母の病院の付き添い、自宅での看護・介護・・・
全然苦ではありませんでした。
少しでも長く傍にいたいと思いました。
 
私が悩んだことは〝子供達の預け先”でした。
幸いにも夏休みを挟んだので、その間は毎日子供3人を連れて母の所へ通いました。
子供達にはたくさん我慢させてしまったと思います。
 
 
母がいよいよ歩けなくなり、余命1ヶ月を告げられてからは
いつ何が起こるか不安で、目をつむっている母の呼吸を一日に何度も確認する日々でした。
 
子供達の幼稚園・小学校が始まり、放課後の子供達の預け先を必死に探しました。
小学校の児童クラブに申し込みもしましたが、手続きに通常1ヶ月はかかると言われました。
次女の幼稚園の延長保育も夕方5時まででした。
 
心配する母には、「全然大丈夫だよ!」といいながら、心底悩みました。
もう形振りは構っていられませんでした。
幼稚園・小学校の頼れるママさんに、母の事・余命の事を伝え助けを求めました。
月曜日から金曜日の放課後を交代で色々なママさんに依頼し、
手土産を持って夜お迎えに行き、頭を下げる毎日でした。
 
皆にたくさん助けられました。
快く引き受けてくれて、私の心配までしてくれました。
お通夜に来てくれて、面識ない母の為に涙を流してくれました。
感謝の思いでいっぱいです。
一人では乗り越えられませんでした。
 
 
また、夫にも本当に支えられました。
 
夫は自分の母を小学生の頃に亡くしています。
脳腫瘍で寝たきりが何年も続いた後の事だった様です。
 
「何かできるのも、傍にいられるのも、生きているうちだから!
俺は後悔してることがいっぱいあるから、みっちゃん(私)は今お母さんの為に出来ること
何でもやって傍にいてあげな!!」といつも言ってくれました。
 
私が家でメソメソと泣いている時には、「がんばれ!みっちゃんも母親なんだから!」
「子供達がいるんだからしっかり!」と喝も入れてもらいました。
 
 
支えてくれる存在がなかったら、私はこんなに母の傍にいる事はできませんでした。
そしてもっとボロボロになってしまっていたかもしれません。
 
 
はじめは自分が母のすべてを一人で背負う覚悟でした。
頑張って頑張って、できるだけ周りに迷惑かけずに・・・心配かけずに・・・
母の事は言わずに・・・いつも明るく・・・格好つけて・・・
頑張って頑張って頑張って・・・・・・・
そう気を張っていました。
でも、実際には一人で抱えるのは到底無理でした。
支えが・助けが、必要でした。
 
 
 
〝傍で支える人を支えてくれる人”の存在はとても大きいです。
 
 
夫・子供達・ママ友の皆様・支えて助けてくれたすべての皆様に感謝の思いです。