ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-s6

さくらの開花予報が 聞こえてくる季節になりました。



2年前の春もどれだけ さくらが咲く日が 待ち遠しかったことか。


さて 12日は新月です。


さくらって満月を目指して咲くと 聞いたことがあります。


次の満月が 3月27日。 楽しみですね・・・。



一昨日は 3月11日。



あれから 2年がたちました。


あまりそのことに深く 言い及んだ文章は書けないなぁと思いつつ。


12日、新月のメルマガを配信しました。





昨年の8月に 石巻へ行きました。


川をはさんで 向こう岸に 大川小学校がありました。


そのときは あるイベントで講師として 伺ったのですが


何もかもを 一瞬のうちに無くしてしまわれた方々を前にして


何を話すことができるのだろう・・・と すごく苦しくなりました。




幸か不幸か、イベントに参加されていたのは 現地では 


20名ほどの 仮設住宅の方々でした。


お年寄りが多くて ちょっと遠巻きに見られている感じがしました。


主に 話を聞いてくれていたのは イベントに出演するために来ていた


劇団の 若者たちの方でした。

自分としては 精いっぱい話しをしてきたつもりでしたが


しかし この土地に乗り込んできたことは


果たして 自分の 自己満足に終わっていないだろうか?


もっと 本当の意味で 被災された方々に寄り添う手段はないのだろうか?


高いところから上から目線で 話すという自分の仕事について


ものすごくギモンを感じました。



正直な気持ち ああいう場面は 二度とご遠慮したいと思って


ヘトヘトに疲れて帰ってきました。


たぶん 2012年で 一番、うちひしがれたのが石巻行きでした。


いっしょに出演されていたブラスバンドの学生さん達の演奏のとき


最後のほうになって 被災地の方が 立ち上がって喜んでおられたのを見て


音楽の力ってすごいなぁ・・・ということと、


あぁ、 現地で求められているのは こういうことなんだなぁと 思いました。




そして 今度は もし可能ならば 被災者の方々と 一緒にご飯を食べたり 


身の上話しをゆっくりと聞いたりして 一緒に泣いたりできるかもしれない。


そういう場面だったら そこに いられるかもしれない。


ただ 壇の上から えらそうに講演なんて もう できない。


個人的には 石巻で いいことをしたなどという気分には まったくなれず


非常に後味の悪いものになってしまったのでした。


しばらく そのときのことが ひっかかっていました。


 



その後、あるテレビで 薬師寺のお坊さんが


被災地で 活動をなさっている番組を見ました。


被災地に赴いて 法話をされ お写経をすすめておられました。


そこにいたる経緯を お坊さんも 涙ながらに語っておられました。



「何かも持っている自分が 何もかもを無くされた方々の前で


何をえらそうに 説けるというのでしょうか。


本当に 言葉がありませんでした。



凄惨な町のようす あの瓦礫の山を見て ぶるぶると手が震えました。


そのときに 自分の口から出た言葉は


『あぁ、この町に生まれなくてよかった』 という言葉だったんです。



真剣に 僕は 坊主を辞めようと思いました。


僧である身の自分が なんと業の深い言葉が 出てしまったのだろう、と。


これまでの修行とは一体なんだったのかと。」



このお坊さんは 薬師寺でも とても有名な方でした。


その方でさえ これほど 胸をかきむしるほどの 苦しみを味わっておられたのでした。



薬師寺さんには 奈良でも 東京のお写経ツアーでも 何度か お世話になっていて


勝手に親近感を抱いていましたので 


よけいに その番組のメッセージは 胸に響きました。


薬師寺のお坊さんでさえ、こんなに悩まれたんだから


あの時の自分が感じたことも それに近いものがあるのかもしれないし・・・、


あの番組を見て ほんの少しあの時の気持ちが 癒されたような気がしました。




薬師寺のお坊さんは 東北の土地を回り 


被災地の方々に お写経をすすめて おられるそうです。


お身内を亡くされた方々が 集会所などに集まり


般若心経に 家族への思いを込めて 一文字一文字 書いておられる。


お坊さんは ご遺族のお話を聞いて一緒に涙を流されたり


読経をなさったりして 被災地の方の心に そっと寄り添っておられました。


宗教や 信仰心、というのは やはり こういう場面にこそ 


心の拠り所であるのだなぁと 思う光景でした。



10日に薬師寺で法要があり 被災地でしたためられた

お経が ご本尊に 奉納されていました。



あの夏以来、多忙を言い訳に 現地に赴くこともできていませんし


その分 祈ったり お写経に思いを込めたり 


そういうことしか 今の私には できていませんし。

そういう思いがあった上で 細々と 自分なりに


お写経ツアーなども企画しているというわけです・・・。




関西に住んでいる私は 阪神大震災も体験しましたし、


そして さらに この先 いつ 何が起こっても おかしくないという状況の中を


私達は 生きているわけです。


足元が揺れることばかり気にしていたら トンネルで コンクリートが崩落したりする。



神田昌典さんの最近のご著書のなかに


阪神大震災から50年 日本は危険な時期にある とあったので


1995年 + 50年 = 2045年 まで。


あぁ、いつなんどき 何が起こってもおかしくはないし 誰にも文句は言えない。





いろいろ いろいろ 逡巡するのですが


結局 いつも私が たどり着くのは 


あした死んでも悔いのない生き方をするしかない、ということです。




「行ってきます」と手を振って 学校へ行った小学生が


「行ってくるよ」と言って クルマに乗り込んだサラリーマンが


「行ってらっしゃい」と手を振って家族を 送り出した


お母さんが 赤ちゃんが おばあちゃんが


その日、海に呑まれて命を落とすなどと 誰が予想できたというのでしょうか。


 

それを思うと 結局は 日々 生かされていることの有難さと


生きることの不条理と 矛盾や エゴや 悲しみや そういうものを抱えつつ


愚かしく生きるしかないのかなと 思ったりします。




キレイごとは そりゃ 言葉を並べたら 書けないこともないですが


あんまり、そういうのは 得意じゃないんで(苦笑)・・・。


チャネラーなんぞ やっていたって 私自身が神さまってわけではありませんし


ちっぽけな 一人の人間でしかありません。



日々を 丁寧に生きていく ことしか できないのだなぁと 思います。


それすらも 難しいなぁと 思うんですが・・・、実は。