10月は彼と一緒に

娘と娘のお友達を連れて豊浦のコスモス祭りに行った。


一緒にcaravanさんが聴けて嬉しかった。


11月は一緒に長門に行って

美味しいご飯を食べたり、安寧寺で紅葉狩りをした。


綺麗な紅葉を見ながらのお散歩が楽しかったし

おやつもいろいろ食べた。


11月末に身体を壊してしまって

入院になりかけた。


会社をお休みして病院巡りをしようと思っていたら

彼が連れて行ってくれた。


下関まで1時間。

一人じゃちょっと辛かったけど

一緒に唐戸市場でご飯食べたりして、気持ち的に辛くなかった。



ちょっとずつ

ちゃんと

積み重ねていっている。



それが何だかとても嬉しくて

あたたかくて、ありがとうなのです◎






それは私にとってとても急展開で

私でさえ驚いた事だったのだけれど


彼が離婚した。


8月にお互いお引越しをして

彼は家に来ても大丈夫って言ってたけど

その理由が分からなくて不安だった。

だからどうしようってちょっと思ってた。


彼は自分のことをあまり話してくれない。

それは、私を思っての事だと思って

私も聞くべきではないなと思って聞かなかった。


だからとても突然で驚いた。



ありがとう。



というのもちょっと違う。



だって彼は、いろんなものを失ったのだから。

私には言わないけれど

悲しみも葛藤も、

一筋縄ではいかないいろんな感情があるはず。



両手放しでわーい!嬉しい!ありがとう!



と言えるような女でありたかった。

その方が何倍も彼だって楽だろうに。



でも、それでもやっぱり

好きでいることが罪では無くなったことが

とても嬉しかった。



彼が戦って自由を手に入れたこと

彼の本来の力で前に進んで行けること

なんかいろんなことが嬉しかった。



だからちょっと調子に乗って

どんどん加速してしまってた。



私、あまり幸せに慣れてなかった。



特に女としての幸せなんて知らねーよ。。



自ら望んでおきながら

不器用とトラウマだらけで

どうすればいいのか分からない。



強い自分でガンガン切り開くのは

とても得意だけれど



頑張って無理してボロボロになって



そんな私を一時的に治癒してくれる。

男とはそんな存在だったから。



憧れていた女としての幸せを前に、

素直な感情を封じ込めて

舌打ちして中指立ててきた自分が立ちはだかる。


とても惨めで、可哀想で、

目も当てられなくて泣きたくなる。


親になった頃と一緒だ。


過去の自分の報われなかった感情を

これからどんどん浄化していかないと


きっと私は幸せになる自分を

受け入れることが出来ないんだろうな。



ちょっと飛ばしすぎた。

歩けもしないのに走ろうとしてた。



毎回こんなんだと

愛想尽かされちゃうのは分かってるけど

自分との対峙がいつも一番キツい。



でもね、相手は自分の鏡だから。

彼がいなければ

押さえ込んだ自分に気づくこともなかった。

だから、ありがとうだね。



けど思う。

こうして新たな自分の過去との対峙、

浄化が来たってことは

本物なんだろうなって。



魂が成長しようともがいてる証拠だ。




彼と交わっているとき

なんだか不意に心が震えて

泣きたくなる瞬間がある。



今まではこんなこと無かったのよね。



初めての現象だから自分でもとても不思議で

これはいったい何なのだろうか?


と、そうなる度に思っていた。



そうなると自分研究に勤しむのが

わたしの性である。笑

感覚人間だから

自分のことが一番分からない。



悲しいとか、嬉しいとか、

そういう言葉にできる単純な"感情"ではなくて


行為中にふと、

内側から込み上げてくる"感覚"なのだ。



探しているうちに

私の中でヒットする記事を見つけた。

AV監督さんの記事だった。



彼は男女の行為に於いて

「まぐわい」という言葉を使っていた。


"まぐわい"とは【目合い】と書く。



日本古来の、男女の営みを表す言葉。

それは古く、古事記にも出てくるそうだ。


そう、

日本の国産みの話しだ。



いろいろと研究してみて分かったこと。



一般的に使われる男女の営みを表す言葉は

性交を表すもの。


それに比べ"目合い"は

情交を伴った性交を表すもの。


ということ。



監督さんによると


"あなたは綺麗な存在なんだ"

