イメージ 1
                           ( 奈良田温泉から下部温泉駅まで移動、タクシー車窓 )
イメージ 2
                 ( 奈良田温泉から下部温泉駅まで移動、タクシー車窓 )
イメージ 3
                       ( JR身延線 下部温泉駅 )
イメージ 4
                   ( JR身延線 特急ふじかわ5号 )
イメージ 5
                        ( スーパーあずさ18号 )
11時45分には全員が奈良田温泉の庭先に揃ったので、予定の12時よりは早かったのですがジャンボタクシーでJR身延線の下部温泉駅に向かうことになりました。
私は行きの時と同じ2台目に乗りました。初日はこの2台目にサブリーダーのNさんが助手席にのりましたが、この時は登山ガイドのAさんが乗り込みました。ジャンボタクシーの中年らしい、はげ頭の運転手さんは話が好きで、下部温泉に到着するまで登山ガイドのAさんとおしゃべりしていて、その会話を我々も聞いていました。タクシーの運転手さんは地元の情報を色々披露してくれるので、それを聞いているだけで時間が過ぎるのを忘れてしまうくらいでした。
 
JR下部温泉駅には出発が早かった分電車の到着予定時刻より30分以上も早く到着してしまいました。ここでは奈良田温泉と違い酷暑を感じました。古びた駅舎の中は少しは涼しいので皆がザックを置いて休んでいました。
私は何かお土産を買わなくてはならないと思い周りを見渡すと土産物屋ののぼりが何軒かの家の前に出ていたので、一番大きそうな店に行きました。店のおばさんの「包装紙を変えれば何処の土産物も同じですよ」という話を聞いて会社に持参する土産物を買ってから、店の片隅に置いてあるクーラーボックスに地元でしか販売していないという富士山マークの炭酸水を見つけて飲んで一息つきました。
 
沢山の土産物を手にして、下部温泉駅のホームで特急電車を待っていましたが、少し遅れて到着しました。ローカル線の特急だけあって、特急と言う程の早さはありませんでした。遠くに真夏の南アルプスを見ながら暑そうな田舎の風景を車掌から眺めていました。
しかし甲府が近づいてくると特急あずさの時間が気になりました。殆ど乗り換え時間が無いので間に合うかなと心配になり、身延線の特急が甲府駅のホームに到着すると、飛び降りて甲府駅のホームを走って中央線の特急あずさの指定席の番号札の掛かっている場所に走りました。この時、甲府は丁度午後2時で猛暑の最中でした、暑いなんかと言ってられないと思ってホームの一番前で待っていると、ツアーメンバーが全員揃った頃、直ぐにスーパーあずさが甲府駅に到着しました。
最後の最後までなにかかにやと忙しく大変な登山というのを経験したツアーとなりました。
イメージ 1
                                           ( 奈良田温泉の施設 )
午前10時前、奈良田温泉の裏口から入ると、「荷物は外に置いて下さい」と言われた入り口の場所には既に下山した高校生の沢山のザックが並んでいて、わずかに空いている場所にザックを置きました。
「温泉は洗い場が5名しかないので高校生も順番に入ってもらっています」と髪の薄い中年の男から言われたので、出発の12時まで2時間もあるのでゆっくり入ればいいと思いました。先ずは炭酸水を飲もうと言うので冷えた炭採水を一気飲みしてから温泉に行きました。
午前6時に大門沢小屋を出て4時間もかけて下山したのですが、4本のペットボトルの水は無くなり噴き出す汗に変わっているのでした。
 
気持ち的には一刻も早く体を洗いたいと言う気持ちでしたが、温泉の脱衣場では解説通り高校生が裸にタオルを腰に巻いて順番待ちをしているところでした。私を入れて5名でしたので、もう一巡待てば洗い場が使える状態でした。風呂から上がった高校生の一人が「洗い場の後ろで待ってプレッシャーを掛けないと・・・」とアドバイスをしたので、私を含めた5人は中に入って洗い場の順番を待ちました。
高校生が体を洗っている様子を見ていると、人によってこんなにも違うもんかねと思うほどに、体の中心から順番に洗っている者がいるかと思えば、躾が無かったと思える程に小さい場所をでたらめに洗っては水ばかりを流す者をいて、面白くもあり退屈でもあるような時間を過ごしたのでした。
洗い場の前で10分も待つとようやく私の番になって体を洗うことが出来ました。ひげそりから始めて、体の隅々まで石鹸水をしみ込ませると肌の穴が開いてさっぱりすると同時にほっとした気分になれるのでした。体を洗い終わると、4日間の汗臭い体がきれいになったようにも思えましたが、温泉に入ると酷くぬるいもので長時間は入る気がしませんでした。又、若い高校生連中が入浴した後なので、何となく清潔感がうせている様にも感じられました。
さっさと湯船を出て、乾いた下着とシャツに着替えると、気持ちがいいのでそのまま横になって寝たいような気になりました。
 
