本日、無事に仏壇開眼を終えました

これで母もようやく『箪笥の上生活』とオサラバです
仏壇開眼は、だいたい10分くらいお経読んで終わり・・・とネットか何かで聞いていたのですが
お世話になっている住職さん、とっても丁寧に親切に30分かけてお経を唱えてくださいました。
それからお茶をお出しして、有難い色々なお話も聞かせてくださいました。
お骨の事も伺うことが出来ました。
「こうしなければいけない」という事はないそうです。
でも、出来ればお骨はお墓(ない場合はお寺)に納めるのが良いそうです。
そこが『家』になるそうです。
そして、仏壇は『部屋』のような感覚で、故人が気軽に立ち寄れる場所という感覚だそうです。
ただ、お骨を手元から放すことが、残された者の気持ちを落ち込ませてしまったり、健康でなくなってしまう様な場合には傍に置いてもいいとの事でした。
「決まり事はないんだよ」といつも言ってくださいます。
いつまでに・・・という事もないそうなので、家族で話し合って気持ちが落ち着いてからでもいいとの事でした。
子供達が帰ってきたら、開眼供養の時に供えた、洗米・小豆・塩・酒 を、
家の敷地の鬼門と裏鬼門に置いてきます。
(雨風によって、自然に還します)
これは、供養してもらえない霊から守ってもらう為との事です。
人は明るい(ポジティブな)面と暗い(ネガティブな)面を必ず持っているそうです。
物事を考えたり、人を見たりする時には、出来る限り明るい面を表にしましょう、と。
自分の表になるのが、いつも暗い面になってしまうと、
騙されたり、傷つけたり、傷ついたり、不幸な結末を招いてしまうから・・・と。
「お母さんが残してくれた宝物(私の子供達)を、いつも明るい面で見てあげてくださいね」と
声をかけてくださいました。
仏壇開眼。
きっと一生に一回あるかどうかの貴重な体験をさせてもらいました

今日は晴れ

開かれた母の仏壇に、明るい日差しが差し込んでいます

今日は夕方から、2時間ほど離れた田舎に住んでいる実父の所へ行ってきます。
汚くて虫もいっぱいで、快適・・・とは言えませんが、子供達は大喜びです
綺麗だろうが汚かろうが・・・広い敷地で自由に存分に遊べるのがとっても嬉しいようです。
母の話をしながら、父と久々にお酒を交わして来ようと思います