もしキミがはばたけるようになったらもしキミが一人で羽ばたけるようになったら私は思い残すことはない私は不恰好に羽ばたいてアナタに思い残しがないようにキミに羽ばたき方を見せて飛ぶ生きる目的を失う者も多いがそれが私がアナタがキミが生まれてきた理由なのだろうと思うアナタの羽ばたきは力強く多くの者を力づけるキミの羽ばたきは心許ないがまっすぐ飛ぶことができる私の羽ばたきは…
ラピュタの道にたどり着くには青い羽が必要ぼちぼちと・・・ロードバイクを走らせていました今日の目的地は「びく石」標高527m(適当)の山頂にある大きな石。玉露の里から青羽根という地区を通り市民の森を抜けびく石に至るローディーの間の話題で走りたい道は瀬戸内海を巡る「しまなみ海道」↓阿蘇にある「ラピュタの道」↓市民の森の入り口から山ひとつ向こう・・・蔵田地区を見るとすこしだけ似た景色が見える・・・阿蘇の観光協会からクレームが来たわけではないけどここを藤枝ラピュタの道とは呼ばない。なぜなら映画の中の天空の城ラピュタも阿蘇のラピュタの道も辺りは草原なのである藤枝ラピュタの道は遠巻きにみてもどうみても草原の代わりが茶畑。悲しいかな、そこは同じ天空の町なのに。そう思いながら坂を上る距離にして12km、平均勾配は6%たいした坂ではないが青羽根地区に限って言えばずっと10%超えで場所によっては25%を表示する事もある。羽があったら飛んでいきたい・・・青羽根という里山の集落にある公民館はなぜか私をハッとさせる。黒い瓦屋根、濃紺のトタン屋根・・・田舎の里山の集落の古い家の中に明るい・・・まるでそこだけ沖縄のように明るいベージュのレンガ調の屋根瓦。建物は何でもない古い建屋なのに。それを通り越していくと市民の森に入る。どこの町でも「市民の森」と名のつく場所は人が来ないような山深い場所にある。市民の森と名のとおり森しか無い。自販機もない。ここまで来たローディーをあざ笑うかのように自販機は無い。天空の城に自販機は無いように・・・市民の森から、びく石までさらに坂を上がる。一応名所とは言え大きな石がゴロゴロしてるだけの場所。人も皆無なのである。なのでここ辺りで人、いや人が乗った車に会うとギクリとする。通りがかりの車に、水分を恵んでもらいたいと言い出したいくらいだがそんな山の中でロードバイクに乗った人間を見てみんなギクリとする。SUVに乗った老夫婦・・・Bbに乗った2組のカップル・・・みんなギクリとしておいおいマヂかよみたいな顔をする。びく石に到着。富士山が見えたり、駿河湾が見えるがそんな事はどうでもいい。裏に工事中の道が見える。蔵田側から登ってくる道路を建設中らしい。アスファルトではなく、コンクリート舗装のトコを見るとまた唸るような急勾配。税金税金税金。山を下る。25%の坂は登りのキツイが下りもキツイ。キツイと言うより怖い。一度ロードバイクにまたがると降りる事が出来ない。一度降りると乗る事も出来ない。ラピュタの城って地上にどうやって戻った?!
線引き少しづつ・・・鬱症状が治ってきた気がする。あれはなんだったのだろうかと思うと頭の中に霧が掛かっていたような・・・そう霧深い杜の中で迷っていたような気がする小学生のころ校庭に線を引いて~の人はコッチ!~の人はひだり!と分けて遊んでいたように健康体はコッチ、鬱の人はコッチ!と分けるなら線をまたいで両方!という状態かもしれない。風邪で内科に掛かると医者に通院しなくていいですよ~と言われる前に病院に足を運ばなくなってしまう心療科に言って鬱ですよ~と言われた訳でもないけど通院しなくて良いですよ~と言われた訳でもない。恐い。あのクスリは何だったのかあの病気は何だったのか線を踏んではいけないってルールがあったかもしれない
さよならは一瞬のまばたき仕事の昼休み中にホームセンターに営業車を停めて本を読んでいた。ふと…数台横にミニバンが停まり若い夫婦が1歳くらいの子供を抱いて降りてきて笑いながらホームセンターに入っていった。日常的でありふれた風景だし自分にも叶えられない事でもないでも幸せを幸せと感じられる事が羨ましかった読んでいた本は伊集院 静「羊の目」の(ライオンの舌)という章だった読んでいた一節にこう書かれていた「おまえさんにひとつだけ言っとくが 死に場所を探すような 生き方をするんじゃないぜ。 そん時はお仕舞いってことだ。」私は死にたいと思った事など一度もない。ましてや苦しみから逃れるために死にたいとも思えない。ただ…僕はその時生きながらにして死んでいた心は生きていなかったただ泥沼のような場所にはまり心は死んだまま何十年かのちに体が死ぬのを待つだけになってしまったでも幸いにそう幸せなことにまだ幸せも不幸せも感じるチカラが残っている瞬きとも言えるほどの時間一瞬だけ目を閉じてまた目を開いたさよならその一瞬で私は数秒を失ったでもカウントダウンは止まろうとしている