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成田空港に到着したのが午後4時過ぎで日も暮れかけており、気持ち的には翌日出勤というプレッシャーがあって気持は落ち込みました。
JR成田線改札の前に来るとほっとして、緊張感から解放されたせいかでさっぱりした和食でも食いたいと言う気分になりました。帰宅を急ぎたいと言う気持ちもあり弁当でも買おうかと思ったのですが、夕方で弁当屋のショーケースには売れ残りのとんかつ弁当しか残っていませんでした。仕方なく駅の売店で千葉名産の茹でたピーナッツとお茶を買って特急電車に乗り込みました。
この時東京からの添乗員Oさんとばったり会って「どうしたのですか」と質問されましたが「いや、弁当でも買おうかと思ってうろうろしていたんです」というひどくつまらない返事をしてしまいました。体が疲れていて機転を利かす程の心の余裕が無かったのだろうと思いました。
成田エクスプレスは東京駅までは人がぱらぱらと乗っていました。東京駅で殆どの人が降りると、がらんとして寂しくなりました。夕暮れの山手線の駅で帰宅する人並みを眺めながら池袋駅に到着したのは午後6時を過ぎていました。
静寂と熱気に加えて人のいない岩だらけの自然ばかりを見る旅から、まるで違う星にでも来たような都会へ帰りました。人工的なネオンサインの輝く風景に一瞬戸惑いながら、又元の生活に戻るのだと言う嫌気を感じながら、池袋駅前でタクシーに乗車して家路を急ぎました。

飛行機に乗り込んで席を確認すると窓際の席の通路側でした。窓際にはツアーメンバー以外の誰かが乗る予定だろうと思っていましたが結局この席には誰もこなかったので2席を占有して成田まで過ごせましたので気が楽でした。
デルタ航空の飛行機がサンフランシスコ空港を離陸したのは予定よりも30分遅れた午後13時45分で、成田到着は一日進んだ7月14日午後16時30分でした。
機内では最初に旅行会社のアンケート書いてさっさとOさんに渡しました。それから税関の申告書類を書いてさっさとやるべきことを済ませてしまいました。
搭乗したボーイング767は来たときの飛行機よりも一世代古いのか画面がソファにはついていなくて天井からぶら下げた小さな画面に航跡などを表示していました。イヤホンが配られましたが音楽が聞けるだけでは時間を持て余すだけでしたので直ぐに聞くのを止めました。
機体が古いだけでなく、客室乗務員も中年以降と思える年配者ばかりでした。コストを落とすと何もかもが古くなるのは当然だろうと感じた時でした。
日本の古い日付の新聞が配られたので久しぶりに見る漢字を見ながら日本の情勢を見ましたが、二週間ほど前とは何も変化がないような状態であることを確認しただけでした。
それよりも明日から会社に出社するので疲れを少しでも取りたいと思って、最初の食事が出た後に耳栓をして睡眠剤を飲んだら何時間かは寝ていました。4・5時間寝られたお陰で何もすることの無い移動する時間を少しは短く感じることができました。
飛行機に乗る前にサンフランシスコ空港のベンチにT夫婦のご主人の隣に座った時「私は海外出張の時に飛行機の中でも寝られるんですが、会社のもう1人の男は寝られないと言って何時も羨ましがられていました」という話を聞きました。この時私は「飛行機のごうごうという音で寝られたことが一度もありません」と長時間の移動時間が苦痛だという感想を述べました。
少し寝られたのは隣の席に誰も座らなかったということもあったと思いますが、長い旅行で朝から晩まで体を動かしていたので相当に疲れがたまっていたのかも知れないとも思いました。
成田に到着する前にビジネスクラスに座っていたM夫婦のご主人がツアーメンバーの席までやってきて自分の住所を書いたメモを渡していました。博多にお越しの節は是非お立ち寄りくださいという口上を述べていました、私には写真を送って欲しいと言われてしまいました。悪気は無いのでしょうけれど、たまたま一緒になった一時のメンバーと以後友達になるということは無いと思っている人には少々迷惑な話だと思いました。こんな経緯があったので私は写真をDVDに焼いてMさんに送るという余分な仕事をしなくてはなりませんでした。
飛行機を降りる時、Tさん親子の母親が機内にビニールに包んだサンダルを置いたまま出たのですが、しっかりもののM夫婦の奥さんがそれを見つけて「忘れ物ですよ」と言ってTさん親子の母親に渡すと「捨てようと思って置いておいたのですがね・・・」という返事がありました。
機内は確かに清掃してゴミを捨ててくれますが、自分の持ち込んだゴミは持ち帰って捨てるのが常識だと思っていた私は「こりゃだめだ」とついつい独り言を言ってしまいました。





