オレゴンから健康レシピ-クックブック

美しい写真は人を引きつける。クッキングブックもその例に漏れず。見事な料理が見事に撮られた写真に引きつけられて思わず買ってしまう癖がある。いろんな材料の素材と味が、姿を変え、味を変えて絶妙にハーモニーされた料理が色美しくお皿に盛られると芸術品と化する。欧米にはカリナリーアート(culinary art) 料理芸術という言葉があるけれど冴えた料理人はアーテイストである。

 
オレゴンから健康レシピ-クックブック 美味しそうな料理を見ながら一気にレセピーを読む。手元に材料があれば、その写真につられて、その日の夕食となる。材料がなかれば、そのまま閉じられて本棚にもどる。多すぎるクッキングブックの中から再び選ばれるのは何時の日かわからない。私の本の運命である。

 
クッキングブックはシーズン毎にちょっと目新しいものを求めて買ってしまう洋服のようなものだ。毎年洋服ダンスに増え続け、一、二年は手を通すことはあっても、そのあとはすっかり忘れられてしまう。ある時、こんなものもあったと宝物を見つけたように嬉しくなるけれど、大方は手を通してみるが、やはりその年の流行にそぐわなく、落ち着かない。自分の体型が変わっていることを棚上げして、ダメの判を押し、また洋服ダンスに戻す。そのうち洋服ダンスはパンパンになって、探すことすらしない。そんな中にも、着心地がよくて、何年となく着続け、くたびれているのだが

捨てきれないものもある。


オレゴンから健康レシピ-クックブック
私のクッキングブックも似たような境遇にある。一冊の本からどれだけのレセピーが選ばれるかを考えると、2、3冊をフル活用する方が効率的であるけれど、浮気性が災いしてか、本屋に立ち寄ると、足は自然と料理セクションに向いている、その日の気分で選ばれたものとか、あまりにも美しい写真の巧みな招きに引き付けられて、手に取ったのが縁で我が家のキッチンの本棚に並ぶことになったりする。


私にとってクッキングブックは読む本でもある。何冊かの本はキッチンに置くより旅行ガイドブックと並ぶ方がふさわしい。しかもその大きさと重さは私のクッッキングブックの概念からは大きく外れている。異国の料理、その土地の人々の日常の食べ物となったものには歴史がある。その国、その地域の地理的、気候的条件で作られた食材や香辛料がその土地の風土に上手く溶け込み料理されて、彼らの生命の源となる。気楽に旅が出来なくなった現在、料理の背景を綴ったクッキングブックは小さな旅の喜びも添えて楽しみの一つとなっている。 人々の暮らし と料理の歴史 がエキゾチックに伝わる本には心のときめきがある。

オレゴンから健康レシピ-クックブック

Food of ……シリーズはそれぞれの国の料理に誠実である。"Food of Thailand" はタイで習った料理や屋台料理がかなり誠実に伝わっていて懐かしさでいっぱいになる。ヒーヒー辛いカレースープにチキンがどんと入ったチェンマイヌードルを探しまわって食べたのも懐かしい。そのチェンマイヌードルがこの本にあった。何冊か興味のある国のものが加わって、私の好みのシリーズとなっている。その国に伝わった伝統食をアレンジし過ぎず、旅の途中で味わっているような錯覚を起こさせる。その国の本物の味に近くしたい時はこのシリーズからレセピーを選ぶ。


オレゴンから健康レシピ-クックブック The Essential
シリーズは一冊の本がベジタリアンであったり、アジアの国の料理であったり、地中海の国々の料理であったりだが、必ずしも伝統的とは言えない。カラフルで、作った料理の味にがっかりすることがないので、よく使う。特にベジタリアンは世界中の野菜料理が網羅されて野菜好きの者にはこれほど楽しい本はない。

世界中の料理をアペタイザー、パスタ、スープ、サラダ、デザートなど料理別にまとめられて一冊の本になったものや食材別にまとめられたものは急いでいる時にはとっても便利である。何もかも収録された一冊の本からは得られないレパートリーの豊富さが有り合わせ材料に引け目を負わせなくて有り難い。

オレゴンから健康レシピ-クックブック
“トラトリア”というイタリアのビストロの本はイタリア料理に凝っている時に一番の手助けとなったもの。本屋で何冊ものイタリア料理の本を見比べ選んだものだけあって、私との相性が良い。日本的サイズで使い易く、出来上がった味にも満足。今晩の夕食はイタリア料理と決めれば、先ずはこの本にお呼びが掛かる。

 
オレゴンから健康レシピ-クックブック 15年以上の付き合いがあるものがある。モーリー、カッツェンという人の “ムースウッドクックブック”。ニューヨークのイサカという所で彼女が起こしたレストランのレセピー集で、ベストセラーとなった。これは彼女自身のイラストが入ってとても親しみがあって優しい。野菜中心でチーズはよく使われているが、何を作っても美味しいので愛用している。彼女のシリーズを何冊か買ったけれど、やはり最初のものとの付き合いが深い。使い古されて表紙も中身もはずれてページを揃えるのが面倒になる。こんな本は古くなればなるほど愛着が湧く。彼女は大学卒業前から料理畑に入り、本を出版、現在ハーバード大学で、栄養学を教えている。

 
オレゴンから健康レシピ-クックブック つい最近キッチンの本棚に仲間入りしたのは、私が今一番興味を持っているジューイッシのクッキングブックである。アマゾンで注文した二冊の本は中身を見ることが出来なかったので、届いた本にびっくりした。厚さが4.5センチもある分厚いもので、カラフルな写真はどこにも見あたらない。世界中に散らばったユダヤ人が世界中の料理を引っさげてアメリカにやって来たような本。料理を作りながら一つ一つの料理の歴史的背景が学べてとっても面白い本である。

 

私のクッキングブックの使い方として、新しい料理、例えばイタリア料理のラザニアとかデザートのテラミスに挑戦する時は、必ず2、3違うレセピーを混ぜ合わせる。自分流に作り上げるのが料理をする楽しみになっている。どこまで、チーズやバターを減らし、砂糖を控え、かつ美味しい物に仕上げるかに挑戦するのも、料理を作る醍醐味である。

 
オレゴンから健康レシピ-クックブック 日本へ行った時には必ず本屋に立ち寄り、文庫本と料理本を買い込んで帰ってくる。調味料の買い込みに加えて、何よりのお土産は本。一時は豆腐に凝った。
最近は中華料理とか韓国料理の本。私は日本の中華料理が最高と思っている。やはり写真の美しいものが選ばれるが韓国料理の本は特に美しい。シフォンケーキの本は素材を吟味しての嬉しい本で、簡単に作れるシフォンケーキを堪能できる。ケーキサレの本も食事の用意の合間に作れるくらい簡単。ちょっとした時の手土産作りに重宝しているものである。

 

 

 

 

 

 

 

 


オレゴンから健康レシピ-ジュース断食

腹八分目で医者要らずと言われるように腹八分目の習慣がつくと体も軽く気分もいいものだが、腹八分目で止めるめるのはやはり難しい。

 
オレゴンから健康レシピ-ジュース断食 私の日常食生活は半分は日本食。それも子供の頃には食べたくなかった物が多い。ひじきの煮物、ちりめんじゃこの佃煮や友人の福原さんに教えて頂いた昆布の佃煮、納豆は常備食。サバの塩焼き、お味噌汁、カボチャの煮物、蓮根とごぼうと人参のきんぴら,ほうれん草のお浸し、大根と里芋と人参の煮物、椎茸はふんだんに使う。鉄分不足なので、洋野菜のケールやビーツの葉っぱのきんぴらとお浸しの間の子も私の日本食。
 日本にいた時の粗食はアメリカにいては健康食と変わる。日本食は凝らないことにしている。簡単に昔の味をしのびながらがいい。

