8月から始まった心屋塾マスターコース123期。(東京コバマス)
いよいよ佳境です。
今ちょうど、そんな「転換期」に差し掛かっているメンバーも多いんじゃないだろうか。
もう抜けた人もいる?
まだの人もいるかもね。
自分らしく生きようとすればするほど、悩みは増える。
だから、一時的に悩みが増えても、それでいい。
それは必要なステップだから。
そのことに気づいた人も居たね。
そして、実は、それだけでは終わらない。
「自分らしく生きようとすればするほど、悩みは増える。」の
『自分らしく』と思っていたものが、
もしかしたら
「その『自分らしい』が、そもそも、お母さんから押し付けられた価値観なんじゃないか?」
ということに
そろそろ気づいた人もいるかもね。
どうかな?
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2つ前の記事にも書いたけど、
今まで自分がやってきたことに
何となく違和感を感じ始めてて、
自分のやりたいことのゴールは変わらない
(心屋の考え方を伝えて行くこと)
だけど、
やり方がなんか違うかもしれんなー、と。
そのやり方だと
あまりワクワクしなくなってきたなーと。
私がワクワクしないから、
その想いをやってることに乗せられなくて、
募集かけても
そこそこにしか人が集まらなくなってきて。
自分がワクワクしてないから、
それはそれでホッとしてる自分も居たりして。
やっていきたいことは
今も変わらない、
と自分では思っている。
心屋の考え方を伝えたい。
それが私のやりたいことだ。
でも、
手段が違って来てるのか。
前はアイデアもバンバン浮かんでたのに、
今は全く浮かばなくなってきてる。
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自分らしく生きられていない時、
自分らしく生きられていないと気づいて悩んで、
自分らしく生きようとして
でもできなくてしんどい思いをするんだけど、
そもそもその「自分らしく」自体が
自分ではなくて「親の価値観による押し付け」だったりする。(笑)
よーするに、親のファンタジーの中で惑わされてるだけってことが
よくある。
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ぐりちゃんブログより
親の価値観の押し付け
親のファンタジーの中で惑わされてるだけ
明るくて元気なきみちゃん、
しっかり者のきみちゃん、
何にでもそこそこ気が付いて、
先生からも常に褒められて、
「きみちゃんがいるから、
このクラスはいつも安泰です」
って先生が褒めてくれるのよー
と嬉しそうに母が私に話してくる。
15の時からやってきた新興宗教でも
頑張って頑張って
幹部を目指すまで頑張って、
その宗教の幹部からも信者からも
「〇〇さんちのきみちゃんって
本当にすごいよねーーー」
って褒められることが母の自慢で。
ひとつだけ反発して絶対にやらないって思ってた小学校の先生すら、
やってみたら面白くって、
結局、
母の自慢の娘になっちゃって。
(学校の先生になるのは、母の夢だった)
何でもそつなくこなせて、
初めてのことだって
そこそこやってしまえる
自慢の娘、きみちゃん。
今もまだ
私は
自慢の娘になること、
母の期待に応えること、
そこを目指そうとしているのか。
「心屋の考え方を伝えて行くこと」
これは間違いなく私のやっていきたいことだ。
だけど、
そこに
失敗なく
そつなく
スムーズに
初めてなのに、それっぽくやってのける、
きみちゃんってすごいよねーー
そう言われるように、
母が喜ぶように、
母が人さまに自慢出来るように、
自慢の娘として存在出来るように、
その思いが乗っかってるのだろうか。
(まだ自覚までいってない)
でも、
失敗なく
そつなく
スムーズに
初めてなのに、それっぽくやってのける、
この部分は今もめちゃくちゃある。
そうやって退けるのが私。
それが「私らしく」ということ。
最初から上手くやってみせよう。
だって、それが私だから。
何でもやってのける私だからこそ、
母の期待に応えられてる。
やりたいことよりも
そつなくこなすこと。
一見、やりたいことをやってるように見えるけど、
(心屋の考え方を伝えて行くこと、は本当にやりたいこと)
失敗しないようにそつなくやっていく、
最初からパッと人がそこそこ集まる、
それが
ちょっと前までは出来てた。
それは
お母さんの期待に応えるため、
お母さんに
「私、すごいでしょ!!!」
って言いたかったから、
お母さんに褒めてもらいたかったから。
失敗しないように、
そつなくこなし、
そこそこ人も集まること、
そこにばかり集中したら、
本当にやりたいことをやっていても
次も失敗しちゃいけない、
次もそつなくこなさないといけない、
次もそこそこ人を集めないといけない、
そうしないと、
お母さんの期待に応えられないから
そんな思いに捕らわれ、
本当にやりたいことが見えているのに、
そっちの邪念の方をどうにかすることの方に
力を注いで居るのかもしれない。
だから今、
私はしんどいのだろうか。