一昨日書いたワンコのこと。
ゲスな私
クズな私を見つけ出し、
そんな自分なんだとしっかり認めたら、
その後からは
自然と
ワンコへの愛おしさや
元気になって欲しいって思いが
溢れてきて。
普段ほとんどすることがないのに
自然と
その子のことをなでなでしたり、
いっぱいいっぱい
話しかけたりしてた。
そう、
そうしようとしてやるんじゃなく、
自然と思いが溢れてきて、
行動してしまう感じ。
ゲスでカスな私を
私がちゃんと認めてあげたら、
本当の私の優しさみたいなのが
自然と出てきた。
(いつもやってる偽物の優しさじゃないのは、自分の感覚として分かった。)
そして昨日、
手術のために病院にワンコを連れて行ったのだけど。
その時に起きた心の動きも書き記しておきたい。
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手術をするワンコ1号とは別に
もう一匹ワンコ2号がいるんだけど。
ワンコ2号が
自分だけ連れて行ってもらえないこと、
ワンコ1号が居なくなることを
とてもとても
淋しそうに
ボクも連れて行って
って言うような目で縋り、
(私の主観です)
私たちが玄関を出た時から
とても切ない声で鳴くのです。
それが
私たちが居なくなってからも
30分ほどずーーーっと。
その姿、
その声を聞くと、
私の胸が
きゅーーーーーーっと締め付けられる。
それは
ワンコのことを思ってじゃない。
その姿に
幼い私の姿を重ねて見てしまうのだ。
私を置いていかないで。
私を1人にしないで。
淋しいよー。
悲しいよー。
病院に着いたら
今度は手術する子を病院に預ける。
最初は何も分からずに先生の腕に抱かれているけど、
ケージに入れられてしばらくした時のワンコの表情、姿を見て、
またまた心が
ぎゅーーーーーーーっと苦しくなる。
ワンコは
今まで見たこともないような淋しそうな表情で
今まで見たこともないような
警戒してるような、
威嚇してるような体勢で、
ケージの中で動かないのだ。
(これまた、私の主観です)
ここでもまた
ワンコ自体が可哀想ということではなく
そこに私自身を重ねて見ている。
お母さん、
なんで私を一人で置いていくの?!
お母さん、
どこに行くの?
一人にしないで。
怖いよー
怖いよー
怖いよー
淋しいよー
淋しいよー
淋しいよー
不安だよー
不安だよー
不安だよー…
思わず
動物病院出たら涙が溢れてきた。
ごめんね、ごめんね、
置いていってごめんね
一人にして
ごめんね
怖い思いさせて
ごめんね
不安な気持ちにさせて
ごめんね…
…そっか、
書いてて気付いたけど、
これを
ワンコじゃなくて
私に言ってあげたらいいのか…
私が私に言うてあげたらいいのか…

ごめんね、ごめんね、
きみちやん、ごめんね。
一人にして
ごめんね。
怖い思いさせて
ごめんね。
不安な気持ちにさせて
ごめんね。
怖かったねー
不安だったねー
淋しかったねー
悲しかったねー…
こうやって
目の前の「問題」と思えることを通して
私の本当に欲しかった言葉、
私の気持ち、
私の握りしめてるものを教えてくれる。
目の前の問題はダミー。
意味がわからなかった時は
とても意地悪な言葉にさえ感じたけど
(私はこんなに苦しいのに!!悩んでるのに!!って)
ホントは
とってもとっても
愛のある言葉なんだなー
と今は思える。
問題が起きてくれるおかげで
本当の自分の思いに辿り着かせてもらえるのだから。
…ま、
問題が起きてるんじゃなくて、
自分が問題としてクローズアップしてるだけなんやけどね

苦しいのも苦しいけどね
