早くも春分の日から 1週間が過ぎてしまいましたが・・・、


PC入れ替えなど、いろいろ手間取っていて、記事のアップができませんでした。


消費税アップも目前ですね^^;



さて、春分の日の3月21日、京都府亀岡市にある


出雲大神宮への 「光を観る旅」を開催いたしました^^



すごーく田舎で、だれーもいない場所なので、


もしかすると、お申込み、ないかもしれない・・・ガーン


勝手に考えていたのですが、やはり、ピーンひらめき電球 と何かを感じられた方々が、


横浜、愛知、岡山などから結集され・・・、3人のお子様も含めて


総勢17名での参拝となりました。


当日は京都駅にて集合。嵯峨野線で亀岡を目指します。


20分に1本なので、けっこうギュウギュウの列車でしたが、


観光地の「嵯峨嵐山」駅を過ぎると、とたんに 車窓の景色も、


車内の様相も がらーんとしたものになります(笑)


窓から見える、保津川の眺めも、すごくキレイですよ。


何度かトンネルを潜り抜けると、そこは亀岡 カメ



駅前にはほとんど人の気配もなく お店も数えるほど。


ただし、駅舎は新しくて立派です。念のため。



お昼ごはんをどうしようかと思っていたのですが、


駅前に数店舗、それから歩いて5分くらいのところに、イオンがありまして


その中のファミレスが一番広くていいかなと思い、まずは昼食を。


ランチとティータイムに力を入れる「ひかりたび」ですが・・・、苦肉の策ですあせる



とはいえ、京都駅からこの日は ずっと雨もようで、ランチの間に


なんと ひょうが降ってきまして・・・、


そこはイオン、みんなで傘やカッパなどの 雨具を購入することができました雨


あとは、出雲大神宮はお水もいただけるので、水筒も買えました^^



そして、亀岡駅から13時9分発のバスで、出雲大神宮を目指します。


何せ、10時9分のバスの後は、13時9分まで、バスがないんですから・・・叫び


今回のツアーをどうしようかと さんざん迷ったのは このアクセスの難しさ(笑)


でもイオンでお買い物タイムがあってちょうど良かったんですよね合格



で、バスの中から こんな ひろびろとした、田園風景を眺めながら・・・、

出雲大神宮へ到着です 鳥居






大鳥居をくぐる手前には、弁財天がおわします。



こちらにも きちんとご挨拶。




そして大鳥居をくぐると、ひろびろとした境内へ。










夫婦岩。



真名井の水。こちらはお水も有名です。

別の場所で、お水を汲んで持ち帰ることもできますみずがめ座


「日本水質保健研究所によれば、古生代の石灰岩層をつたって

火山噴火でできたマグマの接触変成岩層から湧き出ている「うまい水」で、

ミネラルがバランスよく含まれる極めて健康によい理想の水であるとするなど

地質学的に実証されております。
このような水は自然界の中でもほんの一部しか存在しないという事です。

(大阪朝日新聞 昭和60年12月26日付)」HPより



看板には、ご祭神は、こちらに一万年前からご鎮座されている、とあります。

まずは拝殿にて、昇殿参拝を。



ご祭神

「出雲大神宮は京都府亀岡市の北東部に位置し、大国主命(オオクニヌシノミコト)と

后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を奉斎し(明治の制による)、

特にこの二柱を合わせて出雲大神、出雲大神宮(日本書紀)、出雲神社などと称へ奉ります。


古事記や日本書紀に見られるように、

大国主命は因幡の素兎で知られる慈愛に満ちた神様で、

当宮末社に祀られる少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力なされました。

その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、

現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事となります。

『丹波国風土記』によれば、

「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。

すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。

よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。」


「当宮は大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主祭神と称え祀り、

丹波國に御鎮座なされています。(他に天津彦根命・天夷鳥命を祀るという説もあります)。

殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、
大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。
天地結びの神、即ち縁結びの由緒は叉ここに発するもので、

