人に「ごめんなさい」と言う時に、
自分の罪悪感を許されたいがために言う 「ごめんなさい」は、
言われた方もとてもしんどくなる。
許さないことを許されない
気迫が伝わってくるから。
許したくない時もある。
許せない時もある。
今はまだムリって時もあるのだ。
だけど、
自分が許されることのみを目的にしている人の「詫び」は、
相手が「いいよ」「分かったよ」って言うまで、
言い続ける。
何故なら、
自分が許されることが目的だから。
自分が許されるために。
今までは、
相手が「ごめんなさい」って言って来たら、
許さないといけないと無意識に思って来てた。
まだ心の中がモヤモヤしてるのに、
せっかく謝ってくれてるのにって、
逆に相手に申し訳ない気持ちになってしまって、
「いいよ」って言ってきた。
まだ心の中には怒りがあるのに。
とても許せる状態じゃないのに。
「ごめんなさい」って言われても、
「いいよ」
って言わなくてもいい。
言えなくてもいい。
許さなくても、
許せなくてもいい。
相手に罪悪感抱いてしまって、
自分の気持ちのよりも相手の気持ちを大事にして、
自分を疎かにするのではなく、
これからは私は、
自分の気持ちの方を大事にして行く。
腹が立ってるのに、
無理に許さなくてもいい。
子どもだってそうだよね。
「ごーめーんねー」
「いーいーよー」
謝られたらちゃんと許しましょう。
謝られた子の悔しい気持ち、
腹が立ってる気持ちは置いてけぼりだよね。
これ、ほんまに悪習。
子どもの頃から刷り込みせんとって。
お掛けで、
イヤなことされたのに、
悪いことした方が謝ってきたら、
許さなきゃいけない空気が
めっちゃ流れるじゃないか。
謝られたからって許さなくてもいい。
許せなくてもいい。
許せない自分を責めなくてもいいし、
そんな自分に罪悪感持たなくてもいい。
だって、嫌だったんだもん。
腹が立ったんだもん。
悲しかったんだもん。
だから、
相手の都合で言ってくる「ごめんなさい」には答えられなくていい。
と私は思う。
そんな状態が1年ぐらい続いて人と、
ようやく区切りを付けられました。
「好き」「嫌い」以外に、
「いらん」というカテゴリーが私の中にあることに気付いた昨日。
何ヶ月も掛かりましたが、
その相手には
私の世界から消えてもらいました。
嫌いとか好きとかじゃない、
ほんま、もういらん、って感覚です。
私の残りの人生、
いらんもんに割く時間はないです。
さらば。
区切りを付けて、
私は私が一緒に居て心地いい人と繋がっていきます✨
バンザーーーーイ🎶(≧∇≦*)💓💞