列車は定刻通り午後6時44分に東京駅に到着しました。東北新幹線の東京駅で降りたのは46名中35人ほどだったと思います。日曜日の混雑する改札口で外に出ようとしてFさんが係員に出口を聞くと、団体の出口から出てくださいというので再び乗車する時に入った団体用の出口に向かいました。
ここでもツアーメンバー35人が左に行ったり右に行ったりと右往左往しましたが、ようやく団体出口から一人ずつ順番に外に出て行くと、Fさんが一人ひとりに「有難う御座いました」とお礼を言って送り出していました。
私が団体用出口から出ると、既にYさん夫婦は先に出ていて立っていました。酒を飲んでも行動は早いなあと思いながら目が合うと夫婦二人で会釈したので、私も頭を下げて「お先に失礼します」と言ってから、休日の混雑するコンコースを人ごみに混じり丸の内改札に向かいました。

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列車に乗り込んで自分の座席を確認すると、3列の席に奥にYさん夫婦が座って、通路側に私が座るという場所だったので意外な因縁に驚きました。Fさんが意図したわけではなく順番に席順を決めたらこういう具合になったということだろうと思いました。
窓の外には山並みに丁度太陽が落ちる寸前の時間で未だ少しは外が見える状態でしたが、列車は1階なので半分は壁ばかりしか見えないので、東京まではYさんのご主人との会話に終始して時間をつぶすことにしました。

Yさんのご主人は白髪で少し髪も少ないかなと見えて顔にも皺があり、自分でも「もう何時逝っていいですよ」と言っていました。しかしその一方でツアーメンバーのおばさんを見て「あの人はいいね」なんていう発言を隣に座る奥さんを気にもせず堂々と発言したいたのには驚きました。
そして自分から「私は家では自分でちゃんとやっていると方だと思いますがね」と自信を持って言うので「それを奥さんに言っていますか」と私が質問しました。予期せぬ質問に驚いて、少し間をおいてから「他の人はもっとやっていると言われるのですよ」と不平とも不満ともつかぬ感想が返ってきました。

列車が動き始めると、Yさんは足元に置いた小さな鞄から日本酒のワンカップを出して福島駅の食品売り場で買った焼き鳥をつまみに飲み始めました。「こんなものは持って帰っても仕方ないので」といいながらちびちびと飲んで東京駅に着くまでに2本を全部あけてしまいました。
私が「奥さんはお飲みにならないのですか」と聞くと「ええ、飲みませんが、私と一緒に付き合ってくれます」という返事でした。ご主人が黙々と酒を飲んでいたのですが、奥さんは暗くなった外を黙って見ているばかりでした。そして会話に興味が無いのか、ご主人と私の会話を黙って聞いているばかりでした。
Yさんのご主人は、出身が山梨の都留市だというので「織物が有名ですね」と言うと「昔は盛んでしたが、今頃は駄目でしょう。それよりもお祭りがさかんでしてね、多分今でもやっていると思いますが」と言ってから、山梨という言葉に触発されたのか「山梨のゴルフ場で大変な目にあいましてね」と別の話に変わりました。
「私は雪なんかがあったら、そういうゴルフ場には行かないことにしているのです。山梨のあるゴルフ場では雪が降った翌日にプレー出来ますよって言われて行くと、バンカーの横とか日陰に少し雪が残っているので、少し腹が立ちました」と言ってから「そういう雪のある場所にゴルフボールが落ちたときは手で出して打ってくださいというので、そういういい加減なルール変更にも腹が立ちました」という感想を述べていました。年配のわりに他人のいい加減な行動を許せないという少々度量の無い人なのかと思いました。

「この旅行会社にある、私の名簿を利用して保険の案内が来たので情報が漏れているのではないかとクレームを言ったことがありましてね」と言ってから「旅行会社は調べてみますという返事があってから数日後、申し訳ありませんでしたというお詫びの電話があった」という話をされました。その後に続けてYさんは自分で「クレーマーですから」と正々堂々言ったので、年配者が暇に任せてどうでもいいような事に文句をつけているだけだと思われているのだろうなと想像しながら、Yさんの皺だらけの顔をみながら「ほお、そうですか」と驚いたような返事をしたので、Yさんは少し得意気な顔をしました。
「趣味はゴルフだけですか」と言うと「川釣りや陸釣りをしますよ」と色々な趣味があるのを自慢していました。
「毎日の生活はどうなんですか」と質問すると「毎日規則正しいですよ」と言ったので「そういう癖はサラリーマンの時からでしょうか」と質問すると「そうです、サラリーマンの頃は規則正しい生活をしていました」という回答が返ってきて「毎日立川から世田谷の事務所まで時間通りに行っていましたから」と答えましたが、堅い性格は何処かの役所勤めでもしていたのかなと想像させました。