俗称元出雲の所以であります。

日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、

丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り

祀られたのが当宮です。

古来大平和の御神意に拠り、国と国人総ての結びの大神を祀るとして

上下の尊崇極めて篤く、崇神天皇再興の後、社伝によれば
元明天皇和銅二(709)年に初めて社殿を造営。

現社殿は鎌倉末期の建立にして(旧国宝・現重要文化財)

それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、古来より今尚禁足の地であります。
又御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地と伝えられています。」 HPより



「ひかりたび」ではいつも、ご祈祷の願意は「神恩感謝」とするのですが、

ご祈祷が終わったあとで、宮司様から、


「自分の願いごとではなく、感謝の意をお伝えになる、というのは

この地、このお日にちにおいて、実にまっとうなお参りの仕方ですね」と


お褒めをいただきました合格


ありがとうございます。皆さまそのために、遠方からお集まりになられたのです・・・。



昇殿参拝のあと、裏山にある古墳と磐座にもご挨拶をいたします。





奥には古墳もありました。

このあたりはまさに 聖地ですね。



とにかく この日は 数分おきに天候が変わって・・・晴れくもり雨雪雪の結晶


天気予報に出てくるマーク、晴れ、くもり、雨、雪 ひょう あられ・・・


なんか いろんなものが降っておりました。


時々 晴れたりもするんですけど・・・いったい、何?って感じですみずがめ座


そんなお天気のなか もう少し、上のほうに上っていきます。


第十代、崇神天皇のお社。


「当宮は崇神天皇により再興されたとの社殿が伝わっています。

この崇神天皇は歴代10代目ですが、『日本書紀』によれば「御肇国天皇」

(ハツクニシラススメラミコト)と記され、


実際に存在した最初の天皇と推測され、その御業績を神格化したのが

初代神武天皇ではないかとも考えられています。」HPより



上の社

御祭神


素戔嗚尊(スサノオノミコト)
厄難消滅の神 櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)

