今日は
ジェニーさんのグループカウンセリングでした。
ジェニーさんのカウンセリングを受けるのは初めて。
私は
いつも「悩み」という形で話すことが出来ない。
悩みやしんどさが無いわけじゃない。
でも、
「〇〇で悩んでいます」
と明確に言葉に出来ないしんどさなのだ。
なので、
今回も相談するという形ではなく、
ジェニーさんの話すこと、
他の相談者さんの話から
何か感じ取れたらいいなぁ
と思って参加させてもらった。
そしたら、
全ての話、
全ての言葉が
私の中にスーーーーーっと入ってきた。
大変おこがましい言い方だけど、
ジェニーさんの体験やお話を聞いていて、
とても似た感覚を持っておられる方なんやなー
と感じた。
(ピスタチオの話も、ややこしいところも😅)
だけど、
(私が勝手に感じていることだけど)
同じような苦しみを持っていたジェニーさんが
そこを抜けられて、
今は「あっち側」の世界にいらっしゃる。
私自身は
変化はしていってるけど、
まだ「こっち」と「あっち」の狭間で
くるくる回ってる感じ。
だから、
先ゆくジェニーさんの言葉が
一つ一つ染みていくのだ。
「絶対に変わると『決める』」
心屋に出会ってから
訳が分からんままに
真っ先にやったこと。
ジェニーさんも今日、
同じことを言っておられた。
「決める」と「変わる」。
これは私も実感している。
そして、
現実も変わっていく。
そして、
「心を開く」
それは
人の為じゃなくて
自分のため
自分が自分の声を聞いていたら
自分が孤独になることはない
そっかー、
私が今でも「孤独」を感じてしまうのは
私が私の声を聞いていないから。
「私が」子どもにこうしたい
(子どものためにこうしたい、じゃなくて)
「私が」相手が〇〇してるように見てる
それでいいのだ
人のためにとか
あの人はああに違いないとかじゃなく
「私が」。
これが
自分の人生は
全て自分に責任がある
ということ。
それは
プレッシャーに思うとか
全部自分の責任にして
自分を責めるということではなく、
自分が自分の気持ちを知り、
自分がどうしたいのかをやり、
自分見たいように見るということ。
人のせいにしない。
誰にどんなジャッジをされてもいい
何か思うのなら、思えば?
それぐらい
自分に責任を持つということは
自分の感覚を信頼することなんだなぁと。
自分が自分の味方をして行く
ということなんだなぁと。
勘違い、思い込みで
心を閉じてきた
だから、
自分のために心を開く
どんな自分でも責めない
自分をいじめない
後悔しない
罪悪感持たない
そして、
持ってしまったとしても
それすら責めない
私もすぐに
「私は大切にされない」
の思いが出てくる
今日もさっそく
そんな出来事があった
「やっぱりな」
「またか」
って思ってしまう。
ぢんさんに対しても
相変わらずスッキリしなくて
そこで出てきた気持ちは
「私のことも大切にしてよ!!!.˚‧º·(ฅдฅ。)‧º·˚.ウワ-ン」
なかなかスッキリしない。
もっともっと
その気持ちを分かってあげつつ、
感じてあげよう。
それまでは
LINEライブも見れない。
しんどくて。
あの時の
「怖かった」の気持ちも
まだまだしっかり感じ切れてないんやなぁ。
ちゃんとちゃんと
私が分かってあげて
感じていってあげよう。
最後の最後に
カウンセリングは
身体全体で聞いたらいい
ということを仰っていて、
ジェニーさんが
胸で感じながら話を聞いてらっしゃる姿が
目に焼き付いた。
あーーー、
そうだなー、と思った。
私も
理屈で説明出来ない感覚があったのだけど、
そういうことだったんだなぁと。
ひしひしと伝わってくる
相手の方の感情がある。
それは
身体全体を使って話を聞いていたのだなぁと。
それで良かったのだ。