 
オレゴンから健康レシピ-ジュース断食 有り難いことに日本人が作る有機のお豆腐屋さん
太田豆腐“がすぐ近くにあって、何時でも出来立ての豆腐や揚げが手に入る。大豆の香りと甘さが何とも言えず美味しい。出来立ての揚げを買って来て焼いて、生姜たっぷりの醤油で食べると野生の味わいとなる。 遠い昔の本物の味がとっても嬉しくなる時。豆腐も思えば子供の頃の好物ではない。豆腐こそ生で食べたいものだが、何年か前に買った江戸料理 ”豆腐百珍”で昔の人の知恵を借りて遊ぶのもまた別の味わいがある。40年以上続いた玄米食と素朴な日本食で体も心も洗われる。

 
オレゴンから健康レシピ-ジュース断食 目新しい物に挑戦して食べるのが好きだから、手がけた料理が気に入る迄は手を変え品を変えて何度も食卓に登場している。腹八分目はすっかり忘れついつい食べ過ぎるのである。食べ過ぎて満腹感を喜んだのは
 動きが活発で、消化力が強かった10代の頃。 50年後の今はやはり気分が悪い。

 

朝のランニングは健康のバロメーター。健康な時は体が軽く走るのが楽しく、気持ちがいい。体が重い時は、寝不足だったり、疲れていたり、鉄分不足であったりする。体の調子が狂ってくると精神的にもすっきりしなくなって悪循環。やはり腹八分目は励行すべきだ。

 

オレゴンから健康レシピ-ジュース断食

5.6年前から始めたのが、ジュースファーステイング(断食)。体重云々ではなく、体のクレンジングが目的で年に3回ほどすることにしている。
年末年始の食べ過ぎで冬場のジュース断食は適時ではないが体をすっきりさせて、爽やかに新年を迎えたかったので始めた。

オレゴンから健康レシピ-ジュース断食 ジュースだけで過ごすのは3日間だが、前後4日間は生野菜と果物の食事。つまりサラダ。合計7日間は生野菜と果物で体を洗浄することになる。ジュースだけの3日間は、慣れてくるとさほど苦痛ではないしお腹がすいた感じはあまりない。それ以前の生野菜と果物の2日間は何か他の物に手をつけそうになる。。この2日間で体をジュース断食に準備させている。ジュースはお腹がすけばいくら飲んでもいいが、私は朝昼晩と大きく3回に分けて飲む。ジュースは野菜と果物を混ぜてはいけない。リンゴだけは混ぜても良いそうだ。このリンゴでジュースはとっても美味しくなる。

 
オレゴンから健康レシピ-ジュース断食 私の方法は、青物野菜のジュース(セロリ、キャベツ、キュウリ、ホウレンソウ、パセリ、りんご)とオレンジ野菜ジュース(人参、ゴールドビーツ、リンゴ)に分ける。何もかも一緒にしても良いけれど、やはりきれいな色のジュースを飲む方が気分がいい。一回に大きなグラスに各種一杯づつ飲むことになる。3日間にはかなりの野菜が必要だ。すべてに有機野菜を求めるのは難しいので、有機でない物は丁寧に野菜用洗剤で洗いその洗剤も残らないように洗うことが大切。折角のクレンジングの効果を無くさないように。アメリカはいろんな有機野菜や果物が簡単に手に入るのでその点とても恵まれている。

 
オレゴンから健康レシピ-ジュース断食 最初にジュース断食をした時は非常に感動した。眠っていた五感が一挙に目を醒ましたように体中の感覚が鋭くなったこと。ランニングが出来ないので、ゆっくり山道を歩いていると今迄気付かなかったあらゆる草木の香りがむんむん。空気が新鮮で日の光が肌にしみ入る。春だったので、家の周りのハーブやジンチョウゲの香りが遠くからでも漂って来る。目がすっきりよく見える気がした。小鳥のさえずりが耳に優しい。五感が研ぎ澄まされて、顔も煩悩が抜けたようにすっきり。長くは続かないが一週間くらいは体も心も快適だった。

 

良いことも一つ間違えば悪いことになる。新鮮な野菜と果物。出来れば有機の物をきれいに洗うこと。無理をしないこと。自分の体の調子を見ながら、1日ジュース断食から始めるのも良い方法。 健康に異常のある人は医師と相談しながらすることをお勧めする。3日以上のジュース断食も医師の指導が必要。

 

最近は前後4日間のサラダダイエットは飛ばして、前日の軽い食事の後3日間のジュース断食に入っている。残念ながら手抜きをすると初めのような感動はない。仕事のある時を見合わせないといけないので、5日間、7日間は余程計画をしないと空けられない。たとえ3日間でも余計なことを考えず、食事の支度もせずにいると時間をたっぷり貰ったような贅沢な気持ちになる。忙しい現代人にはこんな時間が必要かもしれない。3、4ヶ月に一回位ちょっと贅沢をするのは丁度いい。

 

 

 


オレゴンから健康レシピ-年末年始

年末年始はパーテイに呼ばれることで忙しく過ぎた。ほとんどの場合、11月の我が家のパーテイのメンバーからである。我が家のパーテイの常連は気がついてみると国際色豊かだ。まさに現在のアメリカそのもの。アメリカのスタンダードと言える。

 

アメリカは人種のるつぼ。現代は、ヨーロッパの移民で出来た最初ののアメリカとはかなり違う。労働力のために入って来たアフリカ人や中国人は随分と昔の話。過去50年の間に急激にいろんな国が革命を起こし、ベトナム戦争があったりで、世界中のほとんどの国々からの移民で成り立っている。アメリカはミニワールドだ。そんなアメリカは崩れそうで崩れないエネルギーを秘めて面白い国である。


レバノン人で建築家のご主人にアメリカ人の奥さん。この夫婦はイタリアで出会った。その頃の二人は出会うと当然というくらいの美男美女であった。30年後の現在では、人の良さが体重を増やしたのか昔の面影を探す方が難しい。机の上の若かりし頃の写真が ”ウソー”と警告を発している。

 

ご主人のフルークは大の料理好き。我が家に来ると先ず、台所に直行。何も言わずに私の手伝いを始める。彼のレバノン料理は抜群。シシカバブを除いてすべて美味しいベジタリアン料理で私の好み。料理は地中海、他の中近東料理と同じような物が多い。イタリア料理のようにいっぱいチーズを使わず健康的で美味しい。

 

ババガニュ-シ(焼きなす、ごまぺースト、オリーブオイル、スパイス、レモンたっぷりのデップ)を始め、タボリ(パセリ、生ハーブ、キュウリ、トマトがいっぱいのサラダ)ドマテス(ご飯をハーブやタマネギ、ハーブ、レモンで混ぜた物をブドーの葉で巻いたもの)、ファラフェル(ひよこ豆、タマネギ、スパイス、ハーブを混ぜて団子にして揚げたもの)などなど。これらをピタブレッド(ポケットになったパン)に入れて食べたり、メザというスペインのタパスのように少しずつの料理が並んでメイン料理の前にアペタイザーとして出る。美味しさのあまり欲張って食べても胃にもたれない。奥さんのタミーはイタリア料理が得意だが、私はいつもレバノン料理をリクエストしてしまう。

 

