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午後5時18分の千葉行きあずさ号は松本始発でした。最後部車両の指定された座席は行きとは逆の通路側で隣の席は八王子で降りる年配の男でした。徳澤園の鼾や涸沢ヒュッテの寝袋で体をぶつけられ、散々な目にあったと思っていたので、こちらからは話しかけることはありませんでした。
電車に乗ってから、この男が「涸沢ヒュッテで寝袋は寒くはありませんでしたか」と質問してきたので「ええ、少し寒かったですね」と相槌を打って会話は終わりました。

Kさんは八王子や立川で下車するひとがそのままJRの連絡線で帰れるように下車駅を聞いてから車掌にメモを渡していました。社内で乗り継ぎ券と清算をしておけば、特急を下車してから改札を出る必要が無いようにとの配慮をしていました。新宿駅下車の人には普通の特急と同じくJR決めた距離内では料金が不要で下車できるという乗り継ぎ券を配りました。
車掌は若い新人と若くてベテランらしい二人組で清算を始めましたが、ベテランは駅を聞くだけで料金表が頭にあるのか即座に支払うべき金額を言いましたのでさっさと処理がすみました。新人らしい男は私の横に座った年配の男から降りる駅を聞いて端末操作をぽちぽちと入力しているとベテラン車掌が来てさっさと金額を告げて清算が終わりました。
JRの特急にはこういう風にてきぱきと仕事のできる男がいるのだと認識させられましたが、Kさんも「こんなに丁寧に対応してくれたのは始めてです」とその切れのよい仕事ぶりに驚いている様子でした。

電車に乗り込んだ時直ぐに、一列前の通路を挟んで反対側の席では椅子を回転させて四人のボックス席をブルドッグ面のおばさんが作りました。この席には口先が煩いお婆さん二人に大人しい若い女性が一人で座りました。どうしてこういう席を作ったかと言えば、このブルドックのような顔をしたおばさんは日本酒を一緒に飲みたかったようです。
リュックサックからつまみのお菓子と日本酒を出して飲み始め、他の人は酒が飲めないというのでコーヒーとか麦酒をすすめていました。おつまみのお菓子はこの四人や通路の横の席まで少しずつ配って「美味しいでしょう」というのを強要していました。ブルドックおばさんの前に座ったおばさんが「ご自宅は・・・」という質問を投げたら「姑とは・・・、娘は家を出て・・・とか、結局家には誰もいなくて犬が待っています」という会話が聞こえてきました。顔が犬に似たのもこういう理由かと納得できたのでした。
酒が進むとこのブルドックおばさんの独り舞台で、「次の山登りはどうしようか」というので後ろの席に座っているKさんに「xx山のツアーはありますか」と質問をしていました。酔っ払った勢いでしたので適当にあしらっていればよいと思えました。
「登山の服装は・・・、服は何処で買うか・・・、ハイキング用ストックは・・・」という話が延々と繰り替えされたのでした。同じ席の3人はこのブルドックおばさんの犠牲者だったかもしれませが、そういう馬鹿話に笑っていましたので見知らぬ人の話は面白いものだったのかも知れません。
山登りでは私はこのブルドックおばさんと同じ組でした。何時も両手にストックもってせっせと歩いていたので、この話を聞くと山登りも犬が上がるような感じに思えたのでした。
私がKさんを見ると、Kさんは「これ以上煩くなったら注意しますから」と言って「お客さん同士でこんなに盛り上がっているのを見るのは始めてです」と驚いた様子でした。

小渕沢では登山の格好をしたツアーの30名ほどが乗車してきました。このツアーは我々のツアーと同じ会社が企画したものだったので、私と通路を挟んで反対側に一人で座っているKさんの横にその添乗員が座席を移動して座って二人で話をしていました。
この添乗員も若い男で大人しそうな感じでした。Kさんと話をしながら領収書をホッチキスで留めて費用清算をしていました。財布も自分とツアー用と両方持っていたお金を移動させていました。
Kさんにしろ、後で乗り込んできた男にしろ、若くて元気な男がこういう老人ツアーの添乗員でいいのだろうかという素朴な疑問をもって男の顔をみていたら、その男が「何処かでお会いしましたでしょうか」と質問してきたので「いいえ、一度も会ってないですよ」と答えて視線を変えました。

