私は
ブログを書く時も
Facebookの記事を書く時も、


どれだけライトに書いていたとしても、


自分の心の中にある思い、
感情、
感覚等、


自分の中のものを
出来るだけそのまま表現出来るように


丁寧に丁寧に言葉を選んで

選んで選んで

言葉を綴っていってる。



私の中では

ざわざわとぞわぞわは全く別のものだし、
「私は」と「私が」も違うし、
「~も」「~にも」等々、


本当に本当に小さな音の違いにも
一文字一文字こだわって
選んで書いている。


ちゃんと自分の中にある感覚を
正確に表現してあげたいのだ。



たった一文字でも
その「音」が違っていることが
私の中では感覚的にとても気持ちが悪いし、


それじゃない!!
って思う。



だから、
私が文章を書く時は


本当に本当に
自分の思い、感覚、感情をとても大切に感じながら、

言葉選びも
とてもとても大事に思いながら
一音一音
丁寧に言葉を選んでいっているのだ。
(文章が上手い下手は関係なく)




心屋カウンセラー認定(コバマス123期)
エリージアム巣立ちコース修了
 
心屋オタクな
きみちゃんです。

浅草寺の青紅葉🍁

そうしているのは
私が私の気持ちや感覚をとても大切にしていて、

それを
出来るだけ自分の感覚として
正確に表現したいという思いから。



だけど、
それを読んだ人が

私の気持ち、
私の感覚、
私の感情をそのまま受け取ってくれるかと言えば、

それは別問題だ。



どれだけ私が
自分の中のものを正確に表現したとしても、


相手が受け取る時に違うように受け取ってしまう、

それは
ある意味仕方のないことだ。



それは
受け取る方の「感覚」がまたあるのだから。




だけど。

私が思いっきり思いを込めて表現して綴った言葉たちを、
文章を、


私の思いとは全く別の解釈をされて、
用いられることは
とてもイヤだ。



えっ、
私、そんなこと言ってない!!!

私、そんな思いで書いてない!!!

そんなふうにひと言も書いてないのに
そんなふうに解釈しないで!!!

って思ってしまう。



私が
自分の中の大切な大切な感覚たちを

丁寧に丁寧に
言葉として紡ぎ出し、



ちゃんと私の気持ちを表現出来てるかな、
私の感覚を言葉に出来てるかな、

大事に大事に言語化した言葉たちを



全然違う風に解釈されて
持ち出されてしまうのは
とってもとってもイヤなのだなぁと。



ここにもまた
私の「思いグセ」が出ているのかもしれないけど、


私の気持ちを
粗末に扱われているような気がして
本当にイヤだと感じる。



もちろん、
いつも100%自分の気持ちを
正確に言語化出来ている訳では無い。



特に
ここのところのモヤモヤ案件は
自分の中でもまだ
明確になっていない思いもたくさんあるので、


ひと記事書きつつも、
自分の中でも
「なんか違うな」
という感覚のまま書き上げているものもある。



それでも、
「なんか違うな」
「あれかな、これかな」
と思いながら書くことで

自分の気持ちが明確になっていくこともある。
(明確にならないままのこともある)



だけど、
私が私の感覚を大切にしていて、

それを
その時の自分なりに
出来るだけ正確に表現したいと思っていることには変わりない。
(私の意図とは全く違うように相手が「受け取る」のは仕方ない)
ひと房しか咲いてなかった、浅草寺の藤の花

なんというか、

自分でも
私の中の感覚を言語化することに対して
私はとてもこだわりを持っていて、

毎回毎回
丁寧に言葉にしていっている自覚はあったけど、


今回改めて、
私は私の感覚と言葉を大事に思ってるんだなぁ、
と感じた次第。



だからなんやねん、
って言われても困るんやけど😅


イヤやったの!!!!٩(๑`^´๑)۶ムキー!!!



そして、
イヤって言えずに
思ってもないこと言っちゃったし、

言えないからって
こんな風に間接的に書いてしまうことにも
自己嫌悪(´・ω・`)ショボ-ン


心と身体がチグハグな感覚。



ちゃんと
「私の意図とは違うよ」
って伝えればいいだけやったのにな。


文章にする時だけじゃなく、
口から出す時にも
ちゃんと自分の思いを言語化出来るようになっていきたいな。