世はSNS時代
ババァーーン‼︎‼︎
というくらい、SNSは必須の世界を
私たちは生きている。
どうも。“ぬ”の味噌汁です。
本名でもいいけどまだ仕事辞めてないから、
辞めたら本名にしようかな〜。
さて、
青森から出てきて関東の会社に勤務して4年目。
帰ろうかな〜でも休みの日遊ぶの楽しいしな〜。
そんなゆるゆるの私だけど、
夜になると無性〜に寂しくなる。
家に帰りたくなる。
実家に帰りたいかと言えばそういうわけでもない。
いや、実家にいても時々帰りたくなる。
どこに?
そんな日々を過ごして、ある日思った。
自分が思うことを書き込める
アプリがあればいいのに!!!
いや、あるやん。
InstagramとかTwitterとか。
みんなもアカウントあるよね。
あるやんって思うかもしれないけど、
私はなんか違うなぁと思う。
どちらも見ていて楽しい。
発信って素晴らしい。
でも私が感じた虚しさは、
私がしたいことをできていないからかもしれない。
私が気づいたことを、
もう少し詳しく伝えたい。
まずはきっかけになった私の話から。
そのきっかけとは、まさにSNS。
マッチングアプリだ。
マッチングアプリは今や主流の出会いの場として
世間に知られているが、私が初めて使った4年前は
謎の後ろめたさがあった。
アプリの出会いってどうやって
周りに言えばいいんだろうと思っていたけど、
最近は自分から話題を触れるくらい慣れた。
まぁ、普通に
「マッチングアプリで彼氏できたわ〜」
って言えばいいのだが。
今となっては主流の手段だしうまく行く人はうまくいってる成功のアプリだと思う。
が、しかし、
私の主観で思ったことが二つある。
一つは途中で飽きてしまう事。
もう一つは飽きてやめたのに
何度も再登録してしまう事。
今思えば私はただただ寂しかった。
彼氏が欲しいかと言われれば欲しかったが、
何がしたいかと言えばSEXではなかった。
話し相手が欲しい。
でも相手は真剣に探してる(真意は知らん。)わけだし、聞いてくることは自分の期待に合う子かどうかの質問なのは当たり前だ。
仕事は何してるの?
家庭的な子っていいよね。
本気で探している人にとっては
本当に素晴らしいアプリだと思う。
それで出会うことは悪くない。
問題は今の私だ。
マッチングアプリであって、お話アプリではない。
つまり私のニーズにはあっていなかったっていう事。
私のニーズは寂しさを晴らす事。
その寂しさは夜だけにある。
朝になると割と平然と仕事に行ったり
好きな事をしたりできる。
社会で生きているときは何も感じないのに、
自分が1人になった時に感じるのだ。
私の寂しさの原因はなんだ?
私はどうしたら満たされる?
私は身近な大切な人に、
自分をもっと教えたい。
理解して欲しい。
太極拳。
人間には承認欲求がある。
私にはある。
割と強く。
なぜそうなってしまったのか。
現実世界で自分を理解してもらう努力を、
していないから。
保守的な立場でのほほんと生きてきたから、
私がどんな人間かを周りは知らない。
生年月日や血液型、資格の話をしたいんじゃない。
自分の性質の話。
私の生きる世界の話。
私が好きなものの話。
私は涙が出やすいんです〜。
多分そういうものを生まれながら持ってるんです。
私はこういうことで怒られたことがあるんですけど、私には私のこういう考えがあったから怒られるのは解せないです〜。
絵が描けます〜。
雲を見てキャラクターを
創造するのが好きです。
そんな話をする私をもっと出したい。
私は、
社会で通用しない私を
見てほしい。
そう思った。
みんなが持ってる感情かはわからない。
でも私は持ってる。
「面白いね」
って見てくれたらきっと嬉しい。
いいねも面白いねも承認された気持ちになる。
私がしたいのはきっとそこだ。
付き合うに求めることも体の関係じゃない。
心のシェアができる相手が欲しいんだ。
男とか女とか、
恋愛か性愛かとか、
そんなのはどうでもよくて、
人が持ってる生まれながらの魅力を
もっと表面に出したい。
見たい。
そんな世界を作りたい。
石
Instagramはキラキラしていないといけないのかなと
思う時がある。
Twitterは愚痴を書いても
人に見せてはいけない気がする。
私の主観だが、
結局私が感じているということが重要なのだ。
他者を傷つける事だけが愚痴じゃない。
自分の疲れた気持ちやモヤモヤする気持ちには
必ず理由がある。
その時どうしてそう思ったか、
本当はどんな気持ちで乗り切ったのか、
そんな自分を話を、
どこかに出したいのに出せない。
どこかに出したっていいじゃないか。
ここまで読んだ人は
どう思うんだろう。
自己愛が強いって思うだろうか。
そう言われたら私はこう返したい。
私は自分を愛せていなかった。
失敗する自分はダメだと思っていた。
そんなことないよって思えるようになりたい。
自己を肯定したい。
自己肯定感は、あげるものじゃなくて、
それでいいんだよって認める力のことを言うらしい。
自分への愛を満たせていないから
欲してるのではないだろうか。
自分自身を
心から愛しんでいる人は
どれくらいいるんだろうか。
コロナ禍で繋がりが希薄になった世界。
正直言うとコロナ禍の前から薄々気づいてきた本当の自分を出せない世界。
可愛くなる努力をして、
ある程度の人とのコミュニケーション能力を
身につけなければ異性に認められない世界。
1人の時間になれるはずのSNSで監視される世界。
“人”としての常識を身につけて
会社の一員として生きる世界。
会社を出た後も“社会人”としての
自分の枠に収まらなけらばならない世界。
ここはそういう世界で、そういう時代なんだ。
私は改めて気づいて、
そんな世界でどう生きるかを考えた。
会社で働くのは仕方ない。
生きるためにお金は必要だから。
じゃあ会社の外であれば、
社会の外に出ることはいいんじゃないかと思った。
非行に走れという話ではない。
つまり、
もっと素の自分のことを
話していい世界にすればいい。
並べてみた
自然にできる人もいるんだろうな。
それが自然にできる人が羨ましいな。
私はできなかったから。
もし同じ気持ちの人がいるなら
私はわかる。
家族や友達に言ってなんになるって思ってしまう。
何も変わらないし
みんな同じことで悩んでるよなぁ。
こんなの悩みと言うことも
いけないのかもしれない。
だったら私は聞く側に回ろう。
私は大体の自分を
知ってもらっていれば構わない。
私らしいじゃないか。
そんな優しい人に、私は聞きたい。
何色が好きで、
何を見るのが好きで、
何をしている時が楽しい?
理由も聞きたい。
そんな話をだらだらしたい。
あなたが生きるために身につけた術を、
全て置いといて。
あなたの性質の話をしよう。
わざわざする必要のない、
自分の話をしよう。
そんな場を、私は作りたいな。
と。
どうかな。
読んでくださってありがとうございました。




