「講釈たれてたね」

 

そう言われてモヤモヤ。



私の中で


講釈たれてた=エラそう

                        =出しゃばり

→エラそうにしてちゃいけない

→出しゃばっちゃいけない



そこまで一気に自動変換されて、

めっちゃ責められてるように感じてしまって、

一気に気持ちがどよーーーんと落ちまくる。




私、また偉そうに言うてたのかな。

私、またいらんこと言うてたのかな。

私、また出しゃばってたのかな。



ゾワゾワ自分責め。

落ち込み。

気分が晴れない。



と同時に

そう言った人に


どういうつもりで言うてるの?!

私がまた偉そうにしてるって攻めてるの?!


と腹立たしさ?

悲しさ?

悔しさ?

も湧いてくる。



誰も分かってくれない、

の思いも出てくる。



そして、

いつものクセで

その気持ちをかき消そうとしてしまう。



エラそうな自分、

いらんこと言いの自分、

出しゃばりな自分

を心の中で責めながら。



何十分も経ってから

ようやく


「講釈たれてるって、

私、エラそうやったん?」


と聞いてみた。




そうしたら、

そういうことではなくて、


人に何かを教えてるみたいな、

Zoom越しに何かを教えてるみたいな感じだったらしい。



私がそういうことを気にすることを知っているから、


「ごめん、気にしないで」と言ってくれた。



そっかー、

エラそうって意味じゃなかったんや。




でも、

自分の中ではそれを自動で結び付けてるし、

そんな自分がダメやと思ってるし、

そんな自分を責め続けてる。



相手はただ

「講釈垂れてる」

って言っただけ。



エラそうとも

出しゃばりとも

いらんこと言うてるとも言ってないし、

そんな意味合いも含めてなかった。




ただただ、

私の受信機がそう捉えただけ。



それで勝手に落ち込んで

勝手に自分責めてただけ。



こんな時は自分に何と言ってあげたらいいのだろう。



辛かったねー

嫌だったねー


エラそうにしちゃいけないって思ってるんやねー

出しゃばって、余計なことを言ったらアカンって思ってるんやねー



お父さんがいつも言ってたもんねー


出しゃばるな、

余計なことするな、

お前はいつも出しゃばって

って。



褒めてもらえなかったもんね。

悲しかったよね。

怖かったよね。

また怒られるって思ってたよね。



いらんこと言うてるって思ってたよね。

そんな自分はあかんのやって思ってたよね。




出しゃばってもいいよ。

いらんこと言うてもいいよ。

エラそうにしてもいいよ。



だって、

私だもの。

偉いんだもん。

目立つんだもん。

いろんなことに気付いて、それが的確なんやもん。  




出しゃばってもいいよ。

エラそうでもいいよ。

いらんこと言うてもいいよ。



出しゃばってないし。

エラそうちゃうし。

いらんことちゃうし。



出しゃばりやし。

エラそうやし。

いらんこといいやし。



それが何か?!?!?!




ごめんね、私。

自分のこと責めてて、ごめんね。



私が分かってあげる。




ファミマで

サントリー天然水Sparklingと

モチモチクレープ買って

公園で食して

少しでも私を心地よくさせてあげる。




そして、

私の為のこの言葉を公園で記す。



さぶい。

ちょっと気分が戻ったので、

お家に帰ろう。