昼食もこの温泉で出している香の無いざるそばを食べてから、お茶のアイスクリームをデザートで食べて昼食としましたが、何となく体はもっと水分がほしいと言っているように感じました。
この時、一緒に同行していた男が自宅で蕎麦を打っているといって他人の蕎麦を少し食べて「これは普通の出来の蕎麦で、ゆでてから時間が立ちすぎていますね」と感想を述べていました。
暫くすると登山ガイドのAさんと途中から参加したYさんが現われ、豚ベーコン丼を食べながら「うまい」を連発していましたが、姿勢は私を背にしていました。   
 
食事を終えてから外の木陰に出て休んでいると、洗髪した髪がさらさらと風に吹かれ、頭の上を心地よい風が流れて快い時間が小一時間ほど流れていました。温泉の下側にある斜面では雑草とりをする草刈り機の音が暑い日差しを感じさせました。
イメージ 1
                                        ( 林道から夏の景色を見ながら歩く )
イメージ 2
                       ( 橋を渡ると奈良田の集落 )
イメージ 3
                     ( 奈良田集落を暫くあるくと温泉が見える )
イメージ 4
                        ( 奈良田温泉に到着 )
林道は日差しが強く登山ガイドのAさんが「日傘でも差さないと・・」と言ったので、私も真似をして持参した雨傘を出して日傘として奈良田温泉までの歩きに使いました。
林道を下り、発電所らしき建物が見えた場所で普通の舗装した道になり強い日差しがありましたが、傘の御蔭でそれほど気にはなりませんでした。又、暫く道を下ったダムの横にはパラソルがあって、年配の男が一人座っていました。バスの切符売りなのか、道路の指導員かは分かりませんでしたが、無駄な費用をこういう場所で費やしているのだろうと思いわせるものでした。
 
この時後ろを歩いていた男から「ご自宅に小さな子供がいる人はいませんか?」と声が掛かりました。歩いていた一人のおばさんが「いますよ」と答えると「クワガタを見つけましたのであげます」という会話がありました。道を歩いていて見つけましたと言っていました。
奈良田に近づくと、大きな橋を渡り通行止めの標識があって「ここから先は乗用車は入れません」と登山ガイドのAさんが解説していました。少し先に駐車場が見えてバスや車が見えてくると「もう少しです」と言ってから、道から左に入る坂道を登り始めました。この坂が結構急で苦しくなりましたが我慢して一番上までくると、左側の道は林道につながっているようで全面通行禁止のバーが降りていました。登山ガイドのAさんは「以前はタクシーで来たのでうろ覚えなんだが、もし間違っていたら謝ります」と言って坂を下り始めると「温泉だ・・・」と大きな声で後ろの面々に伝えて温泉の玄関を入りました。
イメージ 1
           ( 登山道にある大きな石、登山ガイドAさんと離れて撮影する )
イメージ 2
                    ( 老朽化して人数制限のある吊り橋 )
イメージ 3
                ( 新しいですが長い吊り橋、渡りきった場所から撮影 ) 
イメージ 4
                          ( 頑丈な吊り橋 )
イメージ 5
                                         ( 林道から登山道へ入る標識 )
登山道は殆ど下りばかりでしたが、緩やかな登りがあったり、急坂の下りがあったりというような変化に富んだものでした。何となくトリッキーな面白そうな登山道かなと思えますが、下降点から大門沢小屋までの荒れた登山道と、大門沢から奈良田までの登山道は昨日同様にきつく峡谷のような場所も多々あり、そういう場所を好む人には面白いコースであろうと思えました。
しかしながら素人の私には少々きついものでした。勿論歩けなくなるというようなことは無かったのですが、足の痛みが2・3週間も残ったのでそういう事が裏付けられたのかなと思ったのでした。
 
