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 多くの人が、プロの書き手を目指し、仕事や学業にいそしみながら、

日夜原稿用紙やPCを前に奮闘されているんだなぁと、先日ブログ巡りをして改めて感心しました。

沢山のブログを一度に拝見しようとすると結構な時間を費やしてしまうため、

なかなかできませんが、いい刺激にもなります。

 私も、そういう方々同様、仕事で食べながら、一番やりたいことで生活が成り立つ日の

万が一の可能性を夢みているわけですね。

 私のこれまでの経歴は、一見、書くことと全く接点がないように見えても、

実は私の書き手としてのスタンスに深く関わっていると思います。

 仕事内容については書けませんが、朝から約5時間くらいの間に多くて100人以上の人と接しています。

医療に関わるため、身体的に重度の病を患いながら必死で生きることに立ち向かっている人や、

反対に、健康な身体を持っていても、心理的に重い悩みを抱える人など、年代もさまざま。

車椅子を足かわりに、社会と関わっていくことにとても精力的な人もいれば、

リストカットを繰り返す人もいる。

いじめが元で登校拒否になってしまった子もいれば、人格障害に苦しむ青年もいる。

生と死のボーダーラインに佇む人と関わるたび、私は、理解という言葉を無意味に感じ、

同情というものは決して美しいものではないと痛切に感じさせられます。

暗い淵に誤ってこけてしまい、足を取られた人の手をうんしょうんしょと引っ張ることしかできません。

 逆に、ありがとうと、頭を下げたくなることもあります。

例えば、ヨボヨボと杖を頼りに歩き、顔は皺と老人班が全てになってしまい、余命いくばくもない高齢の方が

私の前に座っているとします。

耳は非常に聴こえにくく、またかつぜつもあまりよくないかもしれません。

ですが不思議なことに、私はその人に美しいなぁと思う瞬間を何度も覚えさせられるのです。

 上手に表現できないところが私の至らなさですが、一言にすると「命」かな。

これまでの数十年間、一生懸命生きてきましたという、堂々とした格好よさがある。

恋愛、親子愛、嫉妬、病気、裏切り、慈しみ、怒り、悲しみ、悲哀、・・・

数えるにはきりがないほどのあらゆる出来事や感情を経験しながら、乗り越えて今があるのです。

そして、その根底を支える大切な感情とは何かと、自分なりにあーだこーだと思考しますと、

「愛」にぶつかってしまう。

 私は、学者でもなければ、もちろん宗教家でもない。 ただの女一匹です。

ですが、生きることの意味を考えるより、どうすれば自分なりに愛を一杯放出できるのか。

どうすればきちんと愛せるのか。一つの愛を喪失した時、自分と向き合って乗り越える時間の使い方、

自分も愛してあげることの大切さとか。

そんなことで頭をパンパンにして突っ走る10代、20代であってもいいんじゃないかな。

親や近所からは、「まぁっ!色気づいて、その分勉強をもっとしなさい!」

と叱られるかもしれないけど(笑

私の恋愛詩には、そんな気持ちをこめていました。

 これからも、短文、長文、なんだかんだブツブツと書かせていただくつもりですが、

「やっぱり愛は勝つ!うぉー!」と叫びながら書いている姿を想像してくださいね。

あっ・・・それとねじり鉢巻もしているかな(笑

なんだか今日も、まとまりないですね・・・ すみません、もっと精進します。


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