しかしながら「酒だけは止められなくて、夕方には我慢ができなくなってしまう」ということでした。Yさんは酒を飲みながら話をしていました、酔っ払うという素振りではありませんでしたし言葉がおかしくなるということもありませんでした。旅行の弁当とか昼飯の料金だけは混乱していて正確に理解できなくて、何回も繰り返して言っていたのは酒のせいでは無く高齢で理解が遅かったということだけだろうと思いました。
「娘には2人の女の子供がいて、金曜日の夕方には一緒に食事をすることになっている」のだそうです。「下の小学生の女の子が柔道を習っているので、その子を練習が終わったら車で迎えに行って家に連れてくると夜6時くらいになるので一緒に始めてしまいますね」と言っていました。
「上の女の子は色々稽古事を習った末にバレエが続いています。それでも中学受験はバレエばかりしていたせいか落ちまして」と言ったので私が「バレエの稽古が終わった後に迎えに行かないのですか」と聞くと「もう酒が我慢出来なくて迎えには行けませんね。娘が連れてきますから」という話でした。
「この娘が夕食におでんなんかを山盛りにつくると、持ちきれないほどにパックに詰めて持ち帰りますよ」と少々不満気味に言うので「いやいや、親としてはそういうのが楽しみになるのでしょう・・・」とやんわりと頑固親父をたしなめたのでした。
「こういう旅行は年金をためて行きますが、暫くは行けませんね」と言って「娘には年金が税金だから無駄遣いするなって怒られるのですよ」と普段の家庭の会話が聞こえてくるように言っていました。

大宮駅が近づくとおばさん連中が立ち上がって下車する準備をし始めると、Yさんが再び「旦那をないがしろにして自分達ばかり楽しんで・・・」と列車に乗るときと同じ台詞を言うので、どうもおばさんの集団を見るとこういう言葉が出るのが癖になっているようでした。
私は「女の方が長生きするのですから仕方無いですよ」と言っても納得できないという顔をしていました。どうも思い入れの激しい人のようで、奥さんが大人しいので夫婦仲が何とか保たれているのかと思いました。

大宮駅に到着する前、列車の中では、FさんがツアーメンバーにJRの改札で渡す切符を配っていましたが、その時1列前の席に座っていた夫婦がFさんに「初日に昼飯の弁当代を渡すのを忘れていた」という申し出をしたのでFさんは驚いていました。
バスの中では席順に順番に現金を回収していたので抜けなんかが無い筈だったのですが、Fさんが思い出して「ああ、寝ていたので貰い忘れていたのですね」と言うと、ご主人は「いや、払ったのじゃあないか」と小声で言ったので奥さんが「あんたは黙ってらっしゃい」とぴしゃりと叱りました。ご主人はでかい体を硬直させて、小さくなりたいのが成れなくて仕方なくじっと前方を見ているのかなと想像してしまいました。
こういう光景を見ると、この家でも主導権は奥さんが握っているのかと思いました。奥さんは封筒から現金を出したので、最初から弁当用にお金を持ってきていて手元に残ったので支払っていないのに気づいたようでした。奥さんは細身ではきはきした性格のようでしたが、言葉はきついものでした。
この奥さんは雪上車に乗った時に私の斜め前に座りましたが、雪上車のガラス窓が曇るので何度もタオルで窓ガラスを拭いていたのを思い出しました。それも自分の見える場所だけでなくて手の届く限り拭いてくれましたので親切な人だと思ったのでした。
Yさんはこういう会話が聞こえて思い出したのか「弁当の料金が、どの弁当のものか分からなくて」と愚痴をこぼしていました。「てっきり今日もの夕方も弁当がでるのかと思っていたのだが、そうでもないようですね。さっぱり分からないね」というのを何回も繰り替えていました。本人は最後まで支払った金額と弁当の数について納得がいかないと言っていました。