半分壊れかかったような丸太の橋を渡り、暫くは樹林帯の中を歩いてから川筋から離れると吊り橋が現われました。最初は古く錆がでているつり橋で人数制限があるというので、恐々一人一人が渡りました。二本目の吊り橋は新しいのですが長いので少し恐怖感がでるような橋でした、ここでは登山ガイドのAさんは5・6人が渡り終わるのを見てから先に進みました。この場所の道は未整備らしく登山ガイドのAさんも坂道を誤って進み、途中で間違いに気づいたというような道でした。坂道がきついので、上がった場所で全員が揃うのを待ってから歩きだすと、大門沢小屋へ荷物を上げる20歳台の若い男に出会いました。毎日の食材を運んでいるのだろうと思いましたが、こんな暑い日、人が一人しか通れないような道を歩き、険しい幾つもの坂道を上がることを考えると、今日の大門沢の小屋の朝食もあれが限度かなと思えるのでした。
 
3本目の吊り橋を渡った場所で最後の休憩となりましたが、この場所では女性が小用を足そうとすると人が現われて出来ないと言っていました。仕方なく、その場所から5分程も歩いてダムの横の林道に出ると、登山ガイドのAさんは「これからは普通の道で滑落もないし、何をしても大丈夫だ・・・」と言って、自分の仕事は終わったというような感想を述べていました。登山道入り口の横には工事小屋があって、仮設トイレがあったのでここで女性たちは我慢していたらしく大勢が利用したので10分程は再び休憩になりました。
イメージ 1
                     ( 平らな樹林帯もありました )
イメージ 2
                     ( 谷底に落ちる様な急坂 )
イメージ 3
                  ( 傾斜のきつい場所も沢山ありました )
イメージ 4
               ( 登山ガイドのAさんの怒りが爆発した休憩場所 )
私は歩きながら写真を撮影するので登山ガイドのAさんの怒りにふれたらしく「歩きながら写真を撮るな、何度言ったら分かるんだ」と怒りの感情をこめて言う場面もあったので、暫くは撮影をしないでおとなしくしていました。
急な坂でも写真を撮ろうとするのが気に食わぬというように思いました。又、その兆候はこの日の最初の休憩のときに現われていました。誰も通りもしないような場所に私が座るのを見て、登山ガイドのAさんが「そこは通路だから・・・」と注意していたので何か変だなという風に感じました。何か私に対して何かしら面白くないという感情を持っていたのが現われたのかなと、少々嫌な気分になったのでした。
坂道を下りてから、川べりの休憩地でも到着するや否や「歩きながら写真撮影は駄目だと言っただろ」と叱責されたので、私は離れた場所に座って黙って聞いていましたが、何だか大人気無い発言に大いに気分を害したのでした。同時に、感情の制御できない人に逆らって益々厭な感情に陥るのを避けようと思ったのでした。
こういう状態でしたので、以後の写真撮影は控えざるを得ませんでした、これは折角の登山記念にしようとしているものは非常に不満が残りました。仕方なく、少し距離を置いてシャッター音が聞こえないようにして撮影をせざるとえませんでした。しかしながら、このころには樹林帯の歩きかりで取り立てて景色がよさそうな場所も少なかったのが幸いでした。
こういう登山ガイドのAさんの態度に恐れをなしたのか、委縮した女性の一人は「水を飲んでもいいですか」というようなことを登山ガイドのAさんに聞くような場面もありました。
イメージ 1
                              ( 最初の橋は少しガタガタして安定感が無い )
イメージ 2
                  ( 岩の周りの鉄製の橋は相当古くて壊れそう )
イメージ 3
                  ( 新しい木材で作られた橋は安定感があります )
目的地の奈良田温泉の標高は825mなので、この日は約900mも下山することになりました。途中の道は険しい急坂や心細い丸太の橋を渡るものでした。途中で岩が出ている場所では危険な予感がしましたが滑落も無く全員が無事に下山することが出来ました。
丸太の橋は台風の時などで流されてしまうので都度掛けなおしているという話もありました。今年は台風15号で今頃は橋は流されているのではないかと思いました。
丸太の橋は人が一人通れる程のものなので、おばさん達は恐がって渡るのに時間がかかる時もありました。私は子供同様こういう危険な場所が好きなので、とれも楽しいと言う気分になれるのでした。
イメージ 1
                                          ( 40年変わらぬ朝食 )
イメージ 2
                       ( 遠くに富士山を望む )に富士山を望む )
大門沢小屋の朝食が午前5時なので午前4時30分にはごそごそとニ階のメンバーが起き出しました。ザックの準備さえすれば直ぐに終わってしまうので、30分程は布団を畳んだ後の板の間にじっと膝を抱えて座っていました。顔を洗う元気もないような状態でした。
誰かが窓を開けると富士山が見えたので少しは気分が晴れ晴れした気分になって、皆が競ってカメラでかすかに見える富士山の写真を撮影していました。登山ガイドのAさんはそういう面々を見て「昨晩起きた時に外に出たら星空が綺麗でしたよ、木陰で少々視野は狭かったけどね」と自慢げに話をしていました。
この時には二階で寝ている殆ど人は起きていたのですが、それでも数名の男が布団で寝ていました。部屋の中がこれだけ騒然としていても起きれないのは、余程の深酒で起きることが出来なかったのだろうと思わせました。
 
