのなら、水が溜まっているだけだから検査の必要ない」と言われた。

 

HbA1Cの値がこれだけ悪いと

体調も悪い

体も動かない

何もしたくないと

改めて認識した

データがよくなったら体も軽くなり、動きやすくなるかな

 

HbA1Cの推移

2020年 6.3 6.6 6.3 6.6

2022年 7.7 7.5 7.5(8月) 10.3 9.4 (8月に東京から帰って来た)

2023年 8.7 8.8 7.7 7.6 7.9 8.2 7.9

2024年2月29日 HbA1C 8.4 eGFR 45.2

 

次回、糖尿病内科に紹介しますと言われた。

何も言えなかった。

 

次回 3月21日

3週間、食事に気をつけよう 運動しよう

 

がんばれ がんばれ自分

 

 

 

暑かった長い夏が終わり秋が来た

すごくストレスを感じる日々


高松でのさだまさしコンサートは、とてもよかった

今日は、追加公演の当落の抽選日

また、大阪のコンサートに行きたいものだ


いろいろな事を片付けたい

体と思いと行動が伴わない

次の予定は決まってきている


ストレス解消に

食べることにはしらず

やっぱり体調管理が1番☝️

体重コントロール

運動

半分認知の伯母に

めんとむかわず流せるようにならないと

私のストレスは解消できない


休日の今日

予定をこなして行くしかない