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JR福島駅には午後4時少し前に到着しました。乗車するやまびこ218号MAXは午後4時37分発だったので時間には十分間に合いました。
この日は、バスの中でFさんが何度も「何としてもこの列車に乗らなければならないので」というのを連発していたのですが、福島駅が近くなると「皆様のご協力のお陰で・・・」という言葉を繰り替えして言っていました。

ツアーメンバー全員が福島駅改札横にある時刻表の横で、Fさんから午後4時15分に再集合してくださいという説明を聞いてから解散しましたが、ツアーメンバーの大半は行くところがなく同じ階の土産物屋を見たり、コンコースの端に座り込んだりしていました。
私はこの福島駅を観察しようと思って1階に下りて一周して再びこの2階にある時刻表の前を一周しました。
1階を降りると土産物屋に続いて100円ショップと大きな書店があり、一番奥にはゲームセンターがありました。高校生や若い人が多くいたように思えて、店が明るくきれいなので若い人が寄ってくるのだろうかと思いました。
日曜日の午後ということと関係があるのか無いのか分かりませんでしたが、高校生の他は若い夫婦が目に付いて年配者は割合少ないという風に思えて、地方だけに年配者がうろうろしていることを想像してたので認識を新たにしました。
再び書店の前から戻って、改札のある2階へ向う階段の横には食品を売るスーパーみたいな売場がありました。そこで焼きたての焼き鳥を買っていたのは、ホテルで夜と朝の食事で隣に座っていたYさんのご主人でした。

ここでも買いたいと思うようなものも無く2階に上がり時刻表の前に行くと、Fさんが「人数が多いので邪魔になりますので、少し横に移動しましょう」と言って10mほど移動した場所で「広がると周りの人に迷惑になりますので、隣の人とくっつくくらいになって集まって下さい」と言ってから、各人に列車の指定席を書いたメモを渡しました。
福島駅の団体専用改札を入ってホームに上がるのは、東京駅と違い1本しかないので間違うこともなくホームの上に出て列車を待っていました。

全員が13号車に乗車する予定でしたので、後ろの方向にホームを歩き、その乗り場の一番前に立っていたのはYさん夫婦でしたので声を掛けました。
私が「ホテルの朝食のご飯はちゃんと食べられましたよ」と言うと奥さんが目を大きくして「とんでも無い」と言って「お釜がちがったんですね」という返事でした。私は「昨日は私、今日はあなた方が不味いご飯を食べたわけですね・・・」と言って「何とも不思議なことですね」という感想を述べました。
Yさんのご主人がホームのたむろする大勢のおばさんやお婆さんの姿を見て「女は旦那をないがしろにして」と言ったので奥さんが「あんたは今週もゴルフでしょう」と言って反撃していました。
ご主人はにやにやしながら「もう約束しちゃたんで・・・」と言ったので、私がどちらのゴルフ場ですかと言うと「山梨の方面です」と返事をしました。
Yさんの外見はよれよれの感じでしたがゴルフをするというのは未だ元気なのかと少し見直しました。
それから「こういう場合は好きなメンバーがちゃんと集まるのですよ、ええ」と言ってから少しゴルフの話になったところでホームに列車が到着しました。

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昼食を食べた食堂から蔵王酪農センターという蔵王エコーラインを下り国道457号線から少し入った場所に行きました、40分ほどで到着しました。
蔵王エコーラインを下る時も頂上付近では遠くに積雪の山並みが見えて眺望がよいものでした。つづれおれの道を下るたびに段々と木の高さも高くなり積雪も少なくなるというのを観察していました。雪が殆どなくなった駐車場ではチェーンを運転手さんが手際よく外す作業を窓越しに見学しました。

田舎道を走ると蔵王酪農センターの木造の建物群が見えてきました。建物は昔風の木造で、直売所に46人が入ったので小さな建物の中は少し混雑をしました。
それ程大きな建物ではありませんでしたが、我々のツアーのほかにも観光客はいたので大賑わいでした。販売をする男の説明員は宣伝するのに大きな声を出して、うろうろとする観光客相手にこれがお勧めですと声をからして叫んでいました。
酪農センターというのでそれほどの種類の商品があるわけでなく、チーズ・ヨーグルト・牛乳・アイスクリームやお菓子から選ばざるを得ないのでした。
店の端に牛乳とチーズの飲みもの売場があったので試しにチーズの飲み物を飲みましたが、味が胃の検査で飲むバリウムのような味がしました。チーズをつくる工程のものを売っていたのだと思いますが、2度目に飲みたいと思うようなものではありませんでした。
ここでお土産物を買った後、JR福島駅まで帰路を急ぐという予定でした。午後2時30分に出発して、国道457号線から途中東北自動車道を通り福島駅まで行きました。
この道筋では積雪も殆どなく田舎の道を走っているというだけのもので、とりたてて記憶に残ったというものはありませんでした。