ホテルからサンフランシスコ空港までは30分も掛からず到着して、4階まで上がってスーツケースを航空会社に預けました。重量もクレームが無かったので昨晩のホテルでの荷物の移し替えは正解だと分かりました。
この場所で現地添乗員のSさんには何度も頭を下げて御礼を言って、ツアーメンバー全員がお別れをしました。又、発券された航空券はOさんに預けて夫婦同士の席でまとめるという作業をしていたので30分ほど休憩しました。
以前にサンフランシスコ空港に来たときは工事中で、搭乗ゲートへの移動をバスでした記憶があったのですが、見回すときれいなターミナルに変わっていたので驚きました。
たまたまベンチの隣に座ったT夫婦のご主人が「ここに来ると太った人が少ないように思いますが・・・」と感想を述べたので私は「国内線は貧乏な人も乗るので太った人もいますが、国際線は所得の高い人が多いので太った人は少ないのだと思います」と知ったかぶりのいい加減な解説をして見せたのでした。
米国だけではないかも知れませんが、貧乏人はファーストフードを食いすぎてついつい太る人が多いという話を聞いたことがあるので、たまたまそういう事実を思い出しただけのことでした。
Oさんから航空券を貰ってから、靴も脱ぐセキュリティ検査をしてから搭乗口に行きました。時間はたっぷりありましたが、ここでチョコレートを入れていた2つの紙袋のうち一個の紙袋が破れたので大きな袋を買わざるを得なくなりました。
一軒の土産物屋で一番大きい丈夫そうな布製のバッグを購入しました。代金を支払う時に一杯あった小銭を全て出すと金額が少し足りませんでしたが、中国人らしい男は文句も言わずレシートを出してくれましたので一安心しました。私が財布の中を見せて小銭がからっぽだというのをみせていたので相手も諦めたのかなと思いました。
ここで全ての小銭がなくなりほっとしました。それに2袋の紙袋に入れていたチョコレートを一つの布袋に収めることができたので、搭乗時にOさんに荷物の1個を預けるということもしなくても済みました。
待合室に行こうとすると現地添乗員のSさんが歩いているのを見かけて声を掛けました。この人とはボーズマンからサンフランシスコまで、ツアーの最初から最後の最後まで一緒に行動したということになりました。Sさんの乗るラスベガス行きの飛行機の搭乗口が我々の乗る成田行きの丁度反対側にあるということでした。
待合室にはツアーメンバーが揃って座っていたので、再び現れたSにツアーメンバー一同が驚きました。搭乗までの時間は待合室の一番奥のソファに座って、Sさんと年齢の近いTさん親子の娘さんと何やら話し込んで時間を過ごしていました。
搭乗時間になると、Sさんにいよいよ本当の最後のお別れを言って飛行機に乗り込みました。



ユニオンスクエアの丁寧に手入れされた芝生を見ながら道路を挟んだホテルの自分の部屋に戻って、スーツケースを持って再びエレベータの前に来ると、他のツアーメンバーと一緒にエレベータ前に並びました。エレベータは機械音が大きいのと籠の床位置がフロア床と少しずれるので「これは5つ星のホテルにしては不合格ですね」と知ったふりの文句を言いながら1階に下りていきました。
ホテルのポーターさんによるスーツケースの運搬は何回も痛い目にあっているので、スーツケースは各自自分でバスの駐車しているホテルの横まで運びました。
空港までのバスの運転手はスキンヘッドの一見やくざ風に見える恐そうな中年の日本人の男でした。現地添乗員のSさんも面識が無いような少しおどおどした口ぶりで会話をしていました。サンフランシスコ空港までは運転手さんとは会話をすることもなく30分程を過ごしました。

ユニオンスクエアの直前でケーブルカーを降りて、サンフランシスコ観光の締めでホテル前のユニオンス
クエアを見ようと思いました。
ケーブルカーを降りた場所に書店があったのでアメリカの書店はどんなものかと思って中に入りました。
フロアはゆったりとしていて、本がぎっしりと詰まっているとレイアウトではありませんでした。日本人の
感覚で言うともったいないフロアの使い方だと思いました。ゆっくりと本を物色するには広々としてよい
空間だと感じました。
書店を出てユニオンスクエアに向かって車道を横断すると丁度満員のケーブルカーが上がって来まし
た。そろそろ観光客が動き始めたのがよく分かる程に鈴なりの人がケーブカーに乗っていました。
ユニオンスクエアは小さな公園で端にはファーストフードの店があり、通勤途上の朝食を食べている人も
いました。広場では丁度絵描きさんらしい人が版画や絵画作品を展示販売しているようでした。
公園は子連れの親子が歩いていたり、これから買い物にでも行こうと言いそうなおばさん連中が歩いて
いるだけで静かなものでした。
この公園も10分のかけないで一周すると見るところはなくなりました。とりたてて見るべきものも無いよ
うな、よくある都会の小奇麗な公園という印象でした。





