私の中には


虚しさが奥深くにずっと居座っている。
いつの頃からだろう、
その存在に気がついたのは。
子どもの頃から明るくて元気で
活発なムードメーカーな私だったけど、
ふと「消えたくなる」衝動は
その頃からあったような気がする。

珍しく、大崎行きの山手線に乗れた🎶ラッキー✨
ぢんさんに出会って
心屋に出会って
いろんな人の助けを得ながら
自分に向き合い続けてきて
少しずつ
「虚しさ」もマシになっては来ている。
だけど、
それが完全にスッキリすることはなくて、
ずっと心の中にあるのが分かる。
マスターコースに行ったのも
死ぬ時に
「生きてて良かった」
「生まれてきて良かった」
と言えたらいいなと。
今は何かに対して
大きく悩んでいることがある訳ではない。
それは、
キレイゴトとして
「もう、悩みがないの✨(´✪ω✪`)♡」
と言っているのではない、私の場合は。
明確に「言語化」出来る悩みというのは見当たらない、表現し切れない状態なだけで。
心の中の芯の部分のしんどさは
大きくなったり小さくなったりしつつも
ずっとあるのだ。
それが
人と一緒に居たり、
楽しいことをしている時は
もう無くなったのかな?
って自分でも思うぐらいに小さくなってる。
でも、
ふとした時にどよーーーーんと出てくる。
その出てくる頻度が
年明けからまた多くなってる感じがする。
年内までは
怒涛の変化が次々怒っていたから
そういう虚しさを感じるヒマもなかったのかな。
また
いろいろ向き合って来たからこそ、
今、次の課題として浮き上がって来てるんだろうか。

御徒町パルコヤの横にいるパンダちゃんパンダ🐼
私の心の奥底にある「虚しさ」は本当に大きくて、
すぐに飲み込まれそうになる。
消えてしまいたいと思ってしまう。
生きているのがしんどい、
何のために生きてるんだろう、
という思いに支配されてしまうようなものなのだ。
その虚しさがあまりにも大き過ぎて、
一人で家に居たら、
どんどんとその虚しさに飲み込まれてしまいそうになってしまうから、
だから私は、
どんどん外に出ていっているのもある。
もちろん、
純粋に外に出たい、
行きたいところに行きたいって気持ちで動いているつもりだ。
だけど、
ふと自分の思いに目を向けて見ると、
動いてないと不安が大きくなったり、
動くことで
虚しさを感じなくさせるためにがむしゃらに動いていることも
たくさんある気がする。
動いていないことが不安なのだ。
もっともっと若い頃は
スケジュール帳に予定が入ってないことが
不安で不安で仕方がなかった。
今は体力的にしんどいのもあるから、
そんなにスケジュールパンパンということはしないけど、
でも、
生きている虚しさ、空虚さを埋めるために
動き回っている感も否めない。
映画を観ることにしても、
もちろん、その映画を観たくて観るんだけど、
この映画を観ることで
私の今日の2時間は消費出来た、
寝るまであと〇時間を何とか消費させよう、
そんな感覚に陥るのだ。
どうせ時間を消費するのなら、
嫌なことをして消費するんじゃなく、
楽しいと思われることで時間を消費させよう
とは思ってるんやけど。
あ、
もちろん、毎日毎日
こんな感覚になっている訳では無いよ。
数年前までは結構こういう感覚になることが多くて、
でも、
心屋に出会って
自分の気持ちに向き合ってきて、
自分を救ってあげようとやってきて、
だいぶ
この感覚も小さくなってきたし、
この感覚に囚われる時間も短くなって来てるとは思う。
だけど、
たまにこうやって
大きな波に未だに飲み込まれてしまうのだ。
それが年明けてから
割と頻繁に起こってる感じ。
ここ数日もそういう感覚に囚われてたけど
うまく言い表せなくて、
今朝は目が覚めた瞬間から
大きな虚しさに襲われていたので、
ちゃんと言語化してみようと。
コバマス123期のみんなとカウンセリング練習する時に
相談役をやる時に
なかなか言語化出来ないから😅
また違うことで
むーーーーーーんとするかもしれないけど、
今の私のしんどさはこれです。
心屋大好き心屋オタク
エリージアム巣立ちコース修了
コバマス123期受講中
ぢんさんに愛されまくってる
きみちゃんでした。