「私が怒らせたのかな」
これは
どうやら私に深く深く根付いた
思いグセらしい。
さっきNHKで
サンドイッチマンの「病院ラジオ」という番組がやってた。
初めて見たけど、
今回はたまたま
「依存症」の回だった。
しかも、
ほほアルコール依存症。
依存症については
らいくみさんのおかげで
だいぶ自分の中でも
「脳の病気なんだ」
という認識が出来たと思っていた。
だけど。
実際にテレビを見て、
出てくる本人の話や家族の話を聞いていたら、
あまりにも
状態やら言い分やらが
父にそっくりで。
もちろん、
この番組に出ている人たちは
治療のために専門病院に入院したりしている人たちなので、
うちの父よりも
依存症の自覚もあるし
何とかしよつと思っている人たちなので、
父よりもずっと
(私からしたら)
いい状態の人たちだ。
それでも、
その言い分や状態を聞いていたら、
あの時の父の状態や言い分と重なって、
何を勝手なことを言ってるんだ!!!
と腹立たしさが湧いてきた。
もう「脳の病気だ」と理解していると
自分でも思っていたのに。
今でも父が生き返ったり、
目の前にアルコール依存症の人が現れたりしたら、
自分が対処出来る自信は全くないけど。
それだけでなくて。
「たまたま」だけど、
目の前に期限の悪そう「にみえる」人が居たら、
自分でもびっくりするぐらい
ソワソワしてしまう自分に
今日はびっくりした。
この人が「機嫌が悪そうに見える」のは、
私が怒らせたからなのかな。
私、
何かやっちゃったのかな。
私のせいで
この人は機嫌が悪くなっちゃったのかな。
そんな思考に
自動に陥って
ソワソワ
ゾワゾワ
ドキドキしている自分がいた。
少しは心の学びをして、
「そう見えるだけ」
「本当に怒っているのか
確認すればいい」
ということが分かって来たので、
恐る恐る確認してみる。
そしたら、
別に怒っているわけではなかった。
その確認すら
ドキドキだ。
もし私が怒らせたのだったら
どうしよう、と。
怒らせたのなら
何が怖い?
やっぱり
見捨てられること…みたいだ。
必ずしも
父のアルコール依存症の記憶と全てが繋がっている訳ではないかもしれないけど、
それでも、
ずっと顔色を伺って生きてきたなぁと。
父の機嫌が悪くならないように。
怒られないように。
叩かれないように。
母が悲しまないように。
ビクビク生きてたな。
(家の中ではね)
まだまだ
そんな生きグセが残っているんだなぁ、
と感じた今日でした。
心屋大好き心屋オタク
エリージアム巣立ちコース修了
潜在数秘術®マスター
アロマボイジャーセラピスト、
「ある」を見るリハビリ中、
感情の垂れ流し中の
きみちゃんでした。