電車の中では日曜日の帰りの特急というので満席で立っている人も大勢いるようでした。車内放送で自由席では社内販売ができませんと案内していました。しかし、この指定席では少なくとも22名は夕飯を食べているので社内販売で弁当を買ったり、飲み物を頼んだりする人はいませんでした。社内販売もこういう状況では販売は不振だろうと思いました。
八王子と立川では、Kさんは降車口でツアーメンバーにお礼を言っていました。新宿で降りる8人を除いて降りたのですが、その時私が鼾の一件で苦情を言ったので覚えのある年配の男達は私の顔を見て軽く会釈しただけでさっさと下車していきました。

新宿駅に到着する時間まではKさんと少し話をしました。
「こういうツアーは他人同士なので終わればお互いに嫌なことも忘れられるのいいですね」と私が言うと「そうですね」とKさんは相槌を打ちました。今度はKさんが「旅行業界はあこがれて入社する若い女性が多いですが、現実はきつい仕事で辞める人も多いですよ」と言ったので、今度は私が相槌をうつことになりました。
最後には「何処に住んでいるのですか」と聞くと「水道橋です」と言ったので驚きました。「水道橋のどちらですか、本屋のある方ですか」と言うと「給料が安いので、爺さんが昔から商売していた家に同居させてもらっているのです」と答えました。
「私の家もマンションですが遠くはないですよ」と言うと「それは意外な話ですね」と少しは話が盛り上がったところで新宿駅に到着しました。
新宿駅ではKさんは最初にプラットホームに降りました、次に私はホームに降りてから挨拶をしてから、休日の賑わいの絶えない混雑する山手線のホームに歩いて行きました。

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松本駅に着いたのは午後4時過ぎでした。空は曇りで夕焼けもでないような天気でした。バスは発車した時と同じ場所に停車しました、バスを下車してから2階の松本駅改札まで上がるのにKさんは「もっと歩きたい人は階段でどうぞ」と言って遠回りをしてエスカレータのある場所までツアーメンバーを案内しました。私一人が階段で上がり2階のエスカレータ降り場で待っていると、2・3分も遅れて漸くKさんとツアーメンバーが上がってきました。

Kさんはコンコースの途中で止まって「ここで荷物を預かります。特急の発車時間の15分前、午後5時までに戻ってください」と説明しました。
約1時間もあるので食事するには十分に時間があると思ったので駅ビルの4階に上がり、土産物屋と食堂やレストランのあるフロアに行きました。
長野名物の蕎麦も食べたいという気も起こらず普通の食事を食べようと思って飲み屋兼の食堂入ると、先にあの抜け殻夫婦が相対して奥の席に座っていました。私は入口に近い二人用の向かい合わせの席に座って名物と書いてあった味噌トンカツを注文しました。私の座った席の左側奥には6・7人の客が座っていたので注文したものが出てくるのに時間がかかると困るので、中年のおばさんの仲居さんに時間を尋ねると「揚げる時間だけですよ」と案外簡単に言ったので、少し焦る気持ちで注文した料理が出てくるのを待っていました。
私が座ったとほぼ同時に座った若い男の注文したもりそばが直ぐに出てきたので、そういうのを見ていると案外早いのかなと思いました。部屋の奥に居座る方の客を見ていると注文したものを待っているのではなく、酒をのみながらぐだぐだと会話をしている地元の人らしく、夕方で人が少ないのですっかり尻を椅子につけて話し込んでいるようでした。
暫くすると抜け殻夫婦の注文したもりそばとお焼きセットが運ばれたので、この夫婦の注文したものが分かってしまいました。年配なのでさっぱりしたものしか食べないのかなと想像しました。それに続いて私の注文したトンカツも出てきたので食べましたが、時間が掛かったのは少々揚げすぎて肉汁の少ないトンカツでした。
量は大目でしたので甘い味噌をつけて食べると、山小屋で食べた質素な食べ物で飢えた体が少しは満足しているように思えました。この日は午前4時15分に朝食を食べ、午前10時にカレーの軽い昼食を食べて以降、上高地バスセンターでパン1個食べただけだったので、運動している割には食べるものが少ないというので体がそういうものを食べたいという要求をしてきたのかも知れないと思いました。

