ヒカリアレ -2ページ目

ヒカリアレ

悲しくなっちゃったって
いいじゃない
人生はちゃんと晴れを用意して待っててくれる
もがいてあがいて
晴れの日に
たどり着いた

私は子供の頃からずっと、いつか大陸に住むだろうと思っていました。特に憧れの国があったり、憧れの人や文化があったわけではありません。ただただ行くだろうなという「予感」。この予感のようなものが自分自身であったとはっきり認識したのは最近です。

 

自己理解ワークショップの最初の課題に、自分のルーツを知るというものがあります。このワークをするために母におじいちゃんおばあちゃんのことを教えてほしいと母に連絡を取りました。

 

私の祖父は、○○の教師でした。私の祖父祖母は、第二次世界大戦のさなかに、日本側の占領地となった土地で教育を行うために、上海に滞在していました。教育担当ということは、向こうでもそれなりの待遇で迎え入れられたと思います。そして、現地のそれなりの地位の中国人の中にも懇意にしてくれる方がいたようで、日本の戦況が悪くなった時点で、「日本はこの戦争に負ける、妻子を日本に返した方がいい」と教えてくれたのだそうです。

 

おばあちゃんとおじ、おばは異常な状態のさなか、まさに命からがら帰国しました。それでも、祖母は、大陸での華やかな生活をとても懐かしんでいたようです。私の母は、敗戦の二年後、生まれましたが、大陸の話をよく聞いたと話してくれました。

 

だからなのか、当時としては珍しくおじと三人姉妹は全員大学に進み、3年で父を結婚し、4年の秋に私を生んだ母は、私を抱っこしながら卒論を書いていたと幼い頃から聞かされていました。父も、大学4年を休学し、シベリア大陸からヨーロッパへ進み、モロッコやインドなど一年かけて旅行してきていました。写真が趣味だったので、その当時の白黒写真がうちに飾られていたのを覚えています。

 

そんな両親をもち、そんなうちに育った私は海外を夢見るのも自然だと思っていたのですが、それ以上に、「妻子を日本に返したほうがいい」というアドバイスがなければ、、、この、この私はいなかったという事実に、心から打ち震えました。

 

生まれるべくして生まれてきた。

 

このことを知ったことがどれだけ私の自信になったかわかりません。