と相手に伝えることで

"こんな風に人と向き合える自分もまた

綺麗な存在だ"と思える


この人を大事にしたいと思った自分、

好きだな。


そんな風に相手を見つめることで

自分もそっと見つけ直せる。


自分にもまだ、あたたかさが残っている。

美しさが残っている。


つまりセックスは「確認作業」なのだと。

だから「目合い」なのだと。




感動してしまった。



そして、

この監督さんの作品見てみたいと思った。

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私の中の涙目になる感覚が

ピタリと重なった。




そっか。




私が涙目になる込み上げてくる感覚は

彼がちゃんと心の目で

"美しい"と見てくれているからなんだな。


私もまたそれを受け取っているから

込み上げてくるんだな。


彼が私を通して

そんな自分自身を美しいと

思ってくれているといいな。



愛の確認作業とはよくいうけれど

その真髄はこういうことだったのだな。



"あなたのことが好き

あなたのことが好きな自分が好き

あなたのことが大切

だから自分のことも大切にする"



美しいな。。



そんな人に巡り逢えて

今世、私はとても幸せだ。




いろんなことがあった。


ずっと戦い続けてきたけど

最近その長い長い戦いが終わった。


生まれたときから背負っていた宿命を

手放さざるを得ない状況に

最初は困惑していたけれど

今はなんだかホッとしている。




去年、好きな人が出来た。




40歳になる今年

高校の同窓会の幹事をしなければならなくて

友達に誘われて20年振りに同窓会に出席した。


最初から惹かれてたけど

家庭のある人だったから、見ないふりしてた。

そのままやり過ごすつもりだったのだけど、、


惹かれていたのは私だけじゃなくて

彼も同じだった。




去年の私は沢山のものを失っていた。



もう長いこと女としての自分を支えてくれていた

ツインの彼は、相変わらず支え続けてくれていた。

けど、彼が私を自分のものにしないことは分かっていたし、いつまでも甘えている訳にはいかないなと

別の誰かと出会おうとしていた。


けれど、そんな人には出逢えず

ボロボロになって奪われるだけで

「もういいや」と

女としての自分も諦めていたし


だから、隣にいてくれる誰かや

支えてくれる何かというものは

娘と、猫と、唯一畑の爺ちゃん。


なのに唯一、この土地で

私が心から信頼し、甘えられる人間であった

畑の爺ちゃんが他界し


20代からずっと一緒に生きてきた猫と

私が一番辛い時に寄り添ってくれた猫を

短いスパンで亡くした。


それから

実家の会社の戦いに敗れ、経営から外されて、

失意の最中にいた。


それでも心を強く持って、なんとか倒れないように

暗中模索をしている最中だった。



会社のこと、家族のこと、娘のこと

全てを一手に引き受けて


"自分のことは今世はもういいや"


そう覚悟を決めかけていた。



周りの人の目には

私は強く、明るく、パワフルに、

キラキラして映るらしい。



だけど実際は

戦い傷つくことに疲れ果てていたし

痛みに慣れ、それすら受け入れてしまいそうだった。

何も感じなくなるように

自分で自分を変えてしまいそうだった。


「すずめの戸締り」のダイジンのように

いろんなものの"要"としての自分を選んで

自分の望みや夢や未来は諦めよう。

それで全てが上手くいくのならもうそれでいい。

"私"の幸せと引き換えに全てを守ろう。



とても悲しかったしとても痛かった。

ずっと助けてと叫んでいたとて声は届かないし

残念ながらここには

私の幸せを願ってくれる人などいなかった。

理解してくれる人などいなかった。



私は、空っぽだった。



そんな時に、出会ってしまった。



20代振りの両思いだった。



とても嬉しかった。反面、とても怖かった。

だけど、差し出されたその手を

掴まずにはいられなかった。

たとえそれが間違っていたとしても。



その時から、モノクロになっていた

私の世界に色が宿った。

綺麗な色ばかりではなかったけれど。



彼と再会して、8月で約1年が経つ。



この1年で私の心は変わった。



失うことや騙されること、傷つくことが怖くて

"私は誰のものにもならない"と宣言してたけど

彼だけのものになりたいと、思うようになった。

そのくらい今、信頼している。


そんなタイミングで

生まれたときからつながれていた鎖が

思わぬ形で外れた。


先祖代々の会社を失った。

役を降り、演じずに済むようになった。


小さい頃から切望していた

"普通"というものを手に入れた。


これでもういろんなものの判断基準に

会社や自分の立場や家というバイアスを

かけなくて良いのだ。


隠すこともしなくていいし

素直に自分の望みを言える。

ずっとずっと

物心ついた時から苦しんでいたものから

解放された。


"誰のものにもならない"

