新年早々……暗いお話でごめんなさい
嫌な方はスルーして下さいね。
癌の末期………本当に最後の段階で、『モルヒネ(等)の薬物投与をするか否か』を迫られます。
迫られるのは…多くの場合、患者本人ではなく、家族や近い人になります。
本人の判断が難しい状態になったとき、『誰か』が決断するのです。
母の時には、私が決めました。
水を飲むことも出来ない状況だったので、痛みから早く解放してあげるために、母の意思は聞かず、私が判断しました。
その時医師には、『それによって、急に話せなくなったり、悪化したりしませんか?』と聞きました。
医師は、『それはないですよ。眠くはなると思うけど』と言いました。
実際には、投与して1時間しないうちに母は話すこともできなくなり、間もなく息をひきとりました。
私の中で、最後のその『薬』は、強制的に意識や感覚を奪う薬なんだと思います。
痛みが和らげば……と、安易にお願いしたばかりに、あっというまに母の最後の力を奪われました。
まだ話せていたのに、話したかったかもしれないのに、問答無用で終わらせました。
痛みを消す程なのだから…当たり前でしょうか…
辛くて苦しくて痛くて、もう早くしてくれ、と言っているならば投与してあげるべき。
でも、私の場合は……痛みを和らげるどころか、一気に母を死に追いやりました。
まだ、言いたい事があったかもしれない。まだ耐えられたかもしれない。
それを強制的に終わらせる薬でした。
ずっとずっと、母の最期を覚悟していたのに、その薬の判断のことまでは考えていませんでした。
もし、
今から選択出来るなら……
どんなに母が辛くても、
最期の言葉を残すくらいの時間はあげたかった……
病院や葬儀社から送られるエンディングノートの様なものに、最後の薬の投与のことなんて項目はないけれど……
私だったら、『自分がこうなったらその薬を投与して』と書き残したいと、今なら思います。
私は母を『殺す薬』の投与の判断を……自分がしてしまったんだと……きっと一生思い続けます。
母の命を終わらせたのは自分なんだと……どうしても思わずにいられないのです。
そうならないために……。私の様に苦しまないために。
遺す人。遺される人。どうか考えて伝えて下さい。。。

嫌な方はスルーして下さいね。
癌の末期………本当に最後の段階で、『モルヒネ(等)の薬物投与をするか否か』を迫られます。
迫られるのは…多くの場合、患者本人ではなく、家族や近い人になります。
本人の判断が難しい状態になったとき、『誰か』が決断するのです。
母の時には、私が決めました。
水を飲むことも出来ない状況だったので、痛みから早く解放してあげるために、母の意思は聞かず、私が判断しました。
その時医師には、『それによって、急に話せなくなったり、悪化したりしませんか?』と聞きました。
医師は、『それはないですよ。眠くはなると思うけど』と言いました。
実際には、投与して1時間しないうちに母は話すこともできなくなり、間もなく息をひきとりました。
私の中で、最後のその『薬』は、強制的に意識や感覚を奪う薬なんだと思います。
痛みが和らげば……と、安易にお願いしたばかりに、あっというまに母の最後の力を奪われました。
まだ話せていたのに、話したかったかもしれないのに、問答無用で終わらせました。
痛みを消す程なのだから…当たり前でしょうか…
辛くて苦しくて痛くて、もう早くしてくれ、と言っているならば投与してあげるべき。
でも、私の場合は……痛みを和らげるどころか、一気に母を死に追いやりました。
まだ、言いたい事があったかもしれない。まだ耐えられたかもしれない。
それを強制的に終わらせる薬でした。
ずっとずっと、母の最期を覚悟していたのに、その薬の判断のことまでは考えていませんでした。
もし、
今から選択出来るなら……
どんなに母が辛くても、
最期の言葉を残すくらいの時間はあげたかった……
病院や葬儀社から送られるエンディングノートの様なものに、最後の薬の投与のことなんて項目はないけれど……
私だったら、『自分がこうなったらその薬を投与して』と書き残したいと、今なら思います。
私は母を『殺す薬』の投与の判断を……自分がしてしまったんだと……きっと一生思い続けます。
母の命を終わらせたのは自分なんだと……どうしても思わずにいられないのです。
そうならないために……。私の様に苦しまないために。
遺す人。遺される人。どうか考えて伝えて下さい。。。