小屋の主人が「朝食ができました」と声をかけてきたので全員が食堂に行きました。この日もセルフサービスでしたが、ご飯に生卵と味噌汁というメニューでした。登山ガイドのAさんが昨日の残りのふりかけを持参して「生卵が食べられない人は使ってください。十人にニ三人は生卵が食べられないんだよね」と経験談を語っていました。
私はこの日もご飯は少なめにして卵をかけて食べました。そそくさと朝食を終えて、寝泊まりしているニ階に戻りました。昨日から水ばかり飲んでいたので便意はなかったのですが、この生卵が効いたのか下山を始めてニ三十分もすると強い便意に襲われました。
イメージ 1
( 内部は板を渡しただけの名物トイレ )
イメージ 2
( 一人だけ寝るだけのスペースはある )
イメージ 3
( 40年間変わらない夕食だそうです )
大門沢小屋に到着するや否や、本当は炭酸水が飲みたかったので冷たい飲み物を探しましたが見当たりませんでした。流水で冷やされているのは大量の缶ビールと2本のお茶缶と、ざるに入れられたキウイとミカンしかありませんでした。即座に冷えたお茶の缶を一気に飲み干しましたが、喉の渇きはいやされることはありませんでした。炭酸水は明日以降に我慢せざるをえないと諦めました。
 
小屋到着後、直ぐにニ階の宿泊場所に案内されました。板敷きの広間に毛布と敷布団が11組づつ両側に置いてありました。片側全部は女性陣が使い、反対側にサブリーダーのNさんと男三人が並んで寝ることにしました。当然ながら、着替える場所が無いので、女性陣は仕方なく毛布を着て着替えていました。
板の間に腰をおろして座ると、ビショビショに濡れたズボンの湿気が板に吸い込まれてお尻の跡がついていました。初日は布団に汗をしみ込ませましたが、この山小屋では板の間に汗を吸いこませました。疲れたので板の間にごろりと横になると、山小屋の20cmくらいの太い木の梁が見えて予備の建材が置いてありました。この太い梁を見ていると山小屋は結構丈夫にできていて40年間変わらないというのは理解できるような気がしました。
炭酸水は飲み損ねて残念な気持ちでじっと天井を眺めていたら、明日の水を準備しなくてはならいと思いだして、空になったペットボトルを持って水飲み場に行きました。この日はたまたま群馬県の高校山岳部が我々と同じルートを歩いていて、既に山小屋の外にテントを張って夕食の準備をしているところでした。人数も40名程だったので、この水飲み場も大混雑で順番待ちでした。高校生たちは水も大きなプラスチックの容器に入れていたので時間が掛かっていました。
私は欲張ってペットボトル5本分に水をいれましたが、登山に疲れてきたので少しでも軽くするために山小屋のそとで1本は水を捨てて、4本で出かけることにしました。この水飲み場の水は井戸水のようで冷たくおいしいので何度も飲みました。食事のたびに出るお茶よりも、ここの水の方がよほどおいしいと思いました。
夕食までの間に簡易のシャワー室があるので利用した女性もいました。しかしながら利用したのは2名で、少数派でした。明日には温泉に入るので、中途半端に綺麗になっても仕方が無いというのが本音だろうと思いました。
 
