あの虐待事件を受けて、
保育園の雰囲気、流れが大きく変わってきている。
元々、今私が勤めている園はかなり厳しくて、子どもたちを怒鳴ったり強い言葉で言うことを聞かせることが当たり前になっていて、むしろ言葉で伝える先生は「怒らない先生」として下に見られるような風潮があった。
食事だって、苦手な食べ物を嫌がっている子に対して、顔を腕で固定して無理やり口に運ぶような保育士がザラにいて、常に「罪人を見張する看守」のような目つきで子どもたちを見守っていた先生たちでした。
だけど、今回の保育士の事件を受けて、「これは虐待になるのか?」といろんな先生がいろんな自分の保育を見直すいいきっかけになったように思う。
全体的に、保育園で聞かれる怒声が減ったのは事実だし、会議や朝礼でも、何度も「大きな声は出さない」などのことを伝えられる。
でもね、
「これじゃあ、なんにも怒れない」
と嘆く先生が多いこと。
また更に、今日、隣のクラスの2年目の先生に「最近、私たちが抑えてる(怒らない)から子どもたちが落ち着かないですよね。」
と言われた。
でもそれって、今まであなたたちが、怒鳴って、脅迫して、脅して、怖い顔を見せることで子どもたちを言うこと聞かせてました、と自白してるも同然で、
「なんにも怒れない」
は「なんでも怒ってきた」から
「ダメなこと」を注意する時とそうでない時の線引きができないだけでは?と思ってしまう。
友達を傷付けたり、怪我をするような危険な時、ルールを守らず好き勝手に暴れたりする時、それはやっぱり「ダメなことダメ」だし、「何でもかんでもいいよ」では子どももダメになってしまう。
ただ、例えば子どものイヤイヤ、自己主張に対して。
・声掛けに応じない
・活動の切り替えができない
・ご飯の好き嫌いで食べたがらない
・トイレに行きたがらない
・クラス全体に落ち着かず騒いでいる時
など色々あるけど、
そんな子どもの自己主張に対して
怒鳴ったって怒ったってしょうがないし、まずは子どもの気持ちを聞いて受け入れてあげるところからスタートだと思うの。
それから子どもがやりたくなるような声掛けをしたり、気分が変わるようなことを話してみたり、食べたくなるような声掛けをしてみるのが、「保育士」だと思ってる。
子どもが落ち着かないからって怒鳴って「静かにしなさい!」って言ったって力でねじ伏せてるだけで、ある意味虐待と変わらん。
だったら子どもが思わず見てしまうような、静かにしてしまうような「楽しいこと」をして興味や注目を集めるのが、保育士のプロの仕事なんじゃないかなと私は思ってる。
だから、私は虐待の事件を受けて、特段自分の保育を変えたつもりはないし、怒らないようにしてるつもりも全くない。ダメなことは伝えるし、そうでない時は言葉掛けを工夫する。
あと「ダメなことを」を伝えるときも、大きな声は出す必要はないと思ってて、端的に短く「いけない」ことを伝える。それでいいと思うんだ。
とにかく、食事に対しても虐待ギリギリの保育をしていた先生たちが少しでも考えが変わってくれたらなーと思います。
