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壱や【源氏物語】
宇治十帖
第五十三帖
手習あらすじ
「そのころ、横川よかわに、なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みけり」
「手習」の冒頭は、こんな思いがけない人の出現で始まる。
横川の僧都といえば、当時、比叡山横川の恵心院に住み、「往生要集」を著した源信を人々は横川の僧都と呼んで尊崇していた。
つまり歴史的実在の人物がいたのである。
当時の読者なら、思わずその人を連想した筈だ。
紫式部はよくモデルらしい人の実名を作中に使うことがあった。
それによって物語に真実らしい雰囲気を持たせたのだろう。
この帖は行方不明になった浮舟が、実は投身自殺が未遂に終り、生きていて、横川の僧都に助けられ、ついには僧都を戒師として、出家する話が書かれている。
横川の僧都には八十過ぎた老母と、五十歳くらいの妹がいて、二人とも尼になって小野に住んでいた。
二人が長谷観音へ参詣した帰途、母の老尼が急病になり、宇治にある故朱雀院の領地の宇治の院に、つてを求めて中宿りした。
僧都は母の病の重態との報せに、山を下り、宇治に赴き、老母の加持祈祷をしていた。
旧い院にはよく物の怪などが住みついているので、僧都の弟子の僧が庭を呪まじないをしなが、廻っていると、大木の根もとに何やら怪しい白いものがひろがっている。
恐る恐る灯をさしよせて見ると、黒髪の美しい若い女がただ激しく泣いていた。
行方不明になった浮舟その人であるが、誰も知らない。
妹尼は、自分の亡くなった娘の身替わりとして初瀬の観音さまがさずけて下さったと思い喜ぶ。
やがて僧都の加持で老尼の体も回復したので、妹尼は浮舟もつれて小野の里の庵に帰った。
浮舟は完全に記憶喪失症になっていて、自分が誰でどこにいたかさえも思い出せない。
意識は朦朧として呆けたようになっている。
衣装や薫きしめた芳ばしい香の匂いから、高貴な姫君なら面倒だと思い、妹尼には供人にも口止めしていた。
浮舟の容態が悪くなる一方なので、妹尼に請われて僧都が山を下り、弟子の阿闍梨と必死の加持祈祷をした。
その効験で、物の怪が調伏され、浮舟ははじめて意識を回復した。
失踪以来数ヶ月が過ぎた夏のころだった。
気がついて見廻すと、見知らぬ法師や尼たちが自分を覗きこんでいるので、自分が入水しそこなってまだ生きているのだとわかった。
名も住まいもやはり覚えていない。
ただ根をつめて記憶をたどってみると、何でも死にたい、死なねばならぬとばかり思いつめていた記憶がかすかによみがえる。
ある夜、女房たちの寝静まった後でひとり縁側に出た時、風が強く川音がごうごうとしているのでおそろしくなり、立ちすくんでいると、美しい男がこちらへ来いと招き、自分を抱いてくれた。
匂宮だと思った時から意識を失っていったらしい。
後は何も覚えていなかった。
女は泣いてただ出家させて下さいと言うばかりなので、僧都は女の頭の頂の髪だけを少し削ぎ、五戒(在家の信者の受ける戒律)だけを授けた。
秋、たまたま妹尼の亡き娘の婿だった中将が訪ねてきて、浮舟を垣間見て見そめ、しつこく求婚してくる。
尼君も大乗り気でしきりにすすめる。
浮舟はわずらわしいだけで相手にしない。
このうるささから抜け出すためにも出家への願望が強くなる。
尼君が初瀬に、浮舟を娘の身替わりに与えてくれたお礼詣りに出かける。
浮舟は誘われたが気分が悪いと言って断った。
たまたまそこへ僧都が、女一の宮の病気の加持を、明石の中宮に請われて下山する。
その途中、小野の庵を見舞った。
浮舟は僧都に出家させてほしいと、頼みこむ。
そのあまりの熱心さにひかされて、僧都はその場で、浮舟の得度式をとり行ってしまう。
自分が導師になり、弟子の阿闍梨に命じて浮舟の髪を切らせる。
帰庵した尼君は仰天し、落胆するがもはやどうしようもない。
兄の僧都を怨むが、浮舟自身は晴れやかになっている。
山の座主も治せなかった女一の宮の病気は僧都の祈祷で回復した。
しかしまだ不安だというので僧都はその後しばらく宮中に引き留められていた。
その間に僧都は明石の中宮に、浮舟を発見して以来の一部始終を話した。
その場にたまたま薫の情人の小宰相もいて聞いていた。
中宮も小宰相も、その女が薫が囲っていた女ではないかと思い当る。
この情報が薫の耳に達するのは、もう必然である。
年が明け、浮舟は日々静かに勤行しながら、終日、手習いをしている。
心に思うことを筆に託して思い浮かぶままに歌につくったり、古歌に託してすずろ書きすることを手習いという。
手習いの歌に昔の男や母への思いがあらわれることもある。
出家したからといって、一挙に全ての現世の執着が断ち切れるものではない。
しかしそれもやがて日と共に薄くなるだろうという予感の期待はある。
そんな時、薫の囲っていた宇治の女の一周忌のため、女の装束を急いで縫ってほしいと持ちこまれた。
尼たちはそれを縫うのに大童おおわらわで、浮舟にも手伝えと言う。
浮舟はこの思いがけない仕事をさすがに自分でする気にはなれない。
浮舟の一周忌が過ぎた頃、明石の中宮にすすめられて、小宰相が薫に浮舟の生存していること、出家していることを告げる。
薫は匂宮もそのことを知っているかと不安がるが、中宮は匂宮には知らせていないときっぱりと言う。
薫はそれ以来寝ても覚めても浮舟のことを思いつづけ、とにかく横川の僧都に会って、直接確かめようとする。
源氏物語 巻十
瀬戸内寂聴 著 引用
尼僧の還俗
「手習」巻、入水が未遂に終わり生き延びていた浮舟は、横川の僧都に頼み込み、とうとう出家を遂げる。
浮舟を亡き娘の代わりと思って慈しんでいた僧都の妹尼は、これに泣き伏す。
仏道信仰の厚かった当時、出家は尊ばれることではあった。
が、やはり現実的には俗人としての身を殺すに等しく、若い身空での出家は一般に無念と思われるものだったのだ。
だが「手習」巻の浮舟は、むしろ出家して心が晴れ晴れしたという。
世俗の欲望に翻弄され続けた身には、人から朽ちた木のように無視される。
何もない生活こそが望みだったのだ。
仏道は彼女を救ったかに見える。
だが実はそうとは言い切れない。
この巻の最後では薫が浮舟の消息を知り、横川の僧都のもとに出向く。
次の「夢浮橋」巻で彼が僧都に働きかけ、事態が動きだした時点で、彼女のささやかな平穏は壊される。
現実逃避としての出家は、次の展開を待つことになるのだ。
そこで僧都は浮舟に説く。
「愛執あいしふの罪をはるかし聞こえ給ひて(大将の愛執の煩悩を晴らして差し上げなさいませ)」
浮舟はこれにどう応えるのか、応えないのか。
還俗するのか、しないのか。
現実の苦しみら逃れるために出家した女と、愛の残滓ざんしをひきずる男。
浮舟と薫の関係は、そのように整理することができよう。
平安人の心で「源氏物語」を読む
山本 淳子 著 引用
とうとう、壱や源氏物語は
明日 更新される「夢浮橋」で
最終回を迎えます。。。
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