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午後12時45分に雪上車から降りると、その場所には切符を切っていた若い中国人の女性が次の観光客の準備ために雪上車の前で待っていました。それに添乗員のFさんも立っていて「バスは駐車場ではなく、そこにいますよ」と言って切符売場の横に駐車しているバスを指差していました。
長靴を借りた人は返しに行かなくてならいので少しおくれましたが、バスの中で福田さんが「長靴を返し忘れると東京まで長靴で帰ることになりますよ」と冗談を言っていました。

昼食のためのバス移動は、すみかわスノーパークから歩いて数分で行けるくらいの場所にある「蔵王やまのそばや」という店でした。宿泊も出来るようなロッジ風の作りの店で、若い男が46人という団体を待っていましたと出迎えていました。
食事の準備は出来ていてグループの人数毎に割り振りされていて「お一人様」と言われて「私です」というと一番端の席を指定されました。反対側にはやはり一人参加のお婆さんが座り、その横には添乗員のFさんと運転手のIさんが座りました。

料理は芋煮御前という名前でしたが、味噌汁に豚バラ肉や油揚げのはいりけんちん汁のようなものかと思いました。あとは付け合せの漬物やデザートらしい大根を甘く煮たものが置いてありました。量的には運動をした後なので丁度良かったのですが、少し食べ足りないような気がしました。
Fさんが斜め前に座ったので話をしようとしたら、Fさんは「私たちはこういう場合は何時も業務用になりますので、今日は皆さんと同じものが食べられて嬉しいです」とにこにこしながら言っていました。

私は先に食べていたので既に食べ終わってお茶を飲みながらFさんに2・3の質問を興味本位でしてみました。
「昨日のホテルはどんな部屋に止まったのですか、添乗員専用の部屋ですか」と質問したら「普通の部屋でしたが、見晴らしの悪い場所です。窓を開けたら隣の塀が見えるとか・・・」と言って「旅館によっては窓の無い部屋に案内されたりすることがありますよ」と付け加えました。
「窓が無いというのは出入口しかない部屋ですか・・・」と質問すると「ええ、そういう部屋があるホテルがありますよ」と言い、運転手のIさんの方を向いて同意を求めていました。
「昨日の高速は料金が450円でしたよね」と私は高速道路の出口の標識を見て覚えていた料金をIさんに確認すると「ええ、そうです」と言ったのでFさんに「こんな金額でもいちいち承認を得なくてはいけないのですか・・・」と小額な金額に対する添乗員の権限の無さを確認したのでした。
Fさんは「社員の中にはなかなか承認をしない人もいましてね・・・」という返事をしましたので「いちいち承認を頼むのも大変ですが、そんな時間に会社に残っている人も大変ですね」という感想を述べました。

昼食が終わると皆トイレに行きたくなったのですが女性用の数が少ないというので、男性用のトイレにもお婆さん連中が並ぶということになりました。男よりも女の方が多いので、恥ずかしさも消えている婆さん連中は男性用でも構わないということでした。
ここの食堂の出発は午後1時30分でしたので少し時間がありました。店を出た場所から眺望が少しのぞける場所があったので、道路を渡ってそこで写真を撮影してバスに戻ってタイヤを見ると何時の間にかタイヤにチェーンがつけてありましたのでIさんに「手早く付けたものですね」と言うと「下りは滑るのが恐いので付けました」という答でした。

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帰りの雪上車の中で説明員のTさんは「樹氷が見えただけでもよかったですね、樹氷が見えない時もありますから」と慰めるような発言をしていました。
私が「晴れの日は1ヶ月にどのくらいあるのですか」と質問すると「2回くらいですかね」という返事でした。しかし、雪上車が下山するときには少しずつ雲が切れて日が差してきましたので、午後の樹氷原は天気がいいのかなと思うと残念だという気持ちがわきました。山の天候は変わりやすいので運不運がつきもので、今回の観光の天候は不運ということでした。