食堂を出る時は集合時間の15分も前だったので、この階にある土産物屋を見ていると、蕎麦屋からブルドッグ面のおばさんに加えて何名かのツアーメンバーが出てくるのに出会いました。この様子だとツアーメンバーの大半がこのフロアで夕食をたべているのかと想像ができました。
土産物屋をうろうろして物色しても欲しいものはないので、集合時間の5分ほど前まで土産物を見て時間をつぶしていました。 

集合時間の5分前に松本駅のコンコースで一人で荷物を見張っていたKさんに「時間通りに集合しますかね」と質問すると「何人かいませんね」と言って人数を数えました。ツアーメンバーの中に自分達だけが夕飯を食ったので罪の意識があったのか、Kさんにどら焼きを1個だけプレゼントした人がいました。私はそういう気があるのなら、弁当でも買ってやればよかったのにと思って見ていました。
ここでは年配の夫婦連れの主人が30歳くらいの若夫婦の男に向って「食事を作ってもらって感謝してる?」という質問を投げて、若い男の「ええ、感謝しています」という強要された返事に満足しているのでした。たぶん自分の奥さんに直接言えないので他人を出しにして間接的に言おうとしたのだろうと想像はつきましたが、いい年をしてそんな関係なのかと思わせる場面でした。
見ず知らずの他人にこんな変な質問をされて二人は困惑した顔をして立っていましたが、他人の心も読めない年配者とは煮ても焼いても食えないのだとも思いました。

ツアーメンバー全員22人が集まったので、ぞろぞろと松本駅の改札に進み、団体専用の扉を開けてもらうとKさんは「最後の人は扉を閉めてください」と言って先頭で進みました。私はKさんと一緒に歩いていましたが、後期高齢者にそういう伝言は伝わるのか不安になって、私が列の最後に並んで扉を閉めてからホームに降りました。

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沢度からJR松本駅まで直行するのかと思ったのですが、途中で土産物を買うために道の駅に停車しました。
全員がバスから下車して店に行くと事前に連絡してあったらしく「お待ちしていました」という歓迎の言葉がありました。店の横には特産の林檎売場があって大きな林檎を販売していましたが、大きすぎる林檎は土産物にしてはかさばるので見るだけで誰も買いませんでした、Kさんが道の駅で客の紹介御礼でもらった林檎を何個がぶら下げているだけでした。
道の駅では普通のお土産用お菓子類から味噌・醤油に酒・ワインと色々並べてありましたが、どれも欲しいと思うものは無く私は購入しませんでしたが、ツアーメンバーは衝動買をして色々と購入していました。
長野の名物で蕎麦とかが頭に浮かびますが特別にここで手に入れる程の品質でもないなとか、味噌なんかも簡単に作れる割に価格が高いとか、土産物というよりも自分で使おうと思うと普段スーパーで見慣れている商品との比較になるので魅力が薄れるように思いました。
お土産用として地元の名前が入ったものを贈る用意のある人には需要があるかもしれませんが、自宅だけでの使用しか考えない人には無用の長物でした。野菜なんかも安値で置いてありましたが、乗用車で来て積んでいけるのならいいのですが、ツアーでJRの電車を利用するとなるとそういう野菜はかさばるだけのやっかいなものに思えたのでした。

20分程道の駅の駐車場で休憩してから松本駅に行きました。丁度休日の午後ということもあり道路は少し混雑していましたが、予定の特急電車の発車時刻よりも約1時間も前に松本駅に徳着しました。
このバスの中ではKさんが「ツアーの添乗員として御礼申し上げます」という言葉があり、全員がねぎらいの拍手をしました。あとは無言のツアーメンバーを乗せたバスは、暮れかけた松本市内をゆっくりと走っていました。