鍼灸クリニックを大掛かりに経営する40代のイラン人夫婦。ご主人のシーマックは経営者、治療師。 Phd.の学位を持ちながら、学生時代はロサンジェルスのナイトクラブで歌っていた美声の持ち主。奥さんのマリアムは病院の栄養士で料理教師。この夫婦は典型的なイラン人で、ペルシャ絨毯の上に座るとビシッと決まる。イランの画像から抜け出たように目鼻立ちがはっきりして、髪の毛が真っ黒な美男美女。奥さんの顔はいくら見ていても見飽きない。イランはスペイン人、インド人の美人の発祥かもしれない。“月の砂漠を。。。。”とチョと違うかもしれないが口ずさみそうになる。この夫婦は毎年夏に我が同居人が設計したクリニックの大きなパテオで顧客を招いてコンサートパーテイをする。その時はマリアムによるペルシャ料理のオンパレード。ニューヨーク出身の彼女のニューヨークチーズケーキは絶品。

 

ドイツ人の主人とアメリカ人の奥さん夫婦。ジョセフとアンは共々最高学位の持ち主ながら、堅苦しい雰囲気は微塵もない。この夫婦のパーテイはいつも、典型的アメリカンで、分厚いステーキがジュージュー音を立て、美味しい匂いで満ちあふれるのバーベキューパーテイ。バーベキューのコーンは私の好物。甘みの多いホワイトコーンはジューシーで甘い。子供に戻ったようで何か嬉しくなる。かれらの料理の腕の計り様はない。

 

ドイツ人の奥さんとアメリカ人の主人夫婦。ご主人マットが我が同居人と建築の学校で同級だったので、私たちはこの夫婦の4人の子供達の成長を見て来た。長女が大学の2回生になって、背丈が伸び、可愛さから美しさに変わったのを見ると、時間の経過の恐ろしさが我が身に迫る。奥さんのアナリースが作るドイツ料理は私のドイツ料理概念を吹っ飛ばした。セロリの根で作ったまろやかで、体が癒されるようなスープを真似してみるのだが彼女のようには作れない。私たちの気まぐれの訪問時にもいつも美味しいドイツケーキが出る。そのつど、神戸の有名なドイツベーカリー フロインドリーブを思い出すのである。

 

オレゴンから健康レシピ-年末年始

オレゴンから健康レシピ-年末年始 韓国人の奥さんにアメリカ人の主人。この夫婦は親子程の年の差がある。81歳になったジャックはアニメーションでアカデミーアワードを取ったことのある人だ。老いを感じさせないすてきなおじいさんである。奥さんのヘイジャンは韓国人の美しさと韓国人独特の気前の良さを持った肝っ玉かあさん。頭のいい人なので韓国人なまりの英語で超スピードで話す。周りの人はふんふんと相づちを打っているのでわからないのは私だけかと思っていたら、ある時我が同居人が、彼女の言っていることがもひとつわからんと、言ったので胸を撫で下ろした。彼女の料理は自慢するだけあって美味しい。いつも新鮮な材料で色合いの良い韓国料理を作る。ある年には、半年間は十分食べられるキムチを惜しげなくくれた。彼女はいろんな種類のキムチを作ってキムチ用の冷蔵庫に入れている。インスタントキムチは覚えて作りたい。あっさりとサラダのようでとても美味しい。

 

近所に住むジュイッシアメリカンのエッドは30年以上のヨガの先生と家具師。離婚後、育てた一人娘が成人し、アラスカの大学へいっていたころ、彼女の誕生日に母親とダイビングをしていて、事故を起こした。10年も前のことだ。その後再婚して、とっても可愛い男の子がいる。またしも、離婚。そんなことで自分で料理をすることに慣れている。何事にも焦らず重なる不幸にじっと耐えながら苦しみを表さない人だ。彼は私の料理のフアンである。彼のジュイッシ料理はふんわり優しい。

 

もう一人のジュイッシアメリカンのフランクは大学教授である。彼の多芸多才には口あんぐり。写真家、アクター、ギターリスト、ギター製作人、詩人。いずれを取ってもプロなのである。世の中にはこんな人もいるのだと大きなため息が出る。彼も何時もニコニコして気持ちの優しい人だ。彼のパーテイは食べ物より室内コンサートを楽しみに出かけるのだがスロークッキングしたチキンやターキ-は口の中をぐるっと回って体で溶ける。彼のチキン料理もまたプロである。

 

最近のパーテイに来てくれたのはインド人の奥さんアンジェリと日本人とアメリカ人ハーフのエリック。エリックは大学で食物の人類学を教えている。奥さんのアンジェリは大きなくりくりした目が笑いかけて可愛い美人だ。彼女は世界的に有名なフランスのゴードンブルー料理学校のポートランド分校でベーキングを教えている。エリックもかつては同じ学校で教えていたそうだ。

 

メンバーの半数はアメリカ人同士のカップル。なかでも、長年の付き合いながら、最近まで料理の腕を知らなかった人がいた。

 

ロンは長身でハンサム、酔うととっても面白い眼科医。60歳を過ぎても50代にしか見えない。奥さんを7.8年前に乳ガンで亡くした。10歳と12歳の息子と娘を男手で育てた。2人の子供が大学に入る迄は彼女を作らず一途に子育てに専念した。やっと最近気だての良い、すんなりお洒落で大学で教鞭をとっているシャーラと出会った。ロンは食事とワインをこよなく楽しむ人だ。ポートランドの美味しいレストランを探したければ彼に聞けば良い。グーグルサーチより確実だ。

 

今年初の食事のお招きはロンとシャーラだった。郊外にあるシャーラの 人柄を映したような家で彼女とロンの合作デイナーパーテイ。びっくりしたのはロンの作った。チキンエンチラダ。本来はメキシカン料理なのだが、彼式にエンチラダキャセロールにしていた。とろけるチーズがたっぷり。彼の繊細さが料理に出て文句無しに美味しかった。彼の子供達はこんな料理で育てられたのだと思わずロンに乾杯と上等のワインを喉に流した。美味しい物を食べた時は気分がいい。

 

我がパーテイで欠かせないのが、20年近くの友人ラルフである。彼はワインツアー会社を持ち、昨年はポートランドのワインマンの名誉を受けた。私たちはいつも彼の下げて来てくれるワインを密かに待っている。彼が怒りを示すのはどんな時だろうと想像がつかない。さりげなく親切で、人当たりのいい人だ。それでも、10年位前に離婚した。前の奥さんとはかなり親しかったので、離婚後両方と付き合いをしていたが、結局ラルフとの方が長くなった。彼の今の彼女は60歳だが、真っ白な髪をおかっぱにして、アーテイストのセンスと雰囲気がいっぱい。いまだに若い頃をしのばせる可愛い顔の人だ。冗舌で話に飽きがない。スーザンは最近リューマチに悩まされ、今はグルテンフリーの物しか食べられない。彼女はいつも気楽に料理し、気楽に招いてくれて、気楽に楽しませる才能がある。

 

いろんな人からいろんななことを学ぶ。一人一人の個性が違うように、料理も、もてなし方も、雰囲気も違う。それが実に面白い。それぞれの顔が浮かび笑い声が聞こえるようだ。

 

ずっと以前のアメリカにはヨーロッパの伝統を受け継いだ家庭料理があった。それがアメリカ式に合理化され、60年前のアメリカはハンバーグとアメリカンピザの国になった。大都会を除き、いかにも味気ない食生活だ。それが、60年代の劇的社会変革とヒッピー族による価値変革がアメリカの顔を変えた。60年代のヒッピー族はほとんどベビーブーマー達(日本のベビーブーマーと同じ)で、我がパーテイのメンバー達もほとんどブーマーである。

 

ところが最近の15年間で急激にいろんな国からの移民に伴い見る見るうちにグルメ国に変わりつつある。それも世界中の料理が食べられる国に。サンフランシスコに近いポートランドはグルメ都市に仲間入りしつつある。

 

 

 