という私なりの「自由」の概念の背景には

囚われの身であるからこその哲学があった。


私はただ一人の人の為に自分は使えない

傷つくことにも傷つけることにも

心の容量を使えない。

望みを叶えることも出来ないし

叶えてくれと願うことも出来ない。

恋愛というものに深入りしてはいけない。


だけど一人ではやっていけない。

だからせめて、誰のものにもならない。

自分は自分で守るし、

あなただけの私にはなれないから。


ジプシーのようにその時その時で拠点を変え

常に役割においての最善の選択ができるように。

心をなるべくクリアに保てるように。

生きていくために。


"誰のものにもならない"という私の自由は

「自由」というものを切望してきた私が

苦肉の策で編み出した概念。


そう思うことで自分を保ってきたし

自分で自分を慰めてきた。


だからもうそれは

鎖が外れた今、やっと要らなくなったんだ。


会社のため、一族のための私は

もう必要ないんだ。


愛する人のために、生きていけるんだ。

やっと。やっとね。




昨日は久しぶりに彼と長い時間

ちゃんと会えたんだ。


海の上に月が出ていて

水面に月の道ができていたの。


あまりに美しくて、彼と2人で車を降りて

海と月と星を見てた。

風が心地よくて、光が柔らかくて、隣に彼がいて

水面の光の道が真っ直ぐ月に向かって

まるで私達のことを

神様が祝福してくれている様でした。


病めるときも、健やかなるときも

このままずっと、ふたりで

光の道を歩いていけますように。





明けましておめでとうございます。

昨年28日に仕事納めして、
夜、職場の先生のお宅の鍋パーティーにお呼ばれしに行き、
次の日からずっと、昼前まで寝る生活してます。笑



明日からいろいろ始まるので、
明日からちゃんと起きてちゃんと寝よう。
と言いつつこの時間。



でもね、久しぶりに過去を振り返る事が出来た。



正直な本音を吐くと、仕事が苦痛。
苦痛になって来てしまっていました。

今年の進級の事を考えると。
去年の後半、本当にキツかった。。
いや去年は最初から超キツかった。。。

3月〜5月に代講が入って週5。
娘の卒園、入学準備、入学が重なり、小学生になるに伴い生活スタイルも変わったし
環境の変化からいろいろあった。

6月から本格的に離婚と向き合って行動に移し、
決着が着いたのが9月中旬。

そっからはもう仕事が忙し過ぎて、ただひたすらとりあえず仕事に穴開けないようにって、がむしゃらに。

やっと終わったけど、
リセットするのに丸5日かかりました(ー ー;)




ひょんな事がきっかけで昔の写真を探し始めたら、娘の赤ちゃん時代から今までのハイライトを辿る事になり、なんだか泣きたくなりました。




何のために仕事をしているのか分からなくなっていたし、理由を探して言い聞かせなきゃいけない程にしんどくなってた。



このタイミングで見直せて良かった◎



昔見た、白い大蛇の夢を今も覚えてる。
そこからずっと、私の神様のお話は続いていて、
それは日常にも絡んでいて、
今ここでまた大事なフラグとして見つける事ができた。



その夢を見てから、出雲大社に行った時の写真を探していたのです。
導いてくれたのはスサノオ様かな◎



私は、私と娘の幸せの為に仕事を始めたの。



5月から仕事増やさなきゃいけなくなりそうだったけど、きっぱり断ろう。
その前に、ちゃんといろんな先生方に相談しよう。


昔はもっと一緒に遊んでたし、
一緒にいろんな事してた。


今じゃ普段は、朝と夜だけで
朝はバタバタで夜はヘトヘトで、まともな私で娘に向き合えてない。


必要としてくれる今が、
どれだけ貴重でかけがえのない時間だろうか。

今より幼かった娘との時間が
どれだけ貴重でかけがえのない時間だったことか。。


やっと思い出せた。



熱中するのは得意。
けど視野が狭くなる。



今みたいに、一歩引いたところから広い視野で見られるように、常に居たいものです。



「かむながら たまちはえませ」



神の御心のままに、導いてくださいませ。



引き戻して下さって、ありがとうございます◎