帰りの雪上車は座る場所が窓際になったので尻を乗せる場所が小さいし混雑しているので、前に座っている女性の足が絡まってきて満員電車のなかのようでした。前に座っている小太りの女性は途中で寝るので体が雪上車の進行方向にずるずると移動し、益々隣の人の足とこの女性の足とが重なって気持ちの悪い状態になりました。
雪上車の窓から樹氷原の撮影を試みましたが、座っている場所が狭いのと手足の自由が利かないので旨く撮影することは難しいと思って直ぐに止めました。

雪上車が下山する間、私の斜め前に座ったTさんに色々質問してみました。Tさんは外見では私同様60歳くらいに見えたのでベテランの説明員かと思ったのですが本人からは「以前はスキーのインストラクターをしていて、説明員としては未だ2年目です」と自らの説明員としての経験の少なさを恥じているようでした。「子供の頃はここの山で遊びました」と言っていました。説明員としての経験は少なくても、現地の山のことは何でも知っている地元の方だと分かりました。
雪上車から見える光景をいちいち説明して「はい、大黒天が見えます」とか「不動の滝です」と言っていましたが、スピーカーから出る音が小さいのでTさんの前に座っている人にしか聞こえないと思いました。
雪上車がスキー場に入るとではきんきんという警告音を鳴らしながら進みましたが、この警告音も慣れてくると案外気にならなくなりました、そしてあっという間に終点のスキー場入口に帰ってきました。

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樹氷原は雪上車が停止した場所一面に広がっていましたが、雲があったので奥の方は視界が遮られてほんの手前の樹氷数本しか見ることができませんでした。
それでも雪に足を取られながら大きな樹氷の塊をあちこちから撮影したり、雪上車と一緒に撮影したりと構図は別として、とにかく時間一杯シャッターを押しました。
写真撮影が記念の撮影だけで終わる人は直ぐに何もすることが無くて樹氷の雪を崩したりしていたので「樹氷の雪を触らないで下さい」と注意をされている人もいました。

写真撮影に関しては曇りで条件は最悪でした。背景が雲なので薄い白を背景に白い樹氷が見えるというので撮影は難しいものでした。時間が無いので撮影条件を変えるということさえ気づかず、とにかく撮影すれば帰宅後にパソコンで何とか編集できるだろうと思って何枚か撮影しました。
カメラの露出の白の標準となるグレーの背景でしたので、カメラは白いものと思ってコントラストの無い状態で白っぽく写っていました。自身の撮影に対する技量の無さを反省して、来年この白い樹氷撮影に再度チャレンジしたいと後で思いました。
暫くすると若い女性が「観光は終わりです、雪上車に戻ってください」と一面に散らばる見学者に向って大きな声を掛けると、樹氷観光メンバーは三々五々に雪上車に乗り込みました。

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午前11時前になると遠くからきんきんという警告音を鳴らしながら雪上車群が現れました。5台の雪上車が一段となって上がるのだというのが分かりました。それに雪上車のタイプ・乗れる人数も違いました。

ツアーメンバーは46名と人数が多いので分乗することになり、小野川温泉をバスが出発した時に添乗員のFさんが座席の割り振りを確認したのですが、すみかわスノーパーク到着直前に変更になりましたと車内で訂正の説明がありました。最初は3台に分乗予定で、人数も分散されて乗車予定だったのですが、最終的には30人が同じ雪上車に乗り、残り16人は2台に分乗というように変更になりました。
雪上車に乗れる人数は30人、15人、10人くらいで、雪上車の大きさは統一されていませんでした。雪上車5台で1回あたり100人が乗れるようになっていたのではないかと思いました。

雪上車は煩い警告音を鳴らして5台が順番に停車して並び停車し、乗っていた人を下ろしました。それから、若い女性が薬缶に入った湯を雪上車の後方にある乗降用の金属製の階段についた雪を溶かしていました。乗客が雪で滑るのを防止するためのようでしたが、これも樹氷原では雪だらけになってしまいました。
この作業が終わると、女性が切符を切って中にツアーメンバーを乗車させていました。外見では全く日本人と区別はつきませんでしたが、女性は言葉の訛りから直ぐに中国人だと分かりました。昨晩のホテルの厨房やスキー場で働く中国人を見て、日本のサービス業では多くの中国人が安価な給料で働いているのかと思いました。