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上高地食堂での食事を諦めて、リュックサックの荷物でぺしゃんこに潰れた、昨日この場所の1階売店で買った栗アンパンを広場の机で食べて、本谷橋で詰めた水を飲みました。
午後1時45分には集合場所にKさんが旗を持って立っていますということでしたので、有料トイレに寄ってからバスセンターの隅にある大きな地図の前に行きました。

集合時間5分前にはツアーメンバーが5・6人しかいないので「おかしいですね」とKさんと話していると、おばさんの一人が「休憩所でお茶を飲んでいましたよ」という話がありました。
Kさんは「このバスセンターではツアーでも並んで30分くらいは待たなくてはいけないので」と少し焦って「ツアーメンバーを探してきます」と言ったので「それじゃ私が旗を持っていますよ」と私が旗を振っていました。
Kさんがバスを待っている長い行列を超えて売店のある方を走り回っている姿を想像していると、ぞろぞろとツアーメンバーが現れました。こういう場面でも時間を守れないのは普段から自由勝手気ままに生活しているので、たまに団体で行動するときに時間厳守が出来ないという現象だろうと思いました。
午後2時15分頃には全員が集まったので、Kさんは「バスの予約を入れてきます」というのでバスセンターの係員のところに行きました。これから30分も行列で待つのかと少し気落ちしているところにKさんが帰ってきて「皆さん幸運でした、直ぐにバスに乗れます」というので丁度到着したバスに乗車しました。この日は休日なので団体バスも入れないので沢渡という場所まで相乗りバスで30分ほど移動するということでした。

我々のツアーの他に別のツアーメンバーも乗り込み満席となったところでバスは発車しました。30分も待つというストレスから開放されて少しほっとしたというのが感想でした。これからは早く帰りたい一心だったので、松本に早くに到着すれば1本でも早い電車に乗りたいという気持ちでした。
バスは走り出すと何度も上高地バスセンターに向うバスとかタクシーのすれ違いで停車するということを繰り返しながら沢渡の停車場に向かいました。運転手さんは「これで今年も終わりだ」と無線で誰かと会話していましたので、丁度今頃が上高地の最後の観光日なのかと思いました。

走り出して直ぐの場所でバスが対向車を避けて急停車して皆がつんのめった時も「何でもありません」と言い訳を言って走り出しました。多分なにか考えことをしてブレーキを踏むのが遅れたのかと思いました。
沢渡の少し手前で一組の親子連れが下車しましたので、ツアーだけでなく一般客も乗車していたのだとこの時しりました。
沢渡の停車場では運転手さんが「上でいいのですよね」と奥に座っているKさんに話しかけたので、Kさんは「ええ」とだけ答えました。上とは普通のバス停車場から丘をぐるりと回って上がると大きなバス駐車場がある場所を言っているのでした。
3・40台のバスが並んでいるのでどのバスに乗るのか分かりませんでした。ツアーメンバーがバスを下車して休憩所らしく作られたテントの中に椅子の並べられた場所に腰を掛けると、Kさんは「バスを探してきます」と言ってバスのならんでいるところに行って姿が隠れました。
しかし直ぐにツアーメンバーを少し離れた場所に呼び寄せて「このバスです。行きのバスの時と同じ席に座って下さい」と言って、もうすっかり番号なんか忘れている年配者達に座席表を見せていました。
沢渡のバス乗り場からチャーターバスに乗り換えたのでほっとしていると、Kさんは「このバスは同じ会社のツアーメンバーを下ろしてから沢渡で待っていました」と言っていました。バスの運行からすれば至極当然なことだろうと思いました。

