今日の午前中は
市の女性相談の日。


昨夜の心の乱れが大きくて
翌朝になっても目覚め後から涙止まらず。



心臓もバクバクするし
電車に乗って2駅先まで出かけられるのかも不安。



なんとか無事にたどり着き、
大阪に帰ってきてから9年間
私の話を聞き続けてくれた
フェミニストカウンセラーさんと話す。



私の目が腫れて
元気がないことをすぐに見抜いてくださり、
そこから堰を切ったように話し出す私。


そして、
話し出した途端に
涙が溢れる。


うぐっうぐっと泣きながら
ここ最近の怒り、
悲しさ、
悔しさ、

分かってもらえなささ、
受け止めてもらえなささを話す。


前の私では考えられないけど
本当に感情がぐわーーーーっとなってきて、
涙が溢れてくるのだ。


そして、
その時の感情を話していく。
出していく。



9年間お世話になっているフェミニストカウンセラーさんは
ずっと私の顔を見つめながら、
相槌を打ちながら、
そして頷きながら、
私の話を聞いてくださっている。


私が感情が溢れてしまって
嗚咽とともに話していたら、
カウンセラーさんの目にも涙が溜まっている。



9年間の私の苦しみを
側でずっと見続けてくれて、
気にかけてくれて、

悔しい時はその気持ちを悔しいですねーって受け止めてくれて、
出来なかったことが出来るようになった時は
良かったですねーって一緒に喜んでくれて、

なかなか状態が良くならない時も
ずっとずーっと見守っていてくれた。



私は学生の頃から
臨床心理を含むいろんなカウンセリングをたくさん受けてきたけど、

正直言うと
傾聴カウンセリングは嫌いだった。


ただただ黙って聞いていて、
そうなんですねー
とか
辛かったですねー
なんて言葉を投げかけられても

ちっとも心に響かなかった。

寄り添ってもらえてる感も
全くなかった。



でも
この方の傾聴は
私のことを信頼してくれているというか。
どんな時も見守ってくれてて
手を離さない安心感というか。

それが伝わってくるのだ。



今日は泣きながら一時間喋っただけ。

でも、
そう、それは悲しかったですよね、とか
辛かったですよね、とか
相槌を打ちながら
時に共に涙を浮かべながら
あなたは悪くないですよ、
よく頑張ってこられましたよ、
てな言葉を掛けてくれる。



傾聴カウンセリング、
あまり好きじゃなかったし、
ちょっぴりバカにしてたけど、

泣きながら一時間喋り終わったら、
自然と涙も引っ込んでしまって、
あれほど重く苦しく乱れていた心が

とってもとっても軽くなっていたことに驚いた。


自然と笑えるようにもなっていた。



ひたすら泣いたこと、
ひたすら自分の気持ちを出したこと、
そして、
その気持ちを聞いてもらい、
受け止めてもらえたこと。

そのことで
胸に溜まっていた様々な感情が
随分と成仏出来た気がした。


喋るだけで、
聞いてもらえるだけで、
こんなにラクになるとは思わなかった。



それも
私の気持ちに寄り添い、
時には共に涙を浮かべてくれたカウンセラーのおかげだなぁと。



そして。
私はこうやって
ただただ話を聞いて欲しかったんだなぁと。
ただただ気持ちを聞いて欲しかったんだなぁと。



悪口でも文句でも
愚痴でも不満でも
陰口でも


言いまくりたかってんーーーーー!!!

キレイごとで収めたくなかってんーーーー!!



そんなキレイな私ちゃうねん。

 ホンマ、
いろんなところに不平不満だらけで、
いろんなところに怒ってて、

何を舐めたこと言うとんじゃい!!ボケが!!
って思ってて、

散々説明してきたのに、
初めて聞いた風なこと言うな!!
どんだけ時間掛けたと思ってんねん!!
ドアホが!!
って怒ってるし、

真実、正しさがどうかは知らんけど、
私はそう受け取って腹が立ったってこと話してるだけで。



改めて、
あー、正しさでもなく、
 答えを得たい訳でもなく、

ただただ
心の中に澱になってる感情を
出したかっただけ。
聞いて欲しかっただけ。


正さずなんとかしようとせず、
聞いて欲しかったんだなぁと。


聞いてもらい、言葉として出すだけで、
こんなに気持ちが軽くなるんだなーと。

分かってもらえた
否定せずに聞いてもらえた
ってことが
心に喜びとして染みていく感じ。


あー、
今回のいろいろについてももう少し書きたかったけど、
眠剤が効いてきて、
もうダメそうだアセアセ



とにかく
私はただただ聞いて欲しかったということでした。


一連の出来事の中で
まだ私の中にわだかまりもたくさんある。



それについても
また書けたらいいなとは思ってる爆笑


あかん、
瞼が閉じそうになってしまったあせ