雪上車はキャタピラがついた車で、座る席が4列あり進行方向に向って横に座る形になっていました。窓際の席は少し低い椅子で、中央にある椅子はエンジンの上にあるせいか、腰高の椅子というよりはお尻を置くだけの台くらいしかの幅しかありませんでした。それでは体の安定が悪いので、車内の天井から通勤電車にあると同じ吊り輪がぶら下がっており、傾く体をこれで支えながら急傾斜を上がって行くようになっていました。
雪上車には通常の車を改造したらしいものもありました。一番新しいものはバンらしい車を改造しているもので座席が普通の車と同じなので乗りやすいような気がしました。私の乗った雪上車は何の車両を改造したものかは不明でしたが、前方に雪かきがついていたので元々そういう雪上作業が目的の車両に乗客が乗れるようにしたものではないかと思いました。というのも前方運転席と乗客とは分離された構造だったので、車両後方の荷物置き場か機械置き場を改造したものかなと思ったからでした。

この日は日曜日のせいか雪上車は満席で、添乗員のFさんは「私も乗れるのかと思ったのですが、満席で乗れませんでしたので、スキー場の駐車場で待っています」と言っていました。
私の乗車した雪上車にはツアーメンバーの30名と説明員が乗り込みました。マイクを通して説明をしていましたが、雪上車のエンジン音やスキー場ではきんきんという警告音を流しながら進むので騒音の中では音量が小さ過ぎて良く聞こえませんでした。帰りには説明員の前に座ったのでマイクを通してではなく直接話す声は良く聞き取れましたので質問を何度かしました。

すみからスノーパークは標高1,100mでここから樹氷原の標高1,700m位を雪上車で上り下りするという観光でした。600mを上がるのに約40分掛かり、樹氷原での観光は15分程でした。往復で1時間40分位かりました。
「運転手S、説明員Tです」と説明員が言うと5台の雪上車が順番に発車しました。スキー場を上っていく間は先頭にスノーバイクが走り、降りてくるスキーヤーやスノーボーダーに左右に避難するように指示をしながら先導しました。事前に警告音を聞いたらしいスノーボードをつけた若者はコースの両側に板をつけて横に転がって、雪上車が通り過ぎるのを待っている姿が見受けられました。雪上車のきんきんという音は煩いのでかなり先まで聞こえたのだろうと思いました。それでも時々はスノーバイクに乗った人に左右に散れと言われてからのろのろと両脇に寄るスノーボーダーもいました。
乗客はこのきんきんという警告音が煩くて仕方ありませんでしたが、スキー場の頂上までは仕方なくつり革に捕まり煩い音を聞きながら進みました。そういう音の状況では説明員が何かを喋っているというのは分かりましたが殆ど聞き取ることは難しいと思いました。
スキー場の一番上までくるとスノーバイクの先導は終わりました。雪上車は山頂を目指してぐんぐんと上がっていきました。警告音が無くなっただけでも随分と静かになったので楽になったような気がしましたが、40分も狭い車内に座っているとそれだけでも疲れてしまうような気がしました。
最初は木の枝に雪が積もっているだけの風景から標高が上がるにつれて、木に積もる雪の量が増えてだんだんと樹氷らしきものが見えてきました。終点の樹氷観光の場所は山頂ではありませんでしたが一面に樹氷が広がった場所でした。

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午前10時30分、すみかわスノーパークに到着したので、雪上車に乗るまで時間があったのでスキー場の景色を撮影して時間をつぶしました。しかしながら、休憩所も切符売場もトイレは満員でこの時間を待つ方が余程時間が掛かりました。Fさんは樹氷原にはトイレがないので必ずここで済ませてくださいというのを、後期高齢者の多いツアーメンバーに何度も念を押していました。

ここでは雪の上を歩くという準備をしていない人のために長靴のレンタルもしており、ツアーメンバーの半数くらいは200円のレンタル料で1時間30分の樹氷観光のために借りていました。しかし、樹氷観光は実際には15分程なので、15分の雪の上を歩くために200円というのは高いような気もしました。

スキー場でスノーボードをつける準備をしていた若い女性を太陽と一緒に撮影しましたが、ここでも寄りが足りなかったかなと後で写真を見ながら反省しました。若い女性というので近づきがたったのかも知れませんでした。