9月だというのに 35度にもなった先日、

京都の二条城ツアーへ下見に行きました晴れ



今回は、地下鉄二条城前駅で集合して、まず、

近くにある 神泉苑へと向かいます・・・。


徒歩約5分くらい



あ、すぐにありました



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京都市 中京区 にある東寺真言宗 の寺院。

本尊は聖観音 不動明王 弘法大師 二条城 の南に位置し、

元は平安京 大内裏 に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。


境内に「大歳神 :歳徳神(さいとくじん)」を祀るが毎年大晦日の晩に

恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる

(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに

見られる祀り方であると伝えられる)。





延暦 13年(794年 )の平安京遷都とほぼ同時期に、

当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。

当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北約500メートル、

東西約240メートルに及び、池を中心とした大庭園であった。





延暦19年(800年 )7月19日(旧暦)、桓武天皇 が行幸したという内容である。

延暦21年(802年 )には雅宴が催されたとあり、この頃から

神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。





神泉苑には竜神(善女竜王 )が住むといわれ

天長 元年(824年 )に西寺守敏東寺空海 が祈雨の法を競い、

空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになったという。




貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われた。

貞観11年(869)には神泉苑の南端(現在の八坂神社 三条御供社の位置)に

66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出し、

現在の祇園祭 の元になったと言われている。


中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年 )、徳川家康

二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に

取り込まれて著しく規模を縮小した。




伝承では源義経静御前 が出会った場と言われる。」(ウィキペディアより)






むむむ・・・目





気になるキーワードが 山盛りです叫び





なんか、二条城より、こっちがメインじゃないのって感じです。



空海さま。龍神が住む池・・・。

八坂神社って・・・ご祭神はスサノオさまですし。




いやはやガーン 高野山から、続いていますね。







中へ一歩入ると こんな感じ。
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まず、弁財天にお参りです。


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・・・剣、つるぎ、ですか、またもや(汗)



こちらが矢剣神社さまです。

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この橋の手前に 龍神さまのお堂があります。

橋を渡ると、観音堂があります。

願いごとを一つだけ思いながら橋をユックリ渡って



龍神さまにお願いすると叶うそうですよ合格







龍神が住むというお池。

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龍の形をした船でお食事ができるようです。



この建物は、料亭になってて、結婚式もOKラブラブ


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反対側の門からは料亭の入り口になっていました。


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うーむ。最初っから飛ばしすぎってくらい

濃ゆーい場所に来てしまいましたね・・・あせる



それにしても、








熱い 暑い 暑いよーーーメラメラ