「天照大神のお怒りをかい、高天原から追放された素戔嗚尊は

出雲国に天降りまして、手名椎、足名椎神の女である櫛稲田姫尊を

八俣大蛇の生贄から守り娶られました。

その時に素戔嗚尊が詠まれた

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を」という和歌は

最初の和歌と伝えられています。

また記紀によれば素戔嗚尊の子、また5世あるいは6世が

当宮主祭神の大国主命であると記されています。

上の社本殿は向拝を設けるなど出雲大神宮本殿を模倣した流造ですが、

その造りは一間社と珍しい構造で、創建は文化10(1813)年と擬宝珠に刻まれています。」HPより


笑殿社


御祭神 事代主命(コトシロヌシノミコト):商売繁盛の神


     少那毘古名命(スクナヒコナノミコト):医薬・健康の神


「事代主命は当宮の主祭神大国主命の御子神であり、

皇孫に対する国譲りに功績のあった神様でありまして、託宣を司る御神徳で著名です。

また少那毘古名命は国譲り以前の国造りに際して

大国主命に御協力遊ばされ、共に温泉を衆庶に広めて医薬を教え、


その完了後は常世国にお移りになられました」HPより





さらにその上には、禁足地となっている奥の磐座があります。

こちらは、国常立尊が降りられた場所と伝えられています。


昔は自由に参拝できたそうですが、磐を削って持って帰るとか、


木々を触るとか、目に余る行為が続いたため、今は禁足地となっているそうです。


この鳥居の上に上るには 社務所で、許可をいただいてからとなります。


この出雲大神宮も、ご神体山は 御影山、千年山ともいいまして、


国常立尊がお静まりになる聖域です。



小雪がちらつく中、子ども達も機嫌よく参拝を終えて


またバスに乗って、亀岡駅へ戻り、駅前の喫茶店で、ティータイムとなりました。


ミスタードーナツか、イオンのファミレスか、という選択でございました。



時間があれば本当は 境内の裏にある、こちらのお蕎麦屋さんに寄りたかったのですが。



境内左側の 鳥居を出たところに、蔵のような建物が。




そば処 出雲庵。


一度 行ったことがあるのですが、時間の都合で、今回は断念しました。


昼食のおそばや ぜんざいなどの 甘味ものもあります。

ただし不定休ですので、事前に確認が必要ですね。



ということで、お天気が様変わりするなか、たくさんの方々にお集まりいただきまして

みなさま、本当にありがとうございましたラブラブ







今回、どうしてもこの春分の日に、こちらにお参りをしたかったのは、


2014年の節目の日、というタイミングに、「元出雲」と言われるこちらに


どうしてもお参りがしたかったのです。


昨年の 伊勢と出雲の遷宮のあと、この日本では大いなるリセットがされたのですが、



今年になって、2月に 西宮の廣田神社である、天照大神の荒御魂へ、


そして3月に 亀岡の出雲大神宮へ・・・という インスピレーションが来ました。


昇殿参拝の折に、全員で 「鎮魂詞=いのりのことば」として、


「幸魂 奇魂 守り給い幸い給え」 と3回 唱えました。


私の中では、伊勢と出雲の 陰陽が逆転する・・・感覚でしたが、はて??



昨年 本来ならば 伊勢と出雲の遷宮に合わせて参拝するはずなのですが、


まったく、昨年は、その「感覚」が来なくてですね・・・えっ


おそらく、今回の廣田神社と出雲大神宮が、私にとっての


遷宮のご挨拶なのでは、と感じております。



今に伝えられる記紀神話というのは、


それを書き残した人々の「意図」があるようにも思えるのです。



ツアのために、出雲のことをいろいろと調べてみるのですが、


やはりそれはどうしても、その著者の推測というか、「一説」なのであって、


それをいくら私のアタマの中に入れても、あまり意味がない・・・気がしました。


それよりも、「この日、この場所に、必要な人に集まること」という


根拠のない確信・・・みたいなものさえあれば、それでよし、という、


もはや あくまでも「感覚」 「直感」の世界なのですが・・・。



ふだんはもう少し、理論とか、リクツを並べてみたり解説をしたりしますが、


まさに 今回のツアーは 「チャネラー:長谷川章子」の


アンテナだけに頼ったツアーだったという気が・・・します 流れ星



おそらく、この日は、いろいろな地域で、そのように「感知した人」が


それぞれの動きをされていると思っていました。



・・・ら。



やっぱり・・・、いらっしゃいましたキラキラ


かの有名な、「天下泰平ブログ」の滝沢泰平さん。


なんと、山梨在住の滝沢さんが、この日は 奈良の大神神社に参拝していたそうです。


大神神社のご祭神は オオモノヌシノミコト=オオクニヌシノミコト なんですね。


滝沢さんのブログに 私たちの疑問への返答のような文章が掲載されていたので、


ご興味のある方は ぜひこちらをお読みくださいませ。


幻の都となった纏向京





いずれにせよ、数千年、一万年も昔の、昔むかしのことです。

誰も見たことがないし、誰も覚えてはいません。

証明する文書も残っていません。

考古学の世界、推測の世界なのだと思います。

ただ、このところ、いくつものところから、

縄文、出雲、といったサインが来ていて、不思議な符号を見せています。



もうしばらく、内側からのサインにしたがって、

探索を続けてみようと思います。



次回、関西での「光を観る旅」は 今のところ未定です。

5月10、11日あたりに次のツアーを開催したいと思っております。



そして、関東では、

4月12日(土) 「皇居&首塚ツアー」を開催いたします。

こちらも、平将門公にまつわる、新しい情報が入りましたので、

ぜひ楽しみになさっていてくださいね晴れ

(近日中に 下見ブログをアップします・・・)


詳細は  こちら