ハナカ(
Hanukkah) は12月のユダヤ教の明かりで宮清めをする祭りである。今年は12月20日に始まり、27日に終わった。8日間続くこの祭りはメノーラ(menorah)という8本ローソクが立てられるキャンドルホルダーに一日一本づつ火を灯し8日目に全部のローソクに明かりがつく。それで、この祭りは明かりの祭りとも言われる。

 
オレゴンから健康レシピ-ハナカ 近年ジュイッシュの伝統行事がクリスマスと並んでかなり公になっている。ハナカ祭りはある意味で子供の祭り
である。どこの子供もプレゼントをもらい、ゲームを楽しみ、ハナカパーテイではポテトパンケーキが出る。面白いことに両親がキリスト教徒とユダヤ教徒である場合、子供達はクリスマスプレゼントとハナカプレゼントを貰えるので彼らの顔はほころびにほころぶ。


オレゴンから健康レシピ-ハナカ
ハナカデイナーに必ず出る Latkes(ラキー)はパンケーキのこと。一般にはポテトパンケーキだがポテト自体には意味はなさそうである。ただ、小さなお好み焼きのようなパンケーキを少しの油で揚げるので、古代にオイルで明かりを採ったことからオイルに意味があるそうだ。ハナカは“The Festival of Lights and Latkes” と言われる。

不思議なことに我が家の同居人がジュイッシュ、アメリカンにも拘らず本格的ジュイッシュ料理をしたことがなかった。ドーナツ形の歯ごたえのあるベーグルは誰もが知っているジュイッシュの朝食パン。ベーグル専門店やデリカテッセンはあるのに、ジュイッシュ人口の割りにはジュイッシュレストランが私の知る限りではポートランドにないのも不思議なことだ。彼らが家庭料理を楽しむ民族なのかもしれない。いい機会だからずジュイッシュ料理に挑戦すことにした。

オレゴンから健康レシピ-ハナカ

オレゴンから健康レシピ-ハナカ 気がついてみると、我が家にかなりあるクッキングブックの中にたった一冊しかジュイッシュ料理 の本がない。それも15年位前に同居人の両親が冬場過ごすアリゾナのスコットデールで同じようにニューヨークから来ていた同居人の両親の友達コニーさんが下さったものだ。当時は他の国の料理に目が向いていたのか、料理の趣向が違ったのか、その本は真新しい姿のまま本棚に座っていた。

 
オレゴンから健康レシピ-ハナカ 懐かしい思いを込めながら開いた各ページは私が作りたい健康食でいっぱい。何か感激の嬉しさがこみ上げて来た。長年探し続けた宝物を見つけたときのようにわくわくする。どうして今まで見なかったのかしら。ヨーシ やるぞ!とクリスマスの日はハナカ料理に決めた。しかし、クリスマスの日はほとんどのスーパーや店が閉まっているので、あり合わせの材料で出来るものを選んだ。実はあり合わせ料理は私の得意。残り物材料が堂々と食卓に上がって引けを取らない姿は頼もしい。


何が何でも、作らないといけないのが Potato Latkes (ポテトパンケーキ)。本来は油で揚げるのを、パンケーキ風に焼いてパッリとさせた。サワークリームがなかったので、ヨーグルトでまかなった。メインデイッシュは冷凍のAlaskan cod (たら)があったので、常備のチック豆の缶詰とでオリーブオイルたっぷりの美味しいオーブン焼き魚料理。レシピーにはないインドスパイスを加えて、さらに美味しくなった。アボカドとゆで卵のサラダ。これもタマネギを炒めて加えると、マヨネーズを使わずに美味しくなった。人参の甘みのクーゲルは軽いシフォンケーキのように出来上がったので、デザートにぴったり。


 近所に住むジュイッシュの友達を急遽招待することにした。彼も料理好きで何回かハナカデイナーをごちそうしてくれた人である。


結果、私の初のジュイッシュ料理 はパスしたようだ。彼や同居人はご満足。彼らの子供時代のハナカ祭りの話に大笑いしたり、期せずして、我が家もハナカパーテイができた。

12月27日には最後のローソクに火が灯って今年のハナカは終わった。これを切っ掛けにしばらくジュイッシュ料理が続きそうである。 料理自体非常に簡単で作り易い。

 

オレゴンから健康レシピ-ハナカ

ヨーロッパ、ロシア、アフリカ、インドと広く散らばったユダヤ人はそれぞれの場所でジュイッシュ料理を作り上げた。丁度日本人がいろんな国の料理を吸収して、日本人の口に合うものにし、長年のうちには日本料理と名乗ってしまうのと似ている。また、アメリカが人種のるつぼであるように、ジュイッシュ料理も料理のるつぼである。

 

オレゴンから健康レシピ-ハナカ

ジュイッシュ料理は大きくは二つに分かれる。一つはAshkenazic cooking (アシュカナザック)Sephardic cooking (セファデイック) 。アシュカナザックはロシア、フランス、ドイツと東ヨーロッパ系のユダヤ人が作り上げた料理 。セファデイックは北アフリカ、南ヨーロッパとトルコ、そして、中東、インドにいたユダヤ人がこれらの国の影響を受けて作り上げたもの。私にはセファデイック系の料理の方が手をつけ易い。私はあまりレセピーに忠実ではない人なので、いつの間にか自分流に変えてしまうことが多い。アシュカナザック
料理がいろんなスパイスを加えて、セファデイック料理に近くなった。。これこそジュイッシュ料理の精神かもしれないと勝手に決め込んでいる。

 
オレゴンから健康レシピ-ハナカ コニーさんから頂いた
”INTERNATIONAL JEWISH COOKBOOK” は両方のレセピーが網羅されているし、お祭りやホリデー別に幾つかの献立表が提案されてとても親切である。コニーさんが7.8年前に亡くなられたことを最近知った。小柄で明るく気さくでキュートなジュイッシュの雰囲気いっぱいのおばさんだった。もう一度会えればジュイッシュ料理談議ができたのにと、久しぶりに開いたこの本を見ながらちょっぴり感傷的になった。きっとこの本も別の好みの本と同じように、表紙も外れ、ページもバラバラになって貫禄を見せることだろう。

 

 

 







 

 



オレゴンから健康レシピ-サンタの話

クリスマスも後一週間足らず。どこもかもクリスマスムードでいっぱい。

Happy Holiday”ソングが、面白いことに、オリエンタルマーケットの中だけに流れている。ハッピ、ホリデー ….ハッピ、ホリデー ….。いつの間にかクリスマス気分で買い物をしてしまっている。他のスーパーでは音楽が流れることはないけれどそれぞれにクリスマスの雰囲気が盛り上がっている今日この頃である。


オレゴンから健康レシピ-サンタの話 昨日はお向かえから赤いポインセチアが届いて、今日はお隣からホームメイドキャンデイとカードが届いた。我が家もクリスマスの感じがちょっぴり。我が家の同居人は
Jewish American なので、クリスマスはしないし、私もクリスマスを祝うことはしない。我が家にはクリスマスのプレゼントの贈り物はないし、クリスマスツリーもない。それでも何かクリスマスムードがある。同居人は仕事上の社交辞令でクリスマスカードは送っているようだ。


大掛かりなライトアップも始まりかけたが、近所の長年の行事になっているピーコック通りのライトアップもそろそろ。各家の軒下にはパンプキンに代わってクリスマスデコレーションが現れた。今夜どこからか澄んだ聖歌隊の声が聞こえて来たので窓から見ると人は暗くて見えないけれどライトが列になって動いている。不思議に心が澄んだ。

 

この頃になると、新聞にサンタクロースのポケットからでたような人間愛に溢れる記事が紹介される。今年私の目を捉えたのは2、3日前の新聞のフロントページに出た”CHEMO FAIRY”(キモ フェアリー)Chemo therapy (抗ガン剤治療) fairytale (おとぎ話)だった。


