次男が帰ってきた。


久しぶりの次男。
見た目だけではなく
こころも大きく成長しているのが伝わってくる。



別居中のオットと暮らしている
長男と次男。




三男とのふとした会話のやり取りの中で
次男が三男に

「その不安も含めて
相手にちゃんと話してみたらいい」

「どう話したらいいのか
分からないままに
そのまま話してみたらいい」

「話さないと
相手には何も伝わらない」

というようなことを言っていた。



すごいなぁと思った。

私が出来ないこと…
自分の気持ちが分からない、
分からないから伝えられない、
伝えられないから伝わらない、
伝えてないのに
「分かってくれない」
「どうせ分かってもらえない」…

そんな「拗ね」のループに入る私。


でも
次男の言う通りだ。

分からないまま
不安なまま
なんて言っていいのか分からないまま

それをそのまま伝えればいいのだ。



次男三男のやり取りの場合は
三男が父親に自分がどうしたいのかが分からない
と伝えること。


「分からないままにでも伝えたら
あとは
お父さんがどう受け取るかは分からん。
でも
伝えないと何も始まらない」
みたいなことも次男は三男に言っていた。


そんなふうに言える次男は
本当にすごいと思う。


そして
三男もなんと言っていいか分からないままに
父親に電話する。


そして、
最初は
「なんて言ったらいいんやっけ?」
とたどたどしく喋っていたけど、

分からないままに話していくうちに
「あ!!
オレ、どうしたいのか分かった!!
オレ、行きたいわ!!
オレ、行くわ!!」

と自分の気持ちにたどり着き、
自分の気持ちに沿った結論を出すことが出来た。



こんなふうに
分からないままにちゃんと自分の思いを伝えようとし、

ちゃんと自分の気持ちに辿り着け、

そして
自分がどうしたいのか、
決めることが出来た三男も
本当にすごいと思う。



そして…
次男がそんなふうにかんがえ、
そんなふうに言えるようになったのは、
夫の元で暮らしているからだと思うのだ。



夫も夫実家も
私や私の実家とは真反対の価値観、行動をする人たちだった。


最初は
何なん?!この人たち!!!!

と驚いたし、
あまりにも私の常識とは掛け離れていて、
腹立たしかった。



簡単に言うと、
うちの実家はすごく束縛系、
夫実家はめちゃくちゃ放任系。

出掛ける時も
黙って家を出ていく。
いつ帰るのかも言わない。聞かない。
ご飯食べるのかも言わない、聞かない。

うちは
事細かく言われる、聞かれる、話さないとダメ。

なので、
最初は何も言わずにふらっと出ていかれることに、
無視をされているのか、
大事に思われていないのか、
とことある事に悲しい気持ちになって、怒っていた。

でも、
その夫実家の放任さが、後々、私の価値観を大きく変える力となった。



そんな夫と暮らしているから
次男も大きく変わっていってるのだろう。


私が50年間生きてきても出来なくて、
心屋を知ってようやく知ったようなことを
当たり前のように身に付けていってるのだろう。



夫のことを
自分の常識で測りきれなくて
あまりにも自分の常識とは掛け離れていて

それを同居中は、
自分を批判されているように思い、
モラハラ受けてると思い、

ひどい奴だ!!
加害者だ!!
とやってきた。



長男、次男と
次々と夫の元に子どもたちが行ってしまった時も
ただただ
悲しくて淋しくて

私よりも夫を選んだのだと
辛かった。
(それは今でも完全には消えてない)



でも
こんなふうに育っていっている子どもたちを見て

やっぱり
夫の元で育ったから
こんなふうに育ったのだなぁ
と思う。

私のガチガチの価値観の元で育つのではなく
夫の元で
伸び伸びと育って良かったのだと思う。
(夫はきっと、子育てしてる感覚はないと思う。
ただただ一緒に暮らしてるだけ。)



悔しくも
淋しくもあるけど。



やっぱり
夫は「ネ 申」なのだ。



子どもたちがそんなふうに育ってるのを見て、
嬉しくもあるけど、
拗ねてしまうのもある。

私には出来なかった!!
一生懸命子育てしたのに出来なかった!!

なのに、
何もしない夫は
何もしないままに
子どもを成長させている!!と。



そして、
夫は「ネ 申」だとは思うけど、
それでも
まだ怒りもあるし、
悔しくもある。



そんな
拗ねも
いじけも
悔しさも
腹立たしさも
悲しさも
淋しさも
自分の不甲斐なさも

いっぱいいっぱい出てくる。



ぐるぐるぐるぐる
苦しいほどに
いろんな感情が溢れてくる。


涙も溢れて、止まらない。



でも、
そんな感情もぜーんぶ
味わって感じていこう。


これが
現時点での「私」だから。