おはようございます。小平市の相続離婚アドバイザーのみっしーです。
自己紹介3回目。
両親が離婚後母親は仕事を必死に頑張り私を大学に入れてくれました。
奨学金は使っていますが在学中の様々な出費をその都度二つ返事で出してくれました。
その点非常に感謝しているところです。
大学3年の時将来への転機が訪れます。
通っていた大学では3年次にインターンシップがあり、実際の企業に2~4週間働きに行くことで単位を
もらう制度がありそれに応募しました。
そして私は「東京日産株式会社」にインターンシップに行くことになります。
理由は自動車関連は面白そう。という単純な理由だったと思います。
そこで2週間働かせていただいて今でも印象に残っているのは、一緒に同行した先輩社員と
お客様のご自宅に訪問した際に【楽しそうにおしゃべりしていた姿】です。
もちろん今ではその関係性を作るのにも努力があったのだとわかりますが当時はこういう関係性が作れる仕事っていいな。と単純に思っていました。
その経験があり就職は東京都内のトヨタ系ディーラーに就職することになります。
就職先となったディーラーはかなり厳しい会社で、社会人としての心構えがなっていない私を根っこから鍛えてくれました。
社会人1年目など、メモは取らない。口答えする。言っている事が宇宙人。とまぁ散々なスタートでした。
結局手ごたえをつかんでバリバリ成績を上げるまで3年もかかってしまいました。
今となってはあの時に散々苦労した経験があるから、独立してから様々な困難があってもやっていけるのだと感じて感謝はしていますが
仕事でも成果を出せるようになって自信が出てきた私は大学時代から付き合っていた今の妻にプロポーズして結婚します。ちょうど10年前の2010年に結婚。式を2011年4月に挙げようとしていた矢先。東日本大震災がやってきます。
妻は宮城県の人でした。
幸いに…というか親族や友人に犠牲になった人はいませんでしたが、家が流されたり、つぶれたりした人はいました。また当時の状況が交通網も含め完全に混乱しておりとても4月に式を挙げられる状況下でなかったため式は一時延期。なんとか同年11月に執り行うことができました。
当時のプランナーさんには感謝してもしきれませんね。「1年半も担当させてもらったご夫婦は初めてです」と言っていただいたのが印象的でした。
その後子どもも授かり平穏に暮らしておりましたが、だんだんと働き方を変えたいという考えがでてきました。2016年のことです。
当時の一日のスケジュールは朝8時に家を出て10時の店舗オープンまで開店準備や資料作成。
その後夜8時まで営業活動、店舗での接客、書類作成、電話フォローなどをします。夜8時から10~11時までお礼の手紙を書いたり、お客様の提案準備をしたりとしていたので、家に帰宅するのは11~12時くらいでした。当然子どもと触れあう時間などなく、さらに土日も仕事だった為ほとんど家族と過ごす時間はありませんでした。
この働き方を続けていくと何のために生きているのかわからないな。
両親が離婚した過去のある私としては、家族を第一に考えた仕事をしたい。と思い転職をしよう。と思い立ったのでした。