オレゴンから健康レシピ-CHIRISTMAS
ある時、ある人が見知らぬある人に親切をした。その親切を受けた見知らぬ人は、後に別の見知らぬ人に同じような親切で恩返しした。この親切の輪が繋がり繋がってある時ある人の元に届いた。


オレゴンから健康レシピ-CHIRISTMAS 歯科衛生士として歯科医の夫のオフィスで働いていたキャシーは60歳の誕生日の直前に進行性の早い乳ガンと告知された。8セッションの抗ガン剤治療が彼女を待っている。死の恐怖と孤独感が日に日につのった。

 

そんな彼女に、第一回目の抗ガン剤治療日、受付に花束と匿名のカードが届いた。

 “この治療の旅はとっても辛いかもしれません。でも、あなたは強い 人です。これを通過する強さがあなたの中にあります。“


几帳面な筆跡の主の名前はない。キャシーは友達の誰かが送ってくれたのだろうと聞いて回ったが誰もいない。

 

8日目に生存するための凄まじい葛藤が始まった。化学薬品が彼女の体を襲撃し始めたのである。体中が焼け付くような症状に彼女は気を失った。

 

第二回目のセッションで抗ガン剤治療室に現れたキャシーは体中の力を消耗し尽くし、非常な恐怖と不安が体中を襲っていた。すると、また、カードが届いていたのである。

“ 回復への過酷な旅をはじめたあなたに、お祈りとポジテイブ思考を送ります。強くいてください。”キャシーは泣いた。

その次は、

“信念を持ち続けて下さい。あなたのことを思っています。こんな旅をしているのはあなただけではありません。あなたは一人ではないのですよ。”

 

キャシーの命を支えるすべてものはどこかに消え、考える事は死のみだった。しかし、 毎回の治療日にメッセージのカードが届いた。カードはいつも彼女は強いのだと言い続けてくれた。何時しか彼女自身そう信じるようになった。 彼女は何かの手がかりをつかもうとカードの筆跡を綿密に見つめ始めた。これらのカードは抗ガン剤治療中、彼女が恐怖と孤独感と戦っている時に、誰かが彼女の肩を優しく抱いて、“あなたは大丈夫、きっと最後まで行けますよ”と言ってくれているようだった。キャシーはこのカードの送り主は同じ経験をした人だと直感した。


オレゴンから健康レシピ-CHIRISTMAS
最後の治療日。

 “おめでとう! あなたはやり遂げましたよ!”この見知らぬカードの主にお礼の言いようがないことにキャシーは苛立った。


オレゴンから健康レシピ-サンタの話 マギーは2.3年前の40代の初めに乳ガンの告知を受け、キャシーと同じ死の恐怖と孤独感に苛まれた苦しい経験をした一人である。彼女も見知らぬ人からの励ましのカードを受け取った。このカードの励ましで、彼女は生存したと信じている。彼女のカードの送り主はご主人の仕事の関連での付き合いの人の奥さんだった。マギーが過酷な旅に出ようとしていることを知ったこの見知らぬ人も苦しい旅からの生還者だったのである。


キャシーが抗ガン治療を終えて間もない日にある事を計画した人達がいた。マギーの妹のご主人とキャシーのご主人とが二人を会わせることにしたのである。最後の抗ガン剤治療から回復しきれていないキャシーにご主人がほんの2.3分だからと連れ出したパーテイで、キャシーはクッキーのお皿の上にまたカードを見つけた。その筆跡は紛れもなくキャシーを励まし続けたものだった。居合わせたみんなが感動の涙を流した劇的瞬間が沸き上がった。



オレゴンから健康レシピ-サンタの話 キャシーはつい最近、南部からポートランドに引っ越して来て、友達も知人も少くなく、近くに家族もいない人が、乳ガンを告知されたことを友達から聞いた。キャシーはこの人のことは何も知らないが彼女に出来ることだけはわかってた。

 

オレゴンから健康レシピ-CHIRISTMAS

抗ガン剤治療中の人にとって、健康な人から取り残された恐怖と孤独の苦しみは本人にしかわからない苦悩である。私は娘が抗ガン剤治療中は何度代われるものなら代わってやりたいと思ったかもしれない。幸いにも我が娘はいつも前向きで、弱音をはいたことがなかった。


乳ガン告知でショックを隠しきれない私の娘に、彼女の親友のお母様からご自分の経験を通しての貴重なお言葉を頂いた。それは“いつもポジテイブでいること”であった。その上嬉しかったことは、とっても明るい友達達が毎日顔を見せて励まして下さったのである。ガン罹患者に取って大事なことはストレスを作らずポジテイブ思考で過ごすことが食生活に加えて大事なことである。それに、笑いと友達が大きな役割為す。これらはポジテイブ思考に繋がるからであろう。恐怖感と孤独感は最悪の敵なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 


オレゴンから健康レシピ-HRDC

人生の後半に私の行動範囲を大きく変えたのは50歳になって運転を始めたこと。日本にいる時はそれほど必要がなかったのとあまりにも費用が掛かるのとで運転免許を取ることは諦めていた。ところがアメリカ生活では車なしでは足がないのと同然なのでる。

 

初めの車のへこみは運転練習中にアクセルもブレーキも知らなかった頃の証拠として残ったものの、安全運転をモットーに20年近く。無事故表彰ものであった。ところが、思いがけずスピードチケットを生まれて始めてもらうはめになった。


オレゴンから健康レシピ-HRDC 時速制限35マイル(56キロ)の道を走って交差点を曲がったとたん、スクールゾーンとなって20(32キロ)マイルに変わっていたのに気付かなかったのである。それも、ポリススターションの前を、ポリスカーの前を通り過ごしたのだから引っ込み様がない。罰金251ドルを節約するために高危険度運転のコースを受けることになった。

 

約2ヶ月後の今年最後の12月10日が空席有りで即予約。土曜日の朝9時から5時半迄の長時間のクラスやテストを考えると気が重かったがこれも良い経験かもと何でも面白がる性分が顔をのぞかせた。

 

当日の朝である。最近の冷え込みで案じていたとおり車は霜で真白。このスクールは、交通事故ICUのある大きな病院の一角にある。病院への道はわかっても、その場所を探すのは容易ではない。2.3日前に場所を確認していたのは正解であった。8時半受付開始がもう人で溢れている。受付をやっと終わリ、プリテストの用紙を渡され、入ったオーデイトリアムの中はほぼ満席。200人は裕に入る。


オレゴンから健康レシピ-HRDC ハイリスクドライビングコースの名に恥じず若い人が多い。私が最高齢者ではないかとあたりを見渡した。男性の白髪頭がちらほら。50歳以上の人は30人はいただろうけれど、威張れることではないが私が一番。。。。らしい。

 

コ-ス内容は予想に反して、すごく充実していた。8時間半のうち30分の昼食時間、二回の10分休憩以外座りっ放し。吸い込まれるように時間が過ぎた。午前の3時間はここのエマニエル病院の30年の経験をもつ交通事故ICUの看護士が凄まじい交通事故患者の実態を映像とともに非常に巧みに身振り手振りでその恐ろしさを伝えた。劇場でパフォーマンスをみているようである。この仕事の経験は既に15年。

 

ついで、ポリスオフィサーが交通ルールのおさらいとそれに伴う事故の実態を伝えた。世界で自転車フレンドリ都市としてポートランドはアムステルダムに次いで2番目。交通規則に自転車ルールが加わった。私が免許を取った時にはなかったことだ。

 