漸くロンバート通りに到着したケーブルカーに乗り込んで車掌に5ドルをわたすと乗車券をくれました。
ケーブルカーの一番後ろの場所に陣取って撮影していいかと黒人の車掌に確認してからずっとユニオンスクエアに到着するまでこの場所でカメラで撮影をしていました。
サンフランシスコの車道は両側に車が駐車していることもあり道幅が狭いので、車がケーブルカーの後ろを走っているときはずっと同じ車を撮影することになります。車のドライバーが撮影されることを嫌がっているのが分かるような視線を感じましたが、どうすることも出来ず風景と一緒に車を撮影することになりました。
私がケーブルカーの最後尾で身を乗り出して写真を撮影していましたが、途中から乗りこんで来たお婆さんが後ろの扉の場所で撮影を始めたので、車掌が後方横に置いてあったベビーカーを動かしてそこに来いというようなサービスをしてくれました。ケーブルカーは市民の足でもあり、観光客の乗り物でもあるというのをよく理解しているのでこういう事をしてくれたのだろうと思いました。
ケーブルカーは急坂を上がったり下がっりして軽快に走りました。サンフランシスコの風を感じながら、坂に綺麗に並んで建つ色とりどりの住宅や博物館などを眺めてユニオンスクエアまで行きました。
ユニオンスクエアから一段上がった坂の上に丁度T夫婦がいたので手を振りましたが「あいつは何処に行っていたのかね」というような不思議なそうな顔をしていました。





撮影をする場所もあまりないので茫然とゴールデンゲートブリッジの方角を見ながらケーブルカーを待ちました。朝時で観光客が少ないせいかケーブルカーの本数が少ないようでした。
待てども待てどもケールカーは現れませんでした。もう撮影なんかすっかりやる気を無くして待っているとどの程度の時間待っていたのかも忘れる頃にケーブルカーが上がって来ました。



この曲がりくねった坂は車道ですが、歩道の階段はぐにゃぐにゃ坂の脇にほぼ真直ぐに頂上まで続いていました。
この階段を登りながらぐにゃぐにゃ坂を撮影しました。道路は赤い煉瓦で舗装されていて、車の通った場所は車のタイヤで黒くなっていました。坂に沿った植栽は紫陽花が見ごろでとてもきれいでした。観光名所として整備がされていると思いました。
又、高級な住宅街ともみえましたので、ぐにゃぐにゃ坂の車道の赤い煉瓦、咲き誇る紫陽花、綺麗な建物が一体となった景色に見えて絵のような風景にも思えたのでした。
ぐにゃぐにゃ坂は車が時々くねくねと下りて行きましたが、オープンカーに乗った青年はわざわざ途中で停止して坂の下にいた観光客に手を振っていました。観光客へのサービスか自己顕示なのかよくは分かりませんでしたが、何処でも色々な人がいるものだと思いました。この地区は坂の上で高級住宅街らしく通る車も高級車ばかりで車を見ていても楽しくなりました。
ぐにゃぐにゃ坂の上から右下を見ると海が見えてフィッシャーマンズワーフの方向だというのが分かってケーブルカーの停車場(ロンバート通り)になっていました。帰りはケーブルカーでホテルまで戻ることに決めて写真を撮影していました。
丁度その時ケーブルカーが停車したので見てみると、日本人の出張で来たと分かるネクタイを締めた背広姿の二人が並んで窓の無い席に2人並んで座っていました。出張の行きか帰りか分かりませんでしたが、その姿はケーブルカーに乗っておこうという意図が見え見えでした。普段着で乗るくらいの配慮があってもよかったのではないかと思わされた時でした。多分相手も私が見ているのに気づいて気まずい気分になったのではないかと思いました。仕事の出張で、短い自由時間しか無い時に、せかせか観光しても大して面白くないのではないかとも思った時でした。





ロンバート通りに行く 目標が見つからないので、チャイナタウンを通りぬけてそのまま坂を降りました。
そうすると目の前に公園があるのが見えて、地図で確認するとワシントンスクエアだと分かりました。
この公園前のコロンバス通りを左折して歩くと直ぐにロンバート通りという標識が見えました。
こんな平地に坂なんかあるのかと思いながら通りに出ると、そこはロンバート通りの終点近くであることが分かり、左側を見るとつづれ折れの坂が見えたのでようやく目標を見定めることが出来ました。
ロンバート通りのぐにゃぐにゃ坂は、急坂の一番上から最初に下る道だったので、ぐにゃぐにゃ坂の一番下迄到達するには、真直ぐな急坂を上がって行くしかありませんでした。
坂を上がると当然ながら息が切れて口元が開き、はあはあと言いながら上りました。坂の横にある住宅は高級な住宅ばかりでした。ブーゲンビリアの花が壁いっぱいに広がっている家もありました。
時々坂の上からステップを踏むように軽々と下ってくる人からは、観光客が苦しそうに上がってくるのが面白い光景に見えたのではないかと思いました。
つづれ折れの坂の一番下の道まで来ると、私と一緒に上がってきたヨーロッパからの観光客らしい家族連れも一緒に上がって来ていたのが分かりました。ここから何枚か写真を撮影してから坂の横にある階段を上がりました。



