テイサックス病のそうたとわたし。

テイサックス病のそうたとわたし。

1歳1ヶ月に難病であるテイサックス病と診断された。寿命は3歳と告げられたそうちゃんに根本治療薬はなく、起こることに対処していくそうちゃんと家族の日記です。泣いたり悩んだり、でももっと笑ったり幸せを感じたり!!

気づけば1年ぶりの投稿笑い泣き

去年から色んなことを始め目紛しい毎日です。


そうたは相変わらず元気で4月に中学3年生になりましたびっくりマーク

ついこの間中学部に上がったと思ったらもう卒業の年だなんてびっくり


中3の大イベントといったらびっくりマーク

修学旅行まじかるクラウン


小学部の時はコロナ禍で中止になり、今回が初の修学旅行でした。

思い返せば小学部入学してから8年色んなことがありました。


「医療的ケア児」

障がいにも軽度から重度まであるけど、その中でもそうたは重度で尚且つハイケアだから何するにもハードルが高く小学1年の時は4月〜10月まで学校に付き添い、母子分離後も家の近くにいることを要して2年に上がると担任の先生が替わり再度付き添い。

その中で一つ医療的ケアが新たに加わると母子分離でも再度付き添い、母子分離が再度できても度重なる呼び出し。

こんな感じで進級するたびに付き添いが要され、母子分離が叶ってもケアが増えれば再度付き添い、マニュアルに沿わないような不調等が出たら呼び出しからの校内待機を何年もしてきた。


言い出したらキリがないけれど、学校に対して不満や文句はたくさんあった。

口に出すこともあったけど我慢することも暫しあって小学部の低学年の時には修学旅行は付き添い必須なのがわかってたから修学旅行には絶対行かないと思ってた。



以前医師にそうたの病気で10歳を過ぎて24時間呼吸器を装着してない子はほとんどいないと言われたことがあった。

現状人工呼吸器装着してるけど自発呼吸もあるから必要に応じて呼吸器を離脱することもある。

健康的なサポート、ケアは自信もってやっているけど、そうたのことで私にはできないことがあって。

それはお友達との学校生活。

入学してから低学年のうちは良くも悪くも学校生活が刺激になって発作が増えたり重積になったりして入院になったこともあって、進行性の病気だから来年は訪問級になってるかもなぁ〜なんて思っていたのに年を重ねるごとに少しずつ体力がついて最初から最後まで学校にいられるようになった。

一番の変化はそうたから表情がたくさん見られるようになったこと。

知らぬ間に「来年は訪問かも」なんて考えなくなってた。

それどころか未来を考えるようになったり、そうたにどんどん新しい経験をさせたいって思うようになった。


この学校生活の8年母として楽しいより嬉しいより苦しい辛いの方が多かったと思う。

だけどその分楽しい、嬉しいの感動は何倍にもなってたと思う。



2泊3日の修学旅行絶対行かないと決めていたあの頃の私だったけど、修学旅行行ってきたよ。

行き先は東京ディズニーランドハートのバルーン

予報では雨だったのに曇りにかわって当日は晴天で天気に恵まれた。


何度涙堪えたかな。

2日目の夜ホテルから景色を見渡しながらの夕飯を終え、子どもたちだけじゃなく先生方揃って集合写真を撮ろうと私が提案してカメラを握ったのに、目の前にいるそうたを見て泣いてしまって、、、シャッター押せなくなってママ友に代わってもらうというね笑い泣き


最終日の下校時担任の先生とも思い溢れて二人して泣いちゃって。

涙腺が緩すぎるw



行ってよかった。

大変なこと本当に多いけど積み重ねてきて本当によかったと思った。


先生方、看護師さん、引率の医師の方、介護福祉の方それからそうたのお友達に感謝ですお願いキラキラ

何よりそうた君ありがとうラブラブ

そうたの母親であることとそうたが私の息子であることを誇りに思う。

医療的ケア児の母親ということの長いこと苦しんできて、これからも苦しいことや困難なこときっとあると思う。

だけど医療的ケア児の母親であることに感謝。


8年前の私へ。

修学旅行行ってきたよ。

修学旅行は最高の三日間だったよ。

しかも母たちだけでビックサンダーマウンテンに乗っちゃったチョキ

未来は想像していた景色よりずっと明るく輝いた光景だよキラキラ



高等部の修学旅行はますます楽しみだ指差し