8月29日(火)、
らいくみさんのオープンカウンセリングに行ってきたー

…多分、5回目のらいくみさんオープン参加。
毎回参加の度に、
思いも寄らない視点に衝撃を受けたり
流れ弾に当たったり。
今回もかなりの衝撃を受けて
なかなか頭の中がまとまらず…

で。
いろいろ刺激は受けたけど、
今回気付けて愕然としたこと。
私、
ちゃんと記憶にもあって
ちゃんと見えてたのに
無視してた気持ちがあったーーーー!!!

私の原家族は、
父がアルコール依存症、
母が共依存。
そこそこ過酷な環境で生きてきた。
と言っても、
客観的に自分の家の状況を聞いたら、
ひどい家やなぁと思うけど、
自分の中ではそれが「標準」だったので、
実際には
そこまで酷い状況だとも思ってなくて。
←この辺り、既に感覚がおかしい

家庭環境も生きてきた過程の話も
普通に話せるし。
でも、
自分と向き合う時には
その辺りのことを思い出していた。
普通ではないと思っていたので。
だけど、
今回のオープンで気付いたのは
そこだけ見ててもあかんのちゃうか、ということ。
もっともっと昔に
「怖い」はあったんじゃないか、ということ。
父は
昔からアルコールは飲んでたけど、
また依存症というほとではなかった頃のこと。
まだ幼稚園にも上がる
ずっと前のこと。
日曜日、
仕事が休みで家で寝ころんでる父。
狭い家だったので
トイレに行くにも父の足元を通らなくちゃいけなくて。
でも、チビだったこともあって
父の足に引っ掛かったりすると
むっちゃ怒られて叩かれて。
(蹴られてた?)
枕元を通っても怒られ、
またいでも怒られ。
(多分、ピシッと叩かれてたと思う。)
なので、
怖くて怖くて。
心の奥底から
ぞわぞわぞわーっとする恐怖心が湧いてきて。
父の動き一つひとつに
ビクッとしてた。
また叩かれるんちゃうか、って。
足が引っ掛かっただけやったのになぁ…

他にも
箸の持ち方が悪いと言っては怒られ、叩かれ、
うっかり食卓に肘をついてしまっては怒られ、叩かれ。
何でやったか忘れたけど、
家の外に締め出され。
押し入れの中に閉じ込められ。
すぐに手を頭上に挙げて叩かれてたから、
父が手を挙げるだけで
ビクッとしてた。
これらのことは
忘れてもいないし、
明確に記憶にもある。
でも、
大したことじゃないと思ってた。
アルコール依存症になってからの荒れよう、
そちらこそ、派手で大きな出来事だから
私が見ていかなきゃならないことだ、
ちょっとしたミスや間違いで怒られたり叩かれたりしたような
地味で小さなこと、
それはそんなに振り返るに値しないことだ…
みんな、誰でも経験してるんだろう…
…とそんな風に思ってた…みたい…
でも、
怖さ、恐ろしさで言うと、
ほんとに小さかったあの時に感じていた
ぞわぞわ感、
ビクッと震え上がる感は
アルコール依存症で荒れ狂う父の前に立ちはだかったあの時よりも
ずっとずっと大きかった。
父が荒れ狂っていた時代は、
私はもう心が麻痺していたのか、
それとも、
母を守らなきゃの思いの方が強かったのか、
小さい頃に感じてた
心の奥底から湧いてくるような
ぞわぞわとした恐怖心はなかった…気がするのだ。
本当に心がぞわぞわして
怖かったのは、
もっともっと小さい時に経験した
地味で小さな出来事の方だった。
見えてたのに、
記憶にもちゃんと残ってたのに、
大したことじゃないと思って
知らん顔してた…
その時の小さかった私の怖さ、
置き去りにしてた…
ごめんね、私…
怖かったよね、私…
そんな
大したことない、と思ってきた私の怖さ、
ちゃんと分かってあげる。
ちゃんと味わってあげる。
こうやって出来事は覚えてるけど、
この時の私は
父のことが好きだったのかな…
ただ怖い存在だったのかな…
それは思い出せない。
小学生の時は好きだったんだけどな。
そうやって
いっぱい付いてきた傷を見てなかった。
まだまだ気付いてない傷がいっぱいあるよ
ってことに気付かせてもらった。
その傷に気付き、
ちゃんと自分で分かってあげないと
次に進んでいけない。
ちゃんと見ていこう。
そして、
「自己受容」。
新たなキーワード。
自己肯定の前の段階の自己受容。
まずはそこから。
↑あー、言霊おみくじもどんぴしゃ

なかなか衝撃的過ぎて
メモもまともに取れなかったので、
曖昧にしか書けないけど…
言葉を変え、
方向性も変え、
タイミングも変えてようやくキャッチ出来る感覚もあるのだなぁ、
としみじみ…
←多分、今までも言われてきてたんだろうけど、
思い至らなかった

うーん、
なかなか言葉に書き表せないんだけど、
衝撃がいっぱいでした。
依存症家族、
ダメンズメーカー、
自己受容等々…
こちらの方面からも受け取るものが満載やな…