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午後1時ごろにホテルに到着して、午後2時に上高地のバスセンター集合というので時間は十分にありましたので、時間があれば昼飯を上高地食堂で食べようかと考えたのでした。
温泉に入るだけ専用入口では、靴置き場と木製スノコが並べてある資材置き場のような場所でした。リュックサックはその場所に置いて、手ぬぐいと着替えだけを持ってホテルの2階の風呂場に行きました。風呂場は普通の公衆浴場と同じで2・30人が入れるような小規模な風呂場でした。
体が疲れていましたが、頭から足まで洗うと少し疲れが取れたような気がしました。湯は温泉なのか普通の風呂なの分からないほどの透明な湯でした。半円形の風呂場の隅からジェットバスのように湯が噴出してしたので、そこに背中を置くとマッサージされているようで気持ちがいいものでした。
風呂場には2人しかいないのでのんびりできましたが、壁は仕切られているのですが湯気を出すダクトは女湯と繋がっているものと思えて、ツアーメンバーのお婆さん連中の煩い話し声が静かな男湯の風呂場に響いていました。
風呂から上がると、先ほどまで感じていた疲労が吹き飛んだ感覚になったので不思議でした。下駄箱のある場所ではこれから風呂に入ろうという人とすれ違いになり「何処に行かれたのですか」と聞かれたので「涸沢ヒュッテです。山小屋は初雪で大変でした」という感想を述べると「そうでしたか・・・」という返事だけがありました。

ホテルのドアを開けて外に出ると天気は少し悪くなって日が翳っていました。梓川沿いの道を河童橋に戻りながら写真を撮影しました。河原には大勢の人が出てかもが泳いでいる写真を撮っているようでした。
河童橋の袂からとか、河童橋からとか写真を撮影しながら上高地バスセンターまで進みましたが、この時間になっても上高地バスターミナルから来る人なみは絶えることがありませんでした。
帰り道は梓川沿いの道から上高地バスセンターまで歩き、上高地食堂に行きました。もう時間が遅いので空いているのかと思ったら、食堂の中には順番待ちの行列が出来ていて直ぐには食べられる状態ではありませんでした。そういう混雑している状況は、食堂だけでなくバスセンターの前でバスに乗車する人たちが長い行列を作っていたのでよく分かりました。

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午前11時45分明神館を出発し、行きとは違って梓川を右手に見て流れに沿った道を河童橋まで進みました。この道では河童橋まで帰る人たちもいたのでツアーメンバーの隊列は切れ切れになりました。そんなことも気にしないで時間を気にしているYさんはどんどんと先頭に立って進みましたので、私はYさんと同じ最初のグループと一緒に歩きました。
ツアーメンバーがばらばらになったのはお婆さん連中が歩くよりも話しに夢中になって前方を見失ってしまうからでした。Yさんは途中でそれに気づいて時々立ち止まって、後ろの連中の姿が見えるまで待っていました。

ここでも丁度我々の先を歩いていた10名ほどの団体の一番後ろの人がYさんの知り合いらしく、河童橋の手前までこの二人は楽しそうに会話していました。Yさんには地元に仲間が大勢いるとのだというのを改めて知らされたのでした。

河童橋が近づくとキャンプ場もあり丁度お昼時なので家族でラーメンなんかを作って食べている場所を通過してから河童橋の袂に到着しました。ここでも後方のツアーメンバーの顔が見える迄一時停止してからホテルのある場所に歩いていきました。
温泉は「上高地温泉ホテル」の中にある風呂でした。河童橋を渡るころには5時間も歩いたせいか少し疲れが出てきて歩くのが嫌になってきましたが、もう少しだと言い聞かせて歩くような状態でした。昨日の涸沢ヒュッテに上るときの石段や坂を昇る時のきつさほどではありませんでしたが、疲労感がでてきてよたよたするのが分かりました。
徳沢園までは疲労感はありませんでしたが、明神館から河童橋の間を歩いている時に疲労感が出てきました。途中徳澤園で30分ほど休憩したのですが、朝5時30分から午後1時までの半日歩き通しはやっぱりきついハイキングだなと思ったのでした。
そんな状態だったので、河童橋を渡ってからホテルは近いかなと思っていたのが案に相違して居並ぶホテルの一番奥でした。
河童橋から「ホテル白樺荘」「五千尺ロッジ」「上高地西糸屋山荘」を過ぎて漸く「上高地アルペンホテル」に到着しました。ホテル街は一軒一軒が離れているので、まだかまだかと思って余計に遠く感じました。
最後にホテルの入口に上がる坂道を息を切らして何とか登ってリュックサックを下ろしました。Yさんは、のろのろと遅れてくるKさんを見て「早く、早く。ホテルのフロントで手続しないと・・・」と大きな声で言うと、Kさんは走って坂を上がりホテルの中に入って行きました。