それから話題になったのがトイレでした。山小屋の少し下った場所に掘立小屋があるのですが、扉の高さは屋根の三分の二位の場所で切れていて匂い抜けになっているようでした。トイレの中は2本の板があってその下に汚物がおちているのですが、土ではではなく岩の上なのでそのまま形が見えました。もちろんトイレットペーパーも無いので自分で持っていく必要がありました。男の小用のあさがおが外についていました。このような状態でしたので、若い女性ののNさんはトイレの利用は厭だというような顔をしていました。シャワー室を作る前にトイレを直す方が先だと思いましたが、金の取れる施設を作りたいというのは人情かなと思いました。
 
午後5時に夕食というので休む間も無く食堂に指定された小屋にはいりました。食事はセルフサービスで取ってから広間に持っていって下さいという説明でしたので、厨房に行ってから自分の分を持って三列に並べられた長いちゃぶ台に夕食のトレイを置きました。
夕食はどんぶりご飯に味噌汁と魚のつくだ煮、筍の味噌漬け、ゼンマイの煮物に沢庵でした。登山ガイドのAさんはふりかけを持参していて、この質素な夕食の対応を考えていましたと言ってました。ご飯だけは御代り自由なので基本的にはご飯を沢山たべろというようなものでした。私は疲れていたのでご飯を少なく目にしてもらって十分な量でした。この部屋には昔ながらのブラウン管の小さなテレビとVHSのビデオデッキがあって、北岳の高山植物を紹介していたので、そのビデオを見ながらの食事となりました。
この小さな食堂も満席となっていましたが、一時期のことなのだろうなと感じました。登山ガイドのAさんによれば40年前のままの古い山小屋ですと解説していました。そういう意味では貴重な文化遺産ということもできましたが、言い方を変えれば時代に取り残されたともいえるのかなと思いました。
食事後は私は勝手に先に帰って布団を広げて睡眠薬を飲み、耳栓をして寝ました。疲れで足が火照るので足を毛布から出して寝ていましたが、幸いにして蚊がいないので助かりました。この山小屋の標高は1700mでしたので少しは涼しいという程度で疲れた体を冷やせるほどに冷たい風は吹いてきませんでした。
目を閉じて会話を聞いていると、昨晩同様Nさんが携帯ランタンを出して説明をしているのが聞こえてから、後は私が足を出して寝ているのが面白いか「足を出して寝ている」と笑っていました。
睡眠薬を飲んだのと疲れがあってかがやがやしている山小屋でも何んとか眠りについた後にはっと視線を感じました。目を閉じたままでしたが、隣で寝ていた登山ガイドのAさんが起きだしてライトで私の寝顔を見ているように思いましたが、知らん顔をして寝ているふりをしたのでした。
イメージ 1
( 丸太の橋が見えてきたが、小屋はまだまだ先 )
イメージ 2
( 沢で休憩する人もいる、水浴びをしたい気分でした )
イメージ 3
( 最後は暗い樹林帯を下って行く )
イメージ 4
( 40年前と変わらない小屋らしい、左側は二階への入り口で丸太の階段である。 )
急坂の下山が終わる頃には川が見えてきて、この川沿いの道を下りました。ここまでくれば坂は緩やかでしたが途中に足場の悪い場所も何か所もあり、ツアーの列はどんどんと長く広がって行きました。大門沢小屋近くでは一番後ろにいた私から先頭の登山ガイドのAさんのリュックはすっかり見えなくなっていました。
山小屋が近くなるについて沢の水の流れる音がきになってきました。山小屋は大門沢小屋という沢と言う名前がついており、沢の横で夜中も音が煩いのではないかと心配でしたが、小屋は沢から10m程上にあったことと、当日の小屋の横の沢は流れがゆるやかで音が小さいことで問題はありませんでした。
 
下降点から大門沢までは約3時間以上もかかり、大門沢小屋に到着したのは午後3時45分くらいでした。もうすっかり歩く気力もなくなっていました。最後は自分自身に対しても他人に対しても声を出して「歩け、歩け」と言っていたのは、もう気力でしか歩けなくなっていたからだろうと思いました。
それにこの下山が大変だというのは、登山ガイドのAさんも「大変な下山だった」と小屋の中で呟いていたからでした。それを聞いて私は「ガイドの人が大変と言われたら、我々はどうしたらいいんですかね」と質問をしましたが、答えはありませんでした。
又、登山ガイドのAさんは途中でストックを落としたと言ったので、ツアーメンバーが途中で拾ったストックを見せると違うということでした。登山道の途中には低い灌木帯があったり、倒木の枝がリュックサックに引っ掛かるような場所もあったので、そういう場所でストックが引っ掛かったのだろうと思いました。