うつ病、難病患者の生きづらい日々 -3ページ目
昨夜クオリティ高すぎる二次創作小説を
読んで寝不足になってしまったという
初めての経験をしたおためしです。
小説を読み初めて3分後くらいには
え、これ無料で読んでいいんですか?
公式か何かのスピンオフかと思うほど
内容が濃いんですが…。
とシャウトしたくなるくらい
とにかくクオリティが高かったです
(語彙力のなさ)
何がすごいかってドラクエの二次創作
だったんですけどドラクエって
あまりストーリーが無いらしいんですね。
これはおそらく
「多くの人がプレイできるようにあえて
難しい設定をブッ込まないようにしよう」
という非常によくできた配慮なのだと
思います。だからこその長寿コンテンツ
なのでしょうね。
その小説のすごいところは、
ドラクエという少ない設定から
話を膨らませているにも関わらず、
リアリティと深みのある物語を
構築しているその手腕にしびれました。
人物の描写、置かれた状況の
リアリティもすごい。それは下調べの
丁寧さが尋常じゃないからだと思いました。
ゲームではただの
一つの通過点でしかない城や村を、
中世の資料や建物の構造まで調べて、
架空の見取り図まで作ってしまう徹底ぷり。
このヤバさを桃太郎で例えると
「おじいさんは山へ芝刈りに
おばあさんは川へ洗濯にいきました」
というたった一文から、
おじいさんが芝刈りに行った山は
おおよそ何県なのか、荒れている森なのか
豊かな森なのか、作業内容はどんなものか、
他にも同業者はいるのか、そして収入は…?
と、そこまで設定するくらいには凄いです。
しかも設定がリアルなだけではない。
普通に読み物として面白い。
この先どんな展開になるのか?
主人公は難題を解決できるのか?
まるでドラマの続きが気になるかのように
先が気になりました。
もう地の文をすっ飛ばして
結末を見たくなるくらい引き込まれました。
物語への吸引力がダイソンのレベル。
二次創作といっても恋愛的なものは全くなく
本当に物語の面白さだけで殴ってくる。
もはや創作とかのレベルじゃないですね。
普通に小説の域だと思う。
もうこれ以上の感想は出てきません。
本当にヤバイ(すごい)ものを見たあとは
語彙力なんてニフラムするもんです。
ここまで書いといて
実はドラクエにさほど詳しくないんですが、
そんな私でも引き込んでくる程なので
本当にシナリオ自体が巧みなのでしょうね。
それにしても一つのコンテンツに
ここまで情熱を注げるのは凄いと思いました。
本当に好きで書いているのだろうなぁ
というのがビシビシ伝わってきます。
だって好きでなければ「桃太郎のおじいさんが
芝刈りに行った山の詳細について」
まで設定できませんよね。よほど桃太郎への
愛があふれまくっていないと無理です。
その小説が掲載されていたのは
個人サイトと呼ばれるものでした。
現在創作の主流となっているpixiv等とは違い
いいねや評価などがリアルタイムで
反映されない環境だからこそ、
じっくり深く好きなだけ作品を
掘り下げられるのだろうなと思いました。
たま~に「個人サイト時代が好きだった」
という意見を目にすることがあるのですが、
その理由が少し分かったような気がします。
人目や流行を他よりは気にしなくて良いので
じっくりと掘り下げや(良い意味での)個性が
凝縮されるのでしょう。
そういう「作者の独自の世界をのぞく面白さ」
みたいな楽しみがあるのではないでしょうか。
自身も創作をしたことがありましたが
子供の頃にはすでにSNSがあった環境で、
個人サイトの時代ではありませんでした。
しかし一次創作界には
まだ微かに個人サイトの名残りがあり、
よく練られた設定や作者様のゆたかな個性を
垣間見ることが出来ました。
そういう練られた設定や多様性、
引き込まれる世界観を見たあとは
「自分もこんな世界を作ってみたい!」
と刺激を受けたもんです。
ですが今や、美少女が上目使いで
頬赤らめているようなエロや
テンプレキャラばかりになり画一化して
ちょっと寂しい感じにはなってきましたね。
作者様の個性や世界観を楽しみたい
タイプでしたので…。
何にしても、一つのものにそれほどの
情熱を注げるのはうらやましいです。
その方はドラクエで10年以上も
二次小説を書いてきたようです。
私も出来れば、不人気でもいいから
何年も創作をしたかったですね。
誰も見てなくても自分が楽しめればいい、
そう開き直れれば気が楽だったのにと
どれほど思ったことでしょう。
このブログや趣味のカフェ巡りは
誰の目も気にせず楽しめているのになあ。
何かを継続できると言うことは、
評価やお金には代えられない
貴重なものだと痛感いたしました。

