それは衝動的な感じなのだけど、
そこまで烈しいものでもない。
自分から積極的に行きたい、
というものともあきらかに類が違う。
ふらふらと突き動かされているような、
それだけど行かないといけないとなぜか思わせるような、
そんな不思議な感覚です。
私は宇宙からのメッセージは、
ビジョンや音によって受け取るのではなく、
第三の目によって伝わるので、
この「呼ばれてる」感覚も、肉体がセンサーできる五感の範疇ではないから、
本当に同じタイプの人意外には伝わりにくい。
「呼ばれている」感覚を頼りに訪れた先で、
必ず運が好転している。
呼ばれることは、
若い時は「軌道修正」の役割をしていたのだろう。
年齢が増した今では「自分を癒す」役割。
呼ばれるがままに任せて訪れた土地をあとからよく調べてみたら、
共通するメッセージや守っている神様がいたり、
お伊勢参りに行った時に、途中でふといてもたってもいられず訪れた小さな神社から、
必要だったご加護をいただいたり、
(今思い出して、お礼をしに行かなくては、とふと思った。)
そのたびに私は、一人で生きているわけではないのだと思い知らされる。
こうやってこの世に生を受け、生きているということが、
何よりも大いなるものからの愛を受けていることだと、
思わずにはいられないのである。