交通事故死亡者数が癌死亡者数の2倍以上であるのには驚いた。毎日アメリカでは100人以上の人が交通事故死している。これはベトナム戦争の戦死者数より多いそうだ。そして、オレゴンでの事故はスピードが一番の原因。飲酒や麻薬、驚いたことに怒りやいらいらの感情がそれに次ぐ。

 

死線を越えて、奇跡的生還をした人達のスピーチは胸に刺さるように伝わる。事故当時のことは彼らには記憶がない。彼らのICUでの状態や、昏睡状態時や無惨な事故車の残骸の映像をリアルに伝えた後、本人の登場となるのだが、生きている人を見るのが不思議な感じがする。彼らの苦戦は既に、12年から20年は経っている。人の命の儚さと底知れぬ生命力の強さを同時に見ることになった。

 

私がショックを受けた一人はサラという女性。非常に美しく、将来を明るく約束されたような20歳の女性の写真が大写しになった。彼女はボーイフレンドと諍いをしながら運転していて事故を起こした。事故時の血みどろの写真、脳外科手術後、昏睡状態, 1年間の昏睡状態からさめた後でA.B.C.から習い始めた頃の映像には息をのんだ。全く赤ちゃんの成長を待つ状態だった。


映像を見ている時は彼女に会えることなど想像もしなかった。12年後のサラは、バックパックを背負って元気な姿で私たちの前に現れた。濃い眉毛はトレイドマークのように変わらないが彼女は別人のようにたくましい。スピーチは紙に書いたものを読んだ感じだったが、とどまることなく読み上げた彼女は映像のイメージからは信じられないことだった。

 

最後のスピーカーは、ひょいっと身も軽く舞台に上がった好青年。誰かのアシスタントで登場したと思った。ところが彼は有り余るエネルギーを振りまくように話し始めた。 

 

彼は14歳の時に後座席にいて事故にあった。ドライバーは17歳の幼友達。彼の妹は足をけがした程度。彼の兄は擦り傷もなし。シートベルトをしていなかった彼は一刻を争う重傷だった。脳外科手術と、内臓破裂で腎臓、小腸の一部を摘出、後、腎臓を移植。彼の場合も事故当日の医療費が1億ドル。保険でもまかなえない費用である。


彼も昏睡状態が1年以上。記憶喪失で事故以前のことは全く記憶にない。9ヶ月前に23回目の手術をした。それが最後の手術かとの質問に彼は死ぬ迄繰り返すと答えたが、その声に暗さのかげりはない。26歳になったが、18歳迄の命と言われ、そのあとは23歳と言われながら現在があると。車椅子で高校を卒業。


力強い張りのある声で私たちに警告を発する姿には彼の命がかかっている。伝えたいことがありすぎてとどまる所を知らない。繊細さが時折あふれる涙となる。感動とか感銘とかの言葉の居場所はない。死線を越えた一人の青年の人間として何が大事かの伝言、命の崇高さを通して止むことなく私たちに命を大切にと訴える姿から、目眩のするようなショックを受けた。


彼は、いつか授かるかもしれない自分の子供のために毎日の記録を書き続け、自分の映像を撮り続けている。そして、いろんな場所で車は危険な武器だと、事故を起こさないよう訴え続けているのである。ワシントンD.C へも行った。これが僕の今の仕事で、この仕事に喜びを感じていると言って、私たちに命を大切に生きよと言わんばかりの力強いオオラを残して去って行った。

 

この日は神経がづたづたになったように疲れた。こんな疲れ方は今までにしたことがない。神経がたって疲れているのに眠れなかった。人間の大きさは年齢とは関係なく、何を経験し、それをどんな風に受け止めて生きて行くかの違いのように思えた。貴重な体験をした一日だった。

 

 

 

 

 

 


オレゴンから健康レシピ-ランニングコース

私の日課となった朝のランニング。10年前、娘と3ヶ月のアジアへのバックパック旅行の前に、体力に自信がなくて始めたものである。今では15年前に始めたヨガとともに私の健康法になっている。

長年の夕方のランニングから、娘がインドの伝統医学アユルベーダーを勉強し始めた1年前から朝の行事となった。6時起床。夏場は7時には日差しが明るく1時間の走りは快適である。冬場は8時になっても眠そうな薄曇り。8時半頃からがちょうどいい。
オレゴンから健康レシピ-MT. TABOR

10年間のうちには毎日出会うランニング仲間の顔が年々変わってきた。最近は若い人からシニアーまで、運動が健康維持に欠かせないことが常識になってか、走る人が増えた。ウオーキングをする人も多くなった。自己紹介することがないので、顔見知りはたくさんいるが名前を知っている人はほとんどいない。走りながら“ハロー”と手を振って挨拶するだけで何となくお知り合いの感じがする。私が走るテーバー山公園は近郊では唯一犬を放して散歩できる公園なので、犬と一緒に走ったり歩いたりする人も多い。犬の種類の多さにもびっくり。

オレゴンから健康レシピ-ランニングコース

いつの間にか顔が広くなった。スーパーのレジで、“冬場も走るの?、僕も走ってるよ“ とか、毎日出会っていた格好良くバイキングをする女性が行きつけの化粧品店の人であったりとか、時にはハイキングで山を歩いている私を見て、見知らぬ人が、”今日は走らないの“と冗談っぽく笑う。何時も同じコースを走るので、リハビリで杖をついて散歩するおじいさんや花壇の手入れをする主婦、子供を学校へ送るお父さんやお母さんとも顔見知りである。
オレゴンから健康レシピ
12月に入った今朝は7時半でも暗く、窓からの眺めは霜がおりて真っ白。薄もやの中で、家の屋根も車も凍てついてしまっている。家や車がアイシングされてお菓子の箱庭に納まった。ゆっくり顔を出した太陽がお菓子の家々や木々に黄金の金粉をかけ始めるのももうすぐだ。想像画がどんどん大きくなる。なんだかお伽の世界に迷い込んだようで素敵な朝だ。
オレゴンから健康レシピ-ランニングコース

オレゴンから健康レシピ-ランニングコース
白樺と花梨の木の見事な黄葉がまだ秋の名残を留めて美しい。紅葉樹が秋を告げ、黄葉樹が冬を告げるようだ。山に入る頃には靄っていた空から顔を出した太陽がだんだん強くなって木漏れ日が何とも神秘的。山間や山肌を美しい幾何学模様で彩り、走っているはずの足がいつの間にか止まっている。見飽きぬ風景である。

 


オレゴンから健康レシピ-ランニングコース 私の家からこのテーバー山公園を走って上がり、頂上の三つの貯水池を回って下りて来ると約1時間余り。山の上からはダウンタウンが一望でき、夜は街がライトアップされて美しい。四季折々、こんなに美しく見事な山が近くにあることに自然と感謝の気持ちが沸き上がる。

 


オレゴンから健康レシピ-テーバー山

オレゴンから健康レシピ-ランニングコース 10年前の9.11のニューヨークのワールドトレイドセンター爆撃事件の時は市民の飲料水になっているこの貯水池がターゲットになるかもしれないと、一時はこの貯水池を埋める計画もなされた。その時以来市民はテーバー山保護会を作り、市は毎日朝、夕に警備員に貯水池の周りを警備させ、頻繁に貯水池を空にして清掃し続けた。そのころはいつかこの貯水池が無くなるのではと、毎日貯水池の周りを走りながら悲しんだものだ。


オレゴンから健康レシピ-ランニングコース 人の身にからむ悩みは絶えることがない。毎朝のランニングがそれらを和らげてくれた。娘が乳ガンの告知を受けたときはだれにともなく、助けて下さいと繰り返しながら走った。母の亡くなる前は近くで看病出来ないことを悔やみながら、亡くなった後はいろんな思い出に胸を詰まらせながら走った。走り始めの重く苦しい心も足のリズムとともに、次第に薄らぎ、ふと気付くと何も考えていない自分に出会う。そのころは心も体も軽く感じるようになっている。
オレゴンから健康レシピ-MT. TABOR
私にとってランニングは心と体の癒しのセラピーである。何時まで続けられるのかなと思いながら、生きている間走れるとどんなに幸せだろうかと思ってしまう。

オレゴンから健康レシピ-ランニングコース



オレゴンから健康レシピ

5、6年前から我が家のサンクスギヴィングデイにターキーの姿が消えた。サンクスギヴィングデイナーの象徴であるターキ-が出なくなるのは最近では珍しくない。それに伴うマッシュドポテト、それにかける鮮やかな赤色のクランベリーソースやターキーからの煮汁で作るグレイビー(ソース)も姿を消すことになる。肉類を食べなくなった人が多くなったことは言うまでもない。

 

ターキーのスタッフィング(詰め物)に栗とソーセージをを入れるのが私のやり方。キュ-ブに切って乾燥させたパンがターキーからのオイルと煮汁を吸い込み、ソーセージの風味が加わってとっても美味しくなる。ソーセージのプリットした歯ごたえと栗のやさしい甘さと柔らかさがうれしい。

 

10時間余り掛けて肉は柔らかく、皮はぱりっと艶を持って焼けたターキー。甘いクランベリーソースやグレイビーが添えられ、どこの家庭でも11月の第三木曜日のデイナーテーブルの上は同じような光景になる。
オレゴンから健康レシピ-サンクスギヴィング
お決まりのサイドデイッシュの小さな芽キャベツの炒め物、グリーンビーンズのサラダかオーブン焼き、真っ白なマッシュドポテト、オレンジ色も鮮やかなスクワッシュキャセロールなどが並ぶと、テーブルは一挙に華やぐ。デザートはもちろんパンプキンパイ。

 

こんな懐かしいサンクスギヴィングデイナーから、最近はターキーの代わりにキングサーモンの照リ焼きが我が家のメイン。今年はさらに変わった。サンクスギヴィングの日が娘の泉が2ヶ月のインドへの旅立ちの日となった。急遽我が家の伝統行事は23日の夜、つまり、サンクスギヴィングイヴの食事に変わった。

オレゴンから健康レシピ キングサーモンがブラックタイガーのズッキニー巻きに代わり、キャセロールはエッグプラントパーメジャンとなった。芽キャベツの炒め物とグリーンビーンズのサラダは健在。新しく加わったのは赤カボチャをくり抜き、ワイルドライスと枝豆のむき身、シーフードに松の実を加えて、ピラフのようにして、赤カボチャに詰めてオーヴン焼きにしたもの。この日のワインはオレゴンワインの優しい味のピノアーとなった。

 

何よりのごちそうは暖炉の火。薪火の暖かさは体を芯から温め、心を和ませる。冬の楽しみの一つである。ぱちぱち、時にはゴウゴウと燃える炎を見つめていると体中にエネルギーがゆき渡る感じで自然とリラックスするのである。


この日は街中がシーンと静まりかえる。ほとんどの店はシャッターを下ろし、大きなスーパーマーケットも3時から5時には閉まってしまう。前日の画像の早送りのような忙しさが嘘のようである。交通量も少なく、車はどこへ消えたのだろうか。


アメリカ中の人々がアニメーションの動きのようにして、一挙にこうこうと明るい家の中に吸い込まれた感じである。親元を離れた大学生たち、他州に住む息子や娘たち、またその家族が集まって久しぶりの賑わいと両親の作ったごちそうに時間を忘れて夜が更けていく。この日の食事は、日暮れの早くなった午後4時か5時から始まり、アメリカのどの家庭も秋の収穫に感謝したサンクスギヴィングデイを祝うのである。

 

アメリカは今20世紀、21世紀中、最大の不況にある。サンクスギヴィングを祝う家のない人が年々増えている。この時期私の行きつけのナチュラルフードのスーパーマーケットでは、レジの所で小さな助け合いの語りかけが置かれていて、心ある人達はシェルターでの食事にと心ばかりのお金を自分の買い物の支払いに加えるのである。




オレゴンから健康レシピ-クッキングクラス





オレゴンから健康レシピ-クッキングクラス クッキングクラスをポートランドで始めて、10年近くになった。この不景気の中よく続いたものだ。それに、ここ2、3年は急にリピーターが増え始めたことは10年近くになってようやくかすかながら
”MISO MAGIC” (私のスクールの名前)の存在がステイタスを得はじめたように思えて嬉しい。

 

私のクッキングクラスは日本の料理教室とは少し感じが違う。同じ生徒が毎週なり毎月,定期的にクラスをとるわけではない。ほとんどが常連ではなく一見だから私のビジネスが大盛況でなくとも総生徒数はかなりに昇る。その半数が男性であること、生徒の年齢層が小学生からシニアーと幅が広いこともユニーク。

 

ほとんどの生徒さんはオンラインか新聞のフードセクションの広告からの申し込み。他州からポートランドを観光なり友達に会いに訪れた人達がクラスをとることもある。丁度私たちがどこかの国を旅し、その国の料理が習いたくて料理教室を探すのと同じである。誕生日やクリスマスのプレゼントとしてクラスをを贈られた生徒の数が約4分の一。中でも奥さんがご主人に、ガールフレンドがボーイフレンドに誕生日プレゼントをする場合が多いのも面白い。こんな場合,男性側は料理好きということもあって皆手つきがいい。奥さんは上手なプレゼントを選んだことで、ご主人は喜ぶし、自分も楽が出来る。誰かがそんな男性にあなたの奥さんは賢いね、とからかっていたのも微笑ましい光景だった。




オレゴンから健康レシピ-クッキングクラス 私は毎回、ほとんどが始めての面々と出会うことになる。生徒さんにとっても夫婦連れ、友達連れは別として初対面の顔の方が多い。 クラスは8人が限度。いつもクラスが一杯になることの方が少ないのでクラスの雰囲気はとてもリラックス。時には一つのグループが誕生日パーテイとしてクラスを占領することもある。フレンドリーなアメリカ人も初めは緊張していて、すごく真面目な顔で私の説明を聞いてくれる姿に”そんなに真面目にせんでいいよ”と言う代わりに冗談を一つ、二つ。緊張がほぐれていかめしい顔が優しく変わった。そんな瞬間を見るのも教える側としては嬉しいひとときである。

 


オレゴンから健康レシピ-クッキングクラス
料理を終えた後、ダイニングルームでそれぞれの成果を愛でて食事をする頃はまさに、ワンダフルクッキングパーテイになる。毎回、生徒さんに良いクラスだったと感謝されると、私もいい気持ちになってアメリカ人はなんていい人ばかりなのかと思ってしまうし、これほど人に喜んでもらえる商売はないと、準備や後片付けで時間の掛かる割りの合わなさもその時はすっかり忘れている。いつもクラスが終わった後、人との暖かい出会いがとても嬉しくなって、今日もいい人に出会ったと、後片付けに励むのである。

 

私はクッキングはカタルシス、心の浄化作用があると信じている。私自身猛烈な忙しさでパーテイの準備をした後も意外と私の顔はリラックスしてすっきりしているし、心もいらだたない。クラスの時も同じで、生徒さんの顔も明らかに、クラスに入って来た時とは違って、穏やかな、柔和な美しい顔に変身する。何かに挑戦することとその仕上がりに満足することの経過を短時間で行うからだろうか。料理が嫌いな人も好きな人も、クッキングをすることはストレス解消にもなるのでかなりおすすめである。

 

 

先週の寿司のクラスに来てくれた生徒さんの中に、60歳過ぎのお洒落で上品なご婦人がいた。その人の顔色が少し悪いなと思いながら、初めの挨拶をしていたら、彼女から、私は今抗ガン剤治療中なんですと告げられた。かなりのショックだった。小さい脳腫瘍があって、抗ガン剤治療で消えたのだけれど、再発を防ぐために3ヶ月置きに4回の治療を受けるのだそうだ。ここポートランドの OHSU(OREGONN HEALTH SIENCE UNIVERSITY) が脳腫瘍治療で有名なので彼女はペンシルバニア州から娘夫婦の住むポートランドに仮住まい中である。以前にも、ある他州から来た男性の生徒さんが,ポートランドに住む息子のお嫁さんがやはりOHSUで脳腫瘍治療中なので、夫婦で手伝いに来ているのだと語ったことがあった。その時もその男性に何ら暗さがなかったのが印象的だった。きっと病院を信じきっていたからなのだろうと今にして思う。 

 

この女性、ボニーさんも何事にも前向きで、ガンにはなったけれど、娘がこのポートランドに居たのでOHSU治療が受けられ、命を拾えて本当に幸運だと言いながら、お寿司をぎこちない手つきで巻いた。その時は生徒が少なかったので、私の娘が2年前に乳ガンの手術を受けて順調な経過をたどっていることなど話しながら、食生活がいかに大事かと話題が食生活に及んだ。とっても楽しいクラスになった。”また会いましょうね”という私の挨拶に ”それは本当にいいことね。そうしたいわ”との返事。普通の挨拶に命の重みが加わった。一週間後に、ボニーさんから“THANK YOU” カードが届いた。またまた感動。毎日を如何に大事に生きるべきかということを久しぶりに考えた日々だった。

 

 


オレゴンから健康レシピ


オレゴンから健康レシピ

オレゴンから健康レシピ

ポートランドの秋はたけなわ。曇りがちの空も見事な街路樹の紅葉に照り映え明るくなった。歩道は赤と黄色の優しい色合いの落ち葉で屋外絨毯を敷き詰めた。その上を心地よく踏みしめる一歩一歩に自然と思い思いの物語が綴れてしまう。ポートランドの秋は飽くことなく美しい。

 

11月は収穫を祝う月。サンクスギビィングの月。2週間前には家々のポーチのパンプキンが当時は凛々しくカービングされて、面白恐く変装した子供達と張り合ったものだが、今は少し哀れになってしまった。それでも家々の軒下に並んだパンプキンの鮮やかなオレンジ色は秋の風情を盛り上げサンクスギヴィングデイももうすぐだよと告げている。

 

11月は我が家の年中行事となったパーテイ月。毎年、暖炉に火が入る頃の第2週目の土曜日に30人余りの友人達が家族のようにして、年に一度の賑わいを楽しみに集うのである。

 

年に一回のこの日に私の料理に合わせてワインを持参するのが客人の楽しみ。年々集まるワインに外れがなくなって来たのもワイン談義の結果かも知れない。

 

私はといえば、料理の腕を振う日。毎年テーマを決めてそれに合わせた料理を作るのが私の楽しみとなった。一年掛けて時間のある時に新しい料理に挑戦するのは丁度見知らぬ土地を旅する時のときめきがある。

 

ある年は私の好きな映画、"Big Night"をイメージして"Italian Night"を演じた。客人はイタリアンワインやギターを持参し、私は半年掛かりで口の中でとろけるようなほうれん草ラザニアからデザートのティラミス迄マスターした。我が家はイタリアンミュージックと暖炉の火でムード満点。イタリアの夜の饗宴となった。この年のパーテイは今も語り種になっている。


ある年は"Asian Affair"と称して、タイ、韓国、中国料理を、もちろん日本はお寿司で参加した。私がタイへタイ料理を習いに行き、タイクッキングクラスを始めた年は、レッドカレー、グリーンカレー、パナンカレー、パッタイ、パパヤサラダ、などなど、タイ料理に興じた私と娘は自家製カレーペースト作りから始めたものだった。ちょっと凝ってみたくなるのが私の癖でもある。

 

7年目を迎えた今年は、6月終わりに91歳を全うした母が他界。秋の初め迄、落ち着かない日々を過ごし、十分夢見る時間がなかった。 思案の挙げ句 ,10種類の品数と30人分の量を考えて、 準備と調理時間がコントロール出来るオーブン料理で決めることにした。

 

メインディシュ、サイドディシュ、サラダ、デザートを入れて10種類の料理。デザートは、今年の新鮮なリンゴをいっぱい使って“アップルカスタードスツルーセル”。くるみのトッピングが口の中で溶け合う美味しさはちょっと時間をかけたことに後悔はない。小豆シフォンケーキも我が家の定番デザート。ふんわりしっとりほんのり甘いこのケーキも粉砂糖でよそ行き顔になった。これらは早めに作っておけるので気分は楽。


さて、3種類のメインディシュの先頭は私の代名詞にもなっている、ローズメリーをたっぷり効かせた”キングサーモンのオレンジジュース入りオーブン照り焼き”これを拒否する人はだれもいない。“ポークのガーリック生姜焼き”はいつもはフライパンを使って焼くのだが、今回はオーブン焼きにした。そして、アンカーはちょっと手間の掛かる、“中華風ブラックタイガーのチリ甘酢ソースかけ”これもだれもがその出番を待つ。


サイドディシュ、はテーブルの華やかさと豪華さを演出する格好の材料である。秋の実りの”バターナッツスクワッシュキャセロール”は鮮やかなオレンジ色に赤と緑のピーマンが刻み込まれ、フェタチーズの白が加わって文句なしに美しい。これもオーブン料理。“オリーブオイル、レモン風味のクスクスサラダ”は 上質のオリーブオイルにレモン汁たっぷりのクスクスにスイートオニオン、ドライトマトのガーリックソテーが加わり、マリネードされたアーティチョークとシラントロの刻みで化粧されると、これまた美しく美味しい一品。それに我が家のお惣菜から豆腐バーガーがサイズを小さくして、ベジタリアンの人の口に合わせた。


そして、グリーンサラダはいつも生け花を置いたようにテーブルがぱっと映える。各人ののお皿の上のアクセントにも欠かせない。今年の唯一のニューフェイスは3種類のケークサレだった。カラフルな野菜のケークサレ、シーフードとキノコ、スモークサーモンとヤムスイートポテトが味を競った。そうそうサーモンの刺身を使った“カリフォルニアロール”は毎年登場。 振り袖を着たようにテーブルの上で威張っている。このパーテイは日本人がシェフですと言わんばかりに 大きな顔をする。お陰で今年も楽しいパーテイになった。

 

最近アメリカ人の食生活に大きな変化が出て来た。ベジタリアンと言われる人種の数が急増しているのである。ベジタリアンにも何種類かあって、肉以外は魚も乳製品も食べるベジタリアン、魚は食べないが乳製品は食べるベジタリアン。野菜,果物と穀類、豆類のみのいわゆるベーガンと言われるベジタリアン。その上、ここ2、3年注目を浴びているのが、グルテンフリー族。
彼らは麦類は勿論のこと、醤油も食べられない。これらの人々は、健康上の理由から主義主張迄いろいろな理由があるのだが、何しろ、個人が尊ばれる国である。理由はともあれ、食べるものは本人が選ぶ。そうなると、パーテイに出す料理にかなりの吟味が必要になって客人の顔ぶれにも合わせなくてはならない。私にはそれも又面白い研究材料となる。

 

来年はグルテンフリーに近く、ベジタリアン料理の多い私の好物のインド料理が

きれいなサリーよろしく登場しそうである。