有名な御言葉で「隣人を私自身のように愛せよ」ってあるけど、これ難しい。

誰にでも優しくしたい気持ちはあるけど、やっぱり自分自身とか自分の子どもが一番大事だし、そこが十分に満たされ守られ、余裕があれば他人…って感じにどうしてもなってしまう。


実質シングルマザー(もうすぐ離婚する)の私は、精神的にも金銭的にも余裕がないです。

分け与える精神よりは、分け与えてもらいたい精神のほうが大きいという…

欲深い性質です。



だけど、一つだけ気をつけていること。
「自分がされて嫌なことはしない」


正直、離婚することが決まっている夫と1DKサイズの狭いアパートで一緒に暮らしているのは、なかなか辛いものです。
(一刻も早く引っ越したいのですが、金銭的ハードルがあるので…)

口を開けば喧嘩にしかならないので、なるべく関わらないようにしているのですが、自分たち(私と娘)がご飯を食べるときだけは、夫にも食べるかどうか聞くようにしています。

ほとんどの場合は「要らない」と言われて、そのたびに毎回「せっかく聞いてやってるのになんだよ」と気分を害するのですが、それでも懲りずに聞きます。

最近は「まあどうせ要らないと言われるだろうけど、一応聞くだけ聞いておこう。自分が傷付ける側にまわるよりはマシだ」という精神で、傷付かないように事前に心のバリアーをしています。

今日なんて一日中家にいられて、昼に一回食べるか聞いたんだけど「もう僕のために食事作らなくていいから。一生」と言われて、もうその一言でこれから聞く必要もないのに、夕飯の時間になっても何も食べずに家にいるから、あまりに不憫に感じちゃって、結局また聞いたよね。

そして案の定要らないと言われ、そのあと飲みに行ったけど。


でもね、なんでそんなに懲りずに毎回聞くかっていうと、私、家族とか家の中で「自分にだけご飯が用意されていない」っていうシチュエーションに軽いトラウマみたいなのがあって…

いや、トラウマってほどではないけど、すっごい嫌なの!

私はとくに食べ物への執着強いから、お腹が空いてるときに目の前で他の人たちだけ食べてるとか辛すぎて泣けてくる。

だからそれは、いくら離婚控えてるアル中の夫だったとしても、そんな仕打ちはできない。

だから聞くんだよー。

でも本当に要らないらしい。

後から聞いたら鬱でお腹空かないんだって…


悲しいな。


自分を傷付けずに他人を傷付けることは出来ないって言うけど、本当にその通り。

誰かにいいことをしたら自分も嬉しい。

誰かを傷付けたら自分も辛い。





最近、まわりで、自分ほど貧乏な人は見たことがない、っていうくらい、自分(とホームレス)以外のみんなが金持ちに見える。

ゴミを食べて公園で寝てる人もいれば、ベンツのでっかい車乗り回して毎日外食三昧してる人もいる…

貧富の差がとても激しくて、どうしてこんなに富が偏ってしまうのだろうかと不思議でならない。みんなが隣人を自分自身のように愛したらこうはならないだろうに。


やっぱりみんな自分を守りたいから、不安から差別が生まれ、僻みや欲が出るんだな…

人間ってやつは。