ホテルの入口前でリュックサックを下ろしてからYさんはストレッチ体操を指導して「これで終わりです」と言って「色々な山のガイドをしています」と宣伝をしてから上高地バスターミナルの方に歩いて行きました。
この温泉では汚れと疲れを落としてから東京に帰るということでした。明神館の前で休憩している時に、Kさんが「温泉に入らないで上高地を散策したい人はいますか」と聞いたら4・5人が手を上げていましたが、ホテルまで到着すると結局のところ全員が温泉に入ったようでした。
Yさんはこのホテルでも顔が売れているようで、ストレッチ体操をしている時に後ろを通りかかったホテルの女性の事務員がにこにこして挨拶していました。
温泉だけに入るには通常の入口ではなく、ホテルの入口横に専用のドアがあって我々ツアーメンバー以外にも登山帰りの人が入っていきました。

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ここから明神館まで平坦な道をどんどんと進みましたが、天気がいいので太陽の光が林の中を差し込みきれいな光景を見ながら戻りました。
午前中なので我々と同じように下る人は殆どおらず、上る人達とばかりすれ違いました。こういう不便な場所でも外国人が何組かがいましたが、涸沢まで上がるような装備の人はいなかったので日帰りハイキングだったのだろうと思いました。
休日なので家族連れも目立ち、本格的な登山の服装で歩いている家族を見ると、親の趣味が子供にまで伝わっているのかと思ったのでした。

海外のハイキングでは歩けない子供を背負って歩いているのをよく見かけましたが、ここではそういう姿は見かけませんでした。考えかたの違いなのか、体力的にきついからなのかと思いました。
海外の山は普通の道路やロープウェイで2000mくらいまでは容易に上れるようにできていますが、涸沢は只ひたすらてくてくと歩かねばならないので、そういう事情の違いが大きいのではないかと思いました。

ツアーの隊列も1班から4班まで混ぜこぜになっていましたが、一列になって進まないと対向する人とすれ違いが出来ないので一列で歩いていました。
徳澤から1時間もしないうちに明神橋の手前にある明神館に到着して、明神橋を渡らずここで暫く休憩してから進みました。ここでも出発が少し遅れたのは女性用トイレに長々と列ができていたので遅れたのでした。
明神館の前では赤い実をつけた大きなカンボクの木があって、その前に大勢のひとが休憩しながら木を眺めていました。私が座ったベンチの前には桶に入った林檎が売り物で水につけてありましたが、あまり売れているような感じではありませんでした。林檎は大きすぎて食べには時間がかかるので、ハイキングをする人には敬遠されるのでなないかと思いました。

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本谷橋から横尾に至る杣道から望む屏風岩も晴天にきれいに見えて、昨日よりは所々に見える紅葉もきれいにみえましたので、ツアーメンバーも振り返りながら進むということになりました。
それに太陽の光が行く手から差し込み逆光になっていました。陽が少し紅葉した木々に当たり、林には光の線ができて、歩いていてもとても気持ちの良いものでした。こういう光線の状態は上高地に到着するまで続いたので、昨日の曇の天気の中を歩くときとはこんなにも違うものかと感じました。

朝7時も過ぎる徳澤方面から続々と人が上っていきました。途中でYさんやKさんと面識のあるらしい中年の男のガイドが引き連れた50人程の大きな団体とすれ違った時には、Kさんが土下座していましたので以前何か問題でもあったのかと思いました。

帰り道はYさんがどんどんと早めに歩くのでそのペースで歩き、徳澤園には午前10時に到着しました。涸沢ヒュッテを出発してから4時間30分かかりました。ここで早い昼飯のカレーを食べました。

徳澤園では昨日同様同じ食堂でしたが、私は先日と同じテーブルに座りましたが、あの抜け殻夫婦は私の横には座りませんでした。鼾の一件依頼敬遠されたのかと思いました。
朝4時15分に朝食を食べたせいか、カレーを食べても早すぎて腹に入らないということはありませんでした。朝食を食べてから6時間近い時間が経過しているので体も受け付けたのか、十分に歩いてお腹も空いて食べ物を要求していたのか分かりませんが、何の抵抗もなく食べることができました。一口食べるとカレーはレトルトなのかと思いましたが、さらっとしてやや辛めの素人味だったので手作りだろうと思い直しました。
KさんとYさんはこの徳澤園のカレーを評して「味は普通なのだが、量が少ないでのもう少しという気になるね」と涸沢から徳沢に下りるときに歩きながら言っていた言葉を思い出しました。

部屋の入口に近いテーブルでKさんとYさんがカレーを食べていましたが、食べ終わったのを見て私が「ここのワインは美味しいですか」と土産にワインを買うべきかと思って質問をしました。Yさんは「ここのワインは塩尻のワインです。葡萄が山梨とは違い、フランスに近いものですよ」という解説を聞いてお土産に買って帰ろうと思いました。
食堂を出て玄関の横にある土産物コーナーで赤白の2本のワインが置いてあるのを見て、手に取るとずっしりと重いような感じがしました。これを持って上高地まで歩くのかと思うと少し気後れがしました。
私がワインを手にしているのを、丁度掃除機で掃除を始めようとしていた女性がアドバスしてくれました。「ワインは赤がいいですよ。私も飲んでいますが、すっきりとした味わいです」と言ったので「それじゃあ2本下さい」と頼みました。「箱はないので、緩衝用ビニールで包装します」と言って段ボール箱から2本の赤ワインを取り出しました。
私は「折角のお土産なので丁寧に包んで下さい。私は若い女性が包んでくれましたと言って渡しますから」と言うと「私はそんなに若くはないですよ」と否定的な言葉が飛び出しましたのでした。

「冬場にはどうしているのですか」とこの宿が冬場には閉めるという話を昨晩聞いていたので質問すると「旅行に行ったり、実家に帰ったりと・・・色々です。フリーな人が多いです」という答が返ってきました。昨日、Yさんは「冬場は冬眠しています」と言っていたのを思い出して、こういう季節商売では開業期間に1年分を稼がなくてはいけないので大変だろうと思いました。それで昨日本谷橋で食べた、2個700円のおにぎりというのも、そういうことを考えれば当然かもしれないと思ったのでした。

徳澤園の出発が午前10時45分でしたので、ほんの少し時間がありました。晴天の下、徳澤園の食堂や前の広場は多くの人で混雑するような状態でした。昨日夕方我々が到着したころの閑散とした山奥の静けさや寂しさは何処かへ吹き飛んで、都会の公園のような混雑ぶりでした。
日曜日なので人が上高地からどんどん来て、涸沢まで上るのではなくて横尾や本谷橋で折り返す人も多いのだろうとリュックサックの大きさを見て推測しました。
出発前におおきな銀杏の木の前で記念写真を撮ってくれと一人参加のお婆さんから請われて撮影して徳澤園のベンチ前に戻ると、Yさんが軽量リュックサックに変えてツアーメンバーを待っていました。
「リュックサックが変わりましたね」と私がYさんに声を掛けると「今日も出迎えがあるので」という答えが返ってきました。

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昨日は本谷橋から見る光景は少し雲がありましたが、この日は朝の太陽がさんさんと注いで山の紅葉を照らしていましたのでこの河原からの紅葉を何枚も撮影しました。