好きな人の誕生日に、好きな人に電話したのね。「お誕生日おめでとう〜」って伝えた後、少し雑談した。その時に私のエゴが少し先行してきて、彼があんまり聞かれたくないだろうことを聞いちゃった。回答ではなく無言の時間が2秒くらいあって、話題を変えた。
電話を切った後、よくよく考えてみた。彼の仕事柄、毎日聞かれてることをなんで私は聞いちゃったんだろうって。またエゴが出てたんだ。彼の立場になって考えられてなかった。
それからもやもやした感情が、なかなか心から出ていかなかった。「ああ、謝ればいいのか」ってふと思い立って、手紙を書くことにした。アナログ・デジタル関係なく、文章を書く時、私はまずはiphoneのメモ帳に書きたいことを自由にとめどなく書いて、その後に推敲していく。そして、コピーアンドペーストしてブログの記事にするか、物理的な紙に書き出す。私が文章を書く時のいつもの流れ。
iphoneの画面を見ながら、無地のノートに画面上の文章をボールペンで移す。単語と単語の空白、文字の形。納得がいくまで書き直して、次に紙を手で切っていく。ストリングみたいになった文章を東京ステーションギャラリーのフライヤーの上に乗せてみる。微妙に位置を移動させる。フライヤーにうまく調和しないと思ったら、また文章をノートに書き、それを引きちぎる。配置が決定すると、糊でフライヤーに貼り付けていく。合計4枚のフライヤーを使った。4ページ。手紙が完成した。
出来上がった手紙、すごい可愛かった。4枚全部、デザインが違うんだけど、どれも不思議と均衡が取れていて元々お洒落で素敵なフライヤーに私のコラージュが暖かみと生を加えた。自画自賛ではあるけど、「可愛すぎる。むしろ私がこの手紙欲しい」と思ったくらい。
いくつかの落書きと住所を書いた茶色の封筒に手紙を入れて、郵便局で出した。
数週間後、手紙を受け取った好きな人がメッセージで「手紙ありがとう。すごく気にいった!」と言ってくれた。私の謝罪に対しては「自分でもまだ全然わからないことだから返事できなかったんだよね。」って来た。私は考えすぎる癖があるから、考えすぎてたのかもしれない。でも、自分の気持ちをその人に伝えられたことが幸せ。
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私はアーティストへの限りない憧れを抱いている。
直感的に人の心の底に訴えるもの、理性や論理以上のものを創造し、製作するアーティストは尊い存在だと思う。
憧憬の念が強いあまり、「なんで私はアーティストになれないんだろう。才能ないもんな。自分なんかアーティストになれるわけない」と悲観的になることもある。
でも、確信したんだ。私はアーティストなんだ、と。
好きな人に製作したあの手紙は、自分の素直で正直な気持ちを文字とコラージュで表した芸術作品であったわけ。自分の本当の気持ちと向き合って、自分が好きなように作った。
自分の心のほんの一部が、形を変えたってだけだった。だから、それはもうアートなんだ。アートってそういうことなんだと思う。世間の高い評価とか報酬とかそういうことを気にし求め、創作することは、不純であり芸術ではない。芸術とは、その人の本心、心から湧き上がるもの、混じり気のない純粋な感情を素直に表現した形であり、結果。
「完全に/完璧に」とは言えないけど、初めてそれができたんだ。嬉しかった。
本当に可愛い作品だから、SNSに投稿したいんだけど、パーソナルな内容すぎて載せるのを躊躇してる。まだ、そこまでの領域には至ってない。今ではない、いつかね。
それより、この機会をくれた私の好きな人には、本当に感謝しきれない。大好きすぎる。気に入られることを目的として作成したわけじゃないけど、大好きなその人が私の作品を気に入ってくれたと思うと胸がハートの絵文字